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1つになりに行けば消えるの?

こういう記憶があります。

3年程前、
私は左肘を骨折しました。

ボーッと歩いてて、
スーパーの敷地を囲うチェーンにつまづいて
見事に左肘に全体重がかかるような姿勢で
こけたんですね。

それはもう、すごい衝撃を感じて
その場にうずくまりました。

だけどその日は
電車で帰宅しないといけなかったので
気合いで乗ったんですよ。

で、ちょうどその頃
あるスピーカーさんから非二元のセッションを
受けていて、
「痛みと1つになれば痛くない、痛みそのものなら痛くない」
と聞いていたので、
よし!これはいい機会だ!と、
電車に乗っている間、
呼吸を整えて、その痛み、そのズキズキと
1つになろうと頑張ってました。

それで、
痛みはなくなったかって?

そんなん、
ムリに決まってるじゃないですか笑笑

思考の言い聞かせが通用するのは
ある程度余裕があるときだけだと
思い知りましたね。

今思い出すと、
そりゃーツッコミどころしかないよね、って
話なんですが笑、
当時は真剣にやってたんですねー。

痛いという言葉は発せずとも
腫れたり冷や汗出たり、
それ相応の反応はやはり起こるってなもんです。

だけどね、

いつもいつも
言うなら真っさらの
いきなりのその起こりしかないのに
あえていうならその1つしかないのに、
1つになりに行こうなんて
おかしなことをしてるでしょー笑

そしてそして、

腕からこけた時の「!!」に関しては
もう既に終わってるんです。

この腕の骨折のときだけじゃなく
何もかも、
いつも、終わってるんです。
だから、
言い換えればいつも「今」なんです。

もちろんこれは、
時間の経過のことではないです。


が……

これを私達はどうしても
頭で考えて理解しようとする。


そうするともう
「時間の経過がある中でのこと」に
なっちゃうんですね。

思考になっちゃうんですね。

そして、「もう終わったこと」と
「今」を分けて
「眺める風思考」になってしまうんです。


こうして言葉として表した際にも
そのようにしか表現出来ないところが
もどかしいですけど。


「いつも今だ。全てもう終わってる」
と聞いて、
「それはつまり…」
とやりたくなったら、
時間の経過を指して言っていることでは
ないというのを
思い出せたらいいなと思います。

頭で考えることじゃないんだったと
思い出せたらなーと。

考えずとも、既に
それこそいま!!
そうだと、
ふと気づけたらいいなと思います。

PS 痛いもんは痛い!

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