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知ったかぶりに気づかないんだ、「私」って。

出てくる思いを見てる感じがある時だけ、
それを取り上げる思考になってるね。

そうじゃないときは何の問題にもならないんだ。
問題だという解釈にならないんだ。
認識を認識していなければそれで終わるんだ。

気づいていることをわかっていること。
だけど「わかっている」それが、
悩み苦しみと言われる思いを抱える、でもない。
同時に2つあるわけじゃないから。
わかっている時はわかっている、
だけなんだから。
苦しい時は苦しいだけなんだから。

で、気づいている、も、わかっている、も、
ただそうなだけなんだけど、
「気づき」に「わかっている」が
被さっているように思う。

え?そう、「思う」だけ。

そして、気づいているのを
「わかっている」という思考が「私」だ。

けど、気づきしかない、これしかないと
言ってるのが「私」だとなかなか気づかないね。

言葉の説明でこのトラップから抜け出ることは、
ないとは言い切らないけど難しいね。

だってまた、その説明をしているのが
「私」ということなんだもんね笑

そして、「私」が、気づきしかない、
これしかない、と
言えるわけがないんだよね。

いや、言えるか。
言うだけは言えるな笑

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