「太陽の紋章」と「銀河の音」のキーワードについて
「太陽の紋章」と「銀河の音」のルーツを確認した事で、全ての情報源である『ドリームスペル(13の月の暦)』(*1)にはキーワードだけがあり、文章化されたものは全て、特定の日本人数名が勝手に付け加えたもの、つまり古代マヤで定められたものではなかった、という事実を明らかにした。
さて、「銀河の音」のところで少し翻訳についても触れたので、今回は、そのキーワードに少し深入りして説明をしておこう。
まず、日本に『ドリームスペル(13の月の暦)』を初めて紹介したのは、高橋徹さんである。細かい経緯は省くが、高橋徹さん&いづみさんご夫妻こそが、日本における健全で本来的な暦の普及の基盤を築いた恩人であり先駆者である。
もちろん、その他にもボランティア精神で関わった高潔な人々は何人かいらしたが、こと翻訳に限って言えば、殆ど全責任を一人で負って下さっていたのは高橋徹さんである。しかし、百人いれば百様の意見が出るのは当たり前で、徹さんが訳された用語に「違うんじゃんないか?」とか「こう訳した方が良いのでは?」等の意見を言って来る人は結構いたようである。
「太陽の紋章」や「銀河の音」の所でも書いたが、そういう人たちに特徴的なのは、全体の構造やホゼの語彙の多様さを知らずに、「その単語だけ」を見て文句をつけてくるという所。せめて徹さんと同程度に全体像を見渡してから何か言ってもらいたいものだが、部分だけ見る人だからこそ安易に文句もつけられたのだろう。
中でもタチが悪かったのは、後に偽マヤ団体大量発生の源を作ったM氏という人物だった。それなりに原著を読みこなしているという自負もあったようで、色々と細かく注文をつけて来たそうだが、公平性を強く意識されていた徹さんは、そんなM氏にも「じゃあ、一緒に協力して下さい」と申し出ていた。
だが、M氏はいざ誘いを受けると「私はそういう立場ではない」と逃げて、結局、協力することは無かったのである。後々、偽マヤ団体をはびこらせるだけの事はあって、いわば文句だけつけるクレーマーみたいな存在だったのだ。というより、その後の流れが証明している通り、ボランティアで暦に関わる事は避けたい商売人だったのだろう。
そんな背景もあり、日本で最初に制作された銀河ツール『テレクトノン』の制作準備段階で、PAN日本語翻訳チームが結成されたのだった。このチームは「自分一人の感覚では偏る可能性があるので、複数のメンバーで協議して訳語を決めたい」と徹さんが申し出られて生まれたものだったのである。
殆ど20年前の話なので、私の記憶も相当曖昧になっているが、メンバーは高橋夫妻、滝元隆伸さん(『マヤン・ファクター』監訳者)、私、他2名くらいだったと思う。頻繁に集まってミーティングを重ねては、様々な角度から検討が重ねられた。その結果が『テレクトノン』マニュアルの巻末に記されているので、以下に添付しておく(*2)。
見れば分かる通り「銀河の音」も、初期の段階では「銀河の音程」と訳されていたのだ。また、文中にもあるように、翻訳チームのメンバーは、「これが完璧な訳」などとは誰も思っていなかったので、より良い訳があればそれを取り入れる柔軟さも持ち合わせていた事は、改めて明記しておきたい。
しかし、その後に寄せられた新たな意見の中には、既に検討された以上のバランスと的確さを備えていると思われる訳語が無かったので、日本では英語版と順序が逆になって制作された『ドリームスペル』日本語版でも同じ訳語が採用されたし、拙著もそれに倣って『ドリームスペル』『テレクトノン』と同じ訳語に統一してあるのだ。
尚、ネットや書籍、手帳、ダイアリーなどで、同じ英語のキーワードから異なる邦訳がなされているケースがあるのは、ボランティアベースの銀河ツール(ドリームスペルやテレクトノンの事)の制作には一切関わっておらず、構造の統一性にも全く無頓着な人物が、個人的な好みで強引に変更を試みた影響による。
日本語の分からないホゼに、そう回答するしかないような誘導的質問をしておいて、目的の言質を取ったりするような卑劣な手法で変更されたものもあるので、この記事を目にされた方は、自分で英語と全体構造をよく見渡して、どれがしっくり来るかを自分の感覚で決めていただきたい。
ただ、「太陽の紋章」の記事にも書いた通り、もともとはテレパシー的なプロセスで生み出されたツールなので、訳語以前に『ドリームスペル』が伝えようとしている本質(13:20の働き)の方に注目して行く方がより重要なのは、言うまでも無い。
(*1)『ドリームスペル』はその後、アグエイアス夫妻が「13の月の暦に替える平和の運動」として世界を巡る時に『13の月の暦』とも呼ばれるようになった。つまり、この2つは実質的に同じものである。
(*2)写真は19年前の「太陽の月28日、KIN140」に書かれたもの。今ひとつ記憶に自信はないが、おそらく文章のリズムから見ても、下書きくらいは私がしたのではないかと思う(全部自分の可能性も高い 笑)。