思考について、なんとなくダラダラ書いてみた。
思考は勝手に現れているだけだから、
放っておけばいい。
今この瞬間、その思考のことは
起こっていないのだから。
五感にいれば、何の問題もない。
とか言われますが、
この言い方じゃあ、誤解を生むだろうと
思いますねー。
確かに、「思考」が納得して安心するメソッド
ではあるでしょうけど。
そのメソッドで混乱が解けて落ち着く場合も
あるでしょうけど。
だけど、
思いを放っておくから問題がないんじゃ
ないんですね。
放っておくとかおかないとか、
そういう風に取り扱うものがいないんです。
それをどうこう言うものがなけば、
問題になりようがないですもんね。
だからほんとは常に、
何の問題もないんです。
というか、ほんとに
「放っておけた」ことも「取り扱えた」ことも
ないです。
そういうつもりになってるだけで。
思いは思いのまま、苦しいなら苦しい。
痛いなら痛い。
嬉しいなら嬉しい。
それで済んでる。
苦しいからこうしよう、ああしよう、も、
そういう風に思えて、それで済んでる。
「苦しいと思っているのは思考であって…」
なんて、そんなんいらんのです。
まあ、それも思いなので、そう思ったら思った、
それだけなんだけど笑
放っておくとかおかないとか、五感にいるとか
いないとか、今にいようとか、
そういう動きをする「私」も、
単なる思考です。「意」です笑
特に五感にいれば、ってやっちゃうときって
「本当は五感しかない」
ってなりがちだけど、
いやいや、「意(思考)」も入れてあげてー。
意がないと、五感もわからないよー。
五感にいる、ってやってるときも、
しっかり「意」は働いてます笑
今この瞬間、その思考のことは
起こっていないのだから…も、
「その思考」が「今」起こってるんですよね。
「私」がその「思考」なんです。
そういう風に考えることなしにね。
なんか、色々散らかったかな…
と言いつつ、書き直さずにそのまま出します笑