ただの思考の「役に立たない」話
わたしはね、
「何もかも、きっちり、その通りだ。」
というところなんだと思ってるんですよ。
これも思考なので、
そんなことも関係なく、おかまいなく、
くっつきもしないんですけど。
まあ、そう思うんですね。
例えば「非二元のメッセージ」って、
何の役にも立たない、って
言われるじゃないですか。
だけど
そこで終わり?と実は思っていて。
確かに、ただそうである、っていうことは、
何の役にもたたなく思えます。
思考することが仕事の思考にとって、
これほどどうすることも出来ないことも
ないだろうと。
でも思考はそんなことではめげないので、
今度は、
「何の役にも立たないことがわかったら
役に立つんじゃないか!」
となって、さらに思考しようとするんですね。
あと、「気づきたい」にベクトル100%で
気づいたら、目覚めたら、解放されたら
ただそうであるがわかって、
私の人生に役立つはず!って。
でね、
そうやってるうちは「役に立たない」だろうなと思ってます。
気づき、って、
気づきがメインではなくない?と。
気づいたら、ただそうである、が
理解じゃなく落ちる。
全てがきちんとその通りだ…となる。
で、
気づいたことなんか、どうでもよくなる。
そうなったときはじめて、
「ただそうである」が役立つ。
「何もかも、いつも着地している」ということで「役に立つ」。
という認識でいます。
(誰に、ということなくね)。
そして、それこそがメインだろ!
と、わたしは思ってるんですよねー。
↑
再度言いますが、思考です。言葉です。
役に立つ、立たない、ただそうである…云々
全部ね笑笑