『かぐやびより』に観る人の自然な営み
GW最終日の5/8(KIN250)、藤沢・鵠沼海岸にあるシネコヤというミニシアターに『かぐやびより』というドキュメンタリー映画を観に行った。亡命チベット人の少年を追ったドキュメンタリー『オロ』を通じてご縁が出来た津村和比古さんが監督をされた作品で、ここ数年の制作プロセスについても少し耳にしていたので、上映期間中にぜひ訪れたいと思っていたのだ。
過去記事にも何度かご登場頂いている通り、津村さんは、伊勢の式年遷宮公式カメラマンやNHK日曜美術館のカメラマンとして、聖地における秘儀的場面や歴史的芸術作品を間近で撮影し、そのオーラを肌で感じて来られた方。その津村さんが福祉施設「さんわーくかぐや」に何を観て、何を感じられたのか。そんな事を思いながら会場に向かった。
本来はその日(母の日)が千秋楽だったという事で、上映後のミニトークでは、津村さん、さんわーくかぐやの藤田さんほか、映画に出演されていた方からのお話もあって、何とも温かな気持ちにさせられたが、映画に対する私の率直な感想は以下の通りである。
皆で食べ、耕し、働き、創り、収穫し、踊る。嬉しくなったり、悲しくなったり、苦悩したり、自分の世界に没頭したりしているかと思うと、やる気が起こらずゴロンとし、思わず話しかけたくなってハグをし、ただ話を聞いたり、励ましたりもする。皆で揃って食事ができる長いテーブルや、色々なものが作れる工房、竹林、畑、鶏たち。
「おはよう」「さようなら」と挨拶をし、土に触れたり、刃物を使ったり、何かを作ったりするシーンが多かったことも含め、この施設の日常には、人類が遥か昔から続けて来た暮らしがそのままあるように思える。ある意味ただそれだけなのに、心が温まり、観る人を元気にする力があるのは、そういう事こそが人間らしさの基盤だからではないだろうか。
逆に言えば、福祉施設に限らず、あらゆる職場や学校、時に家庭内でも起こっている記号的な関係性(例えば職員と利用者など)と、それがもたらす分裂感や依存性に、現代人は疲れているのかもしれない。だからこそ、「さんわーくかぐや」で見られる「素のままの人と人との交流」に、何とも言えない安心感を覚えるのだろう。
通常、撮影に当たっては様々な準備をし、条件を整えてから進められるという津村さんが、「今回は直感に従っていきなり飛び込んでみた」とおっしゃったのも、自然で開かれた場に対しては、そういう手法の方がマッチすると感じられたからではないかと想像する。
出演者が皆、偶々これまでの人生で出会った誰かとよく似ていた事もあって、私は何重にも既視感を覚え、そのことが余計に「人類が遥か昔から続けて来た暮らし」という印象を強めたようにも思えるが、そのような偶然を抜きにしても、やはりこの映画には普遍的な人の営みの温かさのようなものが映し出されているのだと思う。
上映期間が5/29(日)にまで大幅延長されたのも、多くの人の心にじんわりと響くものがあるからに違い無い。シンクロニシティを体験的に探求してきた私は、自然性とシンクロは一体だと考えるようになったが、上映後のミニトークで藤田さんが語られた日付に関するシンクロも、今回の上映が自然な流れに沿っているからだろう、と思ってお聞きしていた。
シンクロと言えば、上映開始前にも大きな驚きがあった。「映画と本とパンの店シネコヤ」は、映画への愛が一杯詰まったとても素敵な空間で、1F奥の書棚には映画関係の本や雑誌がズラリと並んでいる。到着時、上映時間までまだ時間があったので、カフェコーナーでパンとスイーツを頂きながら、ゆったりティータイムを楽しんでいた。その時頂いたパンがあまりに美味しく、上映前にLが天然酵母パンをgetしたほど。
だが、驚きはそれとは別な所にあった。映画雑誌『キネマ旬報』のバックナンバーが何十年分も揃っているので、私はふとカメラマンだった伯父(故人)が関係した作品が掲載されている号もあるのでは?と少し探してみることにした。そして、見つかったのが70周年記念特別号。その号で『千利休ー本覺坊遺文』が特集されていたのだ。
特集記事の中では、あの淀川長治さんが伯父の映像美を讃える文を書いていて、嬉しくなった私はその部分を記念撮影させてもらった。すると、シネコヤ2Fの上映会場に案内された直後、普段は米国にいる従兄弟(伯父の息子)がまさに今、実家に立ち寄っているという連絡が入ったのだ。これには流石に私も驚いた。従兄弟が実家に寄るのは、せいぜい年に1回くらいの事だからだ。
実は、この日午前に行われた「時のからだ塾」で、利休についてもチラリと触れていたので、膨大な量の『キネマ旬報』の中から、伯父が撮影した利休関連の映画特集記事を見つけられただけでも結構驚いていたのだが、まさかドンピシャのタイミングで従兄弟とも繋がるとは思わなかった。そして、記事画像を転送したところで、『かぐやびより』の上映が始まったのだった。
津村さんのお陰で、伯父と従兄弟と「時にかなって」再会出来たように思う。思えば、津村さんと伯父の表情にも、ものすごく似ている所がある。美を追うカメラマン特有のものなのか、ただの偶然なのかは分からないが、『かぐやびより』に刺激された人類史レベルの既視感が、その事に気づかせてくれたように思う。きっと『かぐやびより』は、根源的な人の繋がりを思い出させてくれる懐かしい映画なのだ。(D)
*トップ画像:津村監督と
スペクトルの月11日 7・魔法使い(KIN254)