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安倍文殊院から艸墓古墳への巡礼
7/29(KIN22)早朝からの探索を第1幕とするなら、朝食後に部屋に戻ってひと息入れ、チェックアウトしてからお昼前までの冒険が第2幕に当たっていたと言えよう。
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チェックアウト時にフロントに荷物を預けると「19」の札。流石にKIN19(6・嵐)から始まった年、そして、この暦の提唱者の一人ロイディーンの生誕114(=6×19)銀河スピン当日だけのことはある。第2幕の第一目的は、安倍文殊院だ。
少し前に、安倍昭恵さんが安倍文殊院を訪れた(安倍総理のお母様がよくお参りしていたらしい)ことをXに投稿していたと、北海道のY君(KIN20)が教えてくれたので、頭に残っていたのだ。この日のサイ時間KIN20(7・太陽)はY君の誕生キンであり、私にとっては神秘のパートナーにも当たる。この時空の組み合わせが既に神秘である。
事前調査で、そこが645年創建の華厳宗のお寺(東大寺別格本山)で、ご本尊が国宝の文殊菩薩像(快慶作)であること、境内には飛鳥時代の古墳や安倍晴明が天文観測をした場所もあるらしいことが分かった上、橿原の地で暗殺された安倍総理とも時空を超えて関係しているように思え、どうしても訪れておきたかったのだ。
出発したのは10時前だったが、友人達と再会の約束もしていた私は、11:30までに桜井駅に戻る必要があった。つまり、探索に当てられる時間は往復の移動を含め1時間30分ということになる。アプリによると、桜井駅から安倍文殊院までは徒歩23分と出ているので、私の足なら20分以内に辿り着けるだろう。
しかし、既に陽は高く昇っていて気温もぐんぐん上がっているのが分かる。最近手に入れたUVカットの帽子を被って歩き始めたが、すぐに汗が滲んでくる。おまけにアプリ上は問題なく通れそうな道が現地では高低差でショートカット不可能であることが判明したり、安倍文殊院の境内が思いのほか広かったりで、当初イメージしていた予定は一部変更せざるを得なくなった。
そういう時に必要なのは何を優先するかの判断だ。まずは国宝の文殊菩薩と思っていたら、入口の看板に「15年ぶり約1年間だけのお姿です。獅子から降りた文殊菩薩は同じ目線で参拝できる貴重なお姿となっています」とある。本堂の免震工事の関係で、普段は獅子に乗った状態にある文殊菩薩像が2024年7月から2025年5月までは獅子から降りた状態になっているらしい。
扇風機で空気を循環させているだけの蒸し暑い本堂は、地震対策以前に国宝の保存環境としてどうなんだ?と思うところもあったが、快慶作の文殊菩薩像はそんな疑問が吹き飛ぶくらいに見事で、しばし時を忘れて見入ってしまった。これまで目にして来た数多の仏像の中でも屈指の美しさで、その凛々しさには心打たれるものがあった。
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本堂を出て次に訪れたのは開口部が池に向かって開いている西古墳。結構な奥行きがある上、石組みが想像以上に精緻で驚かされた。後で調べてみると、全国に63しか無い国特別史跡の一つで、石舞台古墳、高松塚古墳、キトラ古墳と並ぶような扱いを受けていることが判明。まだまだ知らない名所があるものだ。西古墳を出てすぐの所に、池の中に建てられたお堂へと向かう橋がある。
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金閣浮御堂というそのお堂は比較的新しい建物で、拝観料を払うと「七まいり」のためのお札が7枚手渡される。曰く、一生のうちに思いがけない7つの災難に遭うのを取り除くのに、お堂の回廊を7回まわりつつ都度おさめ札を箱に入れ、その後、堂内に入って福を得るのだと言う。殆どアトラクションのノリだが、チベット仏教のコルラと同じ巡り方で7回というのが「7・竜」の私には響いたので、この国に降りかかる災難を取り除く意図で7回巡ってみた。
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六角形のお堂の周囲に設けられた順路は、裏手だけやけに細くなっていて、太っていたら挟まって動けなくなりそう...などという余計な心配をしたくなる作りになっている。他の参拝者がいると追い越しも出来ないので、7巡するとけっこう時間が掛かる。既に当初の想定よりかなり時間がオーバーしていたので、東古墳(中には入れない)、晴明堂、晴明天文観測池と駆け足で巡り、安倍文殊院を後にした。
次に向かったのは、文殊院の出口から300mほど坂を下ったところにある艸墓(くさはか)古墳。民家の敷地にある細い脇道を通り抜けて行くと、草に覆われた小山の下部に巨石が組まれた横穴が見えてくる。小山は方墳の名残で、横穴開口部からは奥行きが13mほどある石室が続いている。その奥に、竜山石製のくりぬき家形石棺がある(竜山石は兵庫県加古川流域産らしい)。
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どうやら石棺安置後に石室を作ったようで、石棺と壁の間は先の浮御堂裏手の通路よりも狭く、周囲を巡るには少々勇気がいる(それこそ身動きが取れなくなりそう)。西古墳もここも内部には湿り気があり、35度前後の外気温に比べると涼しく快適だ。最奥部から入口側を撮影したら、レンズの関係で赤と緑の光が写り(トップ画像)、パカルの翡翠仮面がカバーを飾る拙著とのシンクロを感じる(パカル王の石棺内部は赤い辰砂と翡翠の装飾品で満たされていた)。
その場で調べると、この付近の古墳はみな古代氏族阿倍氏との関係性が指摘されているらしい。そして、艸墓古墳が国史跡に指定されたのは、1974年6月18日であるとも記されていた。KIN3Dで調べると、何とKIN191(9・猿)。現在の自分の「運命の道筋」だ!それもあと13日だけ有効な道筋である(14日後の太陽暦誕生日からは「10・戦士」)。
それに、そこからぴったり50年後の6月18日(KIN241)、つまり私の77回目の誕生キンには、りーこワケワケさん(KIN43=4・夜)&武内一忠先生(KIN123=6・夜=パカル王石棺開封キン)と、ヒカルランドでジョイント講演会を行ったばかりだ。お二人のキン合計166が今上陛下の誕生キンになる事も含め、何か運命的なものを感じながらこの古墳を後にし、あと一つ考えていた谷首古墳に向かうかどうかを決める必要があった。
というのも、この時点でほぼ11時になっており、宿(駅の反対側)に預けた荷をピックアップして桜井駅に11:30に辿り着くには微妙な感じだったからだ。駅まで1.2キロを速足で行けば10分位で戻れるだろうが、預けた荷物を受取る時間を考慮すると15分。谷首古墳は駅とは反対方向に400mほどあり往復で10分弱、古墳をサッと眺めるだけでも5分位はかかるだろう。これだけで時間一杯ギリギリだ。
待ち合わせはJR桜井駅からひと駅の三輪駅に11:40としていたが、電車を一本逃すと次は1時間後になってしまうので際どいことは出来ない。軽いジョギングでなら巡れないこともないが、気温は更に上がりつつあり、睡眠不足状態でそれを強行するのは少々危うい。そんなことを思っていると、スマホの画面が突如暗くなってよく見えなくなった。
画面の明るさ調整をしようにも暗くて触れるべき場所が分からない。しかもバッテリーに問題があるのか本体も急に熱くなって来た。危険を感じた私は何とか電源OFF状態に持ち込み、様子を見つつ駅に戻る道を歩き始めた。谷首古墳はまたの機会にしようと決めたのだ。
後で、谷首古墳は県史跡で、国特別史跡の西古墳、国史跡の艸墓古墳と比較すると史跡としての重要度は低いことが判明し、巡り方はこれで良かったと思えたが、ネットで目にした谷首古墳の石組みが大変魅力的であることに変わりはない。機会を改めて訪れてみたいと思っている。
さて、艸墓古墳での多次元チャージが激しすぎたのか、再起動した後もスマホは熱く画面も暗いままなので、もう一度電源を落として暫く休ませることにし、私は桜井駅に向かって歩き続けた。駅までの距離の半分を過ぎた辺りで、何とも魅力的なアプローチの神社が左手に出現。若桜神社と書かれた案内板には、伊波我加利命、大彦命が御祭神とある。大彦命は桜井茶臼山古墳の埋葬者候補の一人だが、伊波我加利命は初めて聞く神様だ。
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調べてみると、伊波我牟都加利命の後裔とある。伊波我牟都加利命は『日本書紀』では磐鹿六鴈と表記される人物で、「第8代孝元天皇皇子の大彦命の孫」とあるので、伊波我加利命は大彦命の末裔とも言える。午前に桜井茶臼山古墳を巡っていて、1ヶ月ほど後には突如北陸を訪れることになったりしたので、今回の探索にはどうも大彦命が絡んでいるように思えてならない。
境内入口付近には「履中天皇磐余稚桜宮跡伝承地」という看板があり、鳥居の近くには「桜井市」の名前の由来となったとされる「若桜の井戸」が復元されていた。尚、磐余稚桜宮跡伝承地は、桜井市池之内という天香山の東側の地にも存在するようで、『現代語古事記』の第17代履中天皇のところにも、そちらの住所が紹介されている。
若桜神社参拝後、信号のある大きめの交差点まで来たところでスマホに触れてみると、温度がかなり下がっているのが確認できたので、電源を入れ直してみた。すると画面は元の明るさに戻り、主に利用する機能も全て正常であることが確認できた。これには大いにホッとした。最初の再起動で回復しなかった時には、帰路はスマホ無しの状態も覚悟していたからだ。
予定していた古墳の一つを次の機会に回したことで少し余裕が生まれ、猛暑の中を歩き続けながらも、何とか無事に宿に帰り着くことが出来た。僅か1時間半のミニトリップだったが、随分と深くて長い体験をしたように思う。以前、天香山を散策した時にも感じた重層的で多次元的な土地特有の感覚だ。その時の様子は『自分で感じ、自分で決める13の月の暦』第9章に記してある。
「19」の札と交換で預けていた荷を受け取り、冷房のよく効いたロビーで少し涼んでから、私は桜井駅に向かった。(D)
電気の月18日 1・人(KIN92)
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