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五島のヘイアウと盃状穴、そして虹のサイン

10/3(KIN88)の未明に玄関先で日課の体操をした時には全く気づかなかったが、朝食後に近藤さん宅から戻って来た時、玄関軒下と柱のところに、脱皮した蛇の抜け殻が2匹分あるのを絵美さんが教えてくれた。絵美さん的には特に嬉しいという訳でもなさそうであったが、これはとても縁起の良いことだと周囲の人々が盛んに言うので、一応、そのままにしているらしい。

実際、絵美さんはバラモン凧の伝統を受け継いでから、第1回長崎松下財団アワードで若手奨励賞を授賞されたり、2025年にはインドで行われる伝統凧の世界大会にも招待されたりと、活躍の場をどんどん広げられているので、蛇の吉兆の話にはそれなりの真実味があると言えよう。こちらの都合では動いてはくれないものだからこそ、自然現象はお告げとして機能するのだ。

その後、ひいお祖母さんが唄の練習に使っていたという直筆の冊子や、予科練に所属されていたお祖父さんと、その時の司令官の方の写真などを見せてもらいながら、不思議なご縁で時空(=心)の回路が再接続して来たプロセスを、絵美さんから色々とお聞きすることが出来た。

miccoさんとkazさんが古典フラの正装に着替えて準備が整ったところで出発。向かった先は黒っぽい岩肌の溶岩海岸が続く勘次ヶ城(山崎石塁跡)という遺構。以下は現地にある看板解説からの抜粋だ。

江戸時代末期に、勘次という船大工が当地に居生していたことからの呼称である。勘次は腕のいい大工であったが、富江藩の大船を建造中に突然行方をくらましてしまい、皆が心配して、捜し回ったところ、玉之浦の海岸にて正気を失った姿で見つかった。その後間もなく、人目を避けるように石塁跡に居住するようになり、「この石塁は毎夜河童と共に築いたものじゃ」と村人たちに語っていたといわれている。

「勘次ヶ城」の石は、人頭大の火山礫によって整然と蛸壺状に構築された構造物で、中世の大陸貿易や倭の活動拠点、または江戸時代の抜荷(密貿易の拠点であったと伝えられている。

つまり、実際のところは由来がよく分かっていない遺構ということだが、武内先生は以前この地を訪れた時に、ここが海洋民族ラピュタにとって重要な場所で、ハワイのヘイアウ(聖域)のようなところなのではないかと直観されたのだった。そして、今回、miccoさん&kazさんにこの地で祈りの儀式をしてもらうことで、遺構本来の働きが活性化し始めるのではないかとイメージされているようでもあった。

看板のある場所よりももっと奥の草が茂っている場所を足で踏み鳴らしながら進み、直感的に祈りを捧げる場所と向きを定めたmiccoさん&kazさんは、手順を踏んで儀式を執り行い始めた。ハワイで古典フラの先達から受けた祈りの歌と踊りを奉納する姿は、ヘイアウのような風景ともあいまって、まさにネイティブハワイアンそのもののように見える。

絵美さんが連絡した長崎新聞五島支局のUさんも合流し、儀式が無事終わるのを共に見届けた。海の方を見ると、沖合の雨雲の下に雨柱が3,4本立っているのが確認できたが、miccoさん&kazさんによると、儀式の後には必ず天からの応答でそのような現象が起こるのだと言う。

勘次ヶ城から丸子集落に戻る途中、既に以前のリサーチで盃状穴が見つかっている神社や祠など数箇所に立ち寄りつつ、武内先生が新聞社のUさんにその背景を解説(数日後の長崎新聞に記事が掲載された)。盃状穴は古代の祭祀で用いられたドルメンに刻まれていた可能性があり、それが後に建立された神社などで転用され、踏み絵のような形で階段の最上段や、何かの礎石等として用いられるケースが多いという。

お昼前に丸子に戻り、今度は新聞社の方も一緒に再び近藤邸へ。結局、五島での食事は全て近藤さんのところで頂く形になった訳だが、お昼に頂いた五島うどんもまた美味であった。昨夜食べきれなかった天ぷらにも五島名産の椿油がふんだんに使われていて、それを自家製の自然塩で頂くのだから贅沢この上ない。

ひとつとして同じ形は無いという椿の種を、近藤さんはザル一杯見せて下さったが、敷地内で取れるこうした種を、専用の装置で絞ってもらって自家用にするのだそうだ。黄金に輝く搾りたての椿油は味も素晴らしいが、見た目もうっとりしてしまうような美しさだ。酸化防止にも優れているので刀や包丁の保護に塗る油としても重宝されるものだが、そんな貴重な油を瓶詰めにしてお土産にと下さるのだからこのご夫妻は太っ腹である。ただただ感謝の気持ちでお世話になった近藤邸を後にした。

長崎に戻るジェットフォイルは16:05発で、あと3時間余りある。miccoさんのリクエストで向かったのは五島列島で最初に建てられた堂崎天主堂。40分ほどで到着した天主堂の手前には、新月の大潮で剥き出しになった「りんご石」が某社製品のロゴのような姿を見せてくれていた。

堂崎天主堂は260年続いた禁教弾圧の歴史の終わりを記念するキリシタンにとってのシンボルであり、五島出身の聖人・聖ヨハネ五島を含む26人の殉教者(日本26聖人)に捧げられた聖堂でもあったことを、現地で手にしたパンフレットを通じて後で知ることになった。海辺の緑の中に浮かぶように佇む聖堂を、私は海風を浴びながらしばし眺め、信仰に対する思いを馳せた。

カフェで一服してから最後に立ち寄ったのは、武内先生推しの福江城(石田城)跡。この城跡の石垣は、非常に高度な石組みが成されていて、五角形とか丸型とか不規則な石を組み合わせつつ隙間なく積むことで、石工たちがその技術の高さを見せつけているのだという。確かに、こんな形の石をどうやってここまで緻密に積み上げたのか、ちょっと想像がつかない。

お世話になったレンタカーを返し、出航時間までターミナルでお土産タイム。来た時には気づかなかったが、ターミナルにはバラモン凧がいくつも飾られていて、その中には絵美さんの師匠筋の方の作品もあった。ちなみに、絵美さんが記念に一人一人名前まで入れてプレゼントして下さった「光るバラモン凧キーホールダー」は、このターミナルの「南松海産物」というお店で手に入れることができる。一つ一つの絵を手描きしているという逸品だ。

再会を期して、丸二日間お世話になった絵美さんともお別れ。次に会う時には、絵美さん作のバラモン凧が、うなり音を上げながら空高く舞う様子も実際に見てみたい。海は前日よりかなり落ち着いたようで、帰りのジェットフォイルは殆ど揺れを感じないまま長崎港に到着。

そして、長崎港ターミナルでmiccoさん&kazさんともお別れ。ある面あっという間だった気もするが、劇的ルルドシンクロで始まった3日間はとにかく密度が濃かった。ひと月後に京都で行われるアースファミリーフェスティバルで再会する予定だが、きっとそれまでの時間もあっと言う間だと感じるのだろう(事実その日は既に明後日に迫っている)。

それにしても、武内先生にはお世話になりっぱなしであった。まず何より五島への旅に声を掛けて下さったことに感謝したい。また、長崎でも五島でもずっと車の運転をし続けて下さったこと、時に適った完璧な巡り方をして下さったこと、そして、絵美さん、近藤さんご夫妻という素晴らしい方々をご紹介下さったことなど、とにかくただ感謝の気持ちしかない。

3日間ご一緒したことで、先生が常にラピュタの視点でものごとを考え、行動されているのを改めて実感することが出来た。実に貴重な機会であったが、一方で、私には私なりの文脈があり、長崎空港に向かう道の正面に「虹の柱」が現れたのを発見した時にも、ミッションコンプリートのサインとしてそれを受け止めていた。

現象面だけ捉えれば、先生のお誘いでちょっと五島に遊びに行っただけという話になると思うが、「13の月の暦」を使うようになってからの私は、それがどんなミニトリップであろうと、その時、そこに行く理由があるからこそ行くことになる、という感覚をはっきりと持つようになった。そして、そのプロセスが成功裡に終わると、ちゃんと分かるようなサインが届くことも体験し続けて来た。

ひとつ前の【丸子の自然な暮らしから生まれるバラモン凧】に書いた通り、出口太さんが五島市長に就任したことも、私が今回五島に行くことになった理由の一つだと、勝手ながら思っているのである。それは暦の情報を通じての理解でもあるし、もっと別な感覚からそう思うことでもあるのだ。せっかくなので、以下、五島にまつわる後日談を少し記しておきたい。

東京に戻って2週間余り経った10/20(KIN105)、中野で行われていた友人の書道教室展に向かう途中、9月に五島の主だった島々を全て巡ったというSさん(KIN77)にバッタリお会いした。その帰り道、電車で目の前に座った方が読んでいたのは、何と『海の国の記憶 五島列島』という本で、しかもそのカバーは奇跡の晴れ間を体験した大瀬崎灯台であった!

そこから5日後の10/25(KIN110)、今度は西荻窪で行われていた別な友人の書道教室展に行くと、私が昨年臨書したのと同じ題材をHさん(KIN77)が臨書されていた。実は、前述のSさんとはこの時、4人でランチに行く約束をしていたので、そこで五島の旅の話を互いに共有することにもなった(Sさんは毎日宿が違ったとか船で細かく移動したとか)。

そこからまた更に5日後の10/30(KIN115)、【五島のルルドと五角形に開いた青空】という記事からの抜粋文をFBでシェアしたところ、先のHさんが「8月に五島を訪れて、台風10号で島に閉じ込められた」というコメントを入れて下さっていた。つまり、8月にHさん(KIN77)が、9月にSさん(KIN77)、そして10月に私が五島を訪れたことになる。

書を通じて縁のある友人、それも全く同じKIN77(12・地球)のお2人が、ほぼ同じタイミングで五島を訪れているという不思議。しかも、KIN77(赤い水晶の地球)は311東日本大震災のキンで、同時に武内先生やmiccoさんとご一緒した「世界水まつりin阿蘇2024」2日目の日付でもある。更に言うなら、そのお二人と再会する予定のアースファミリーフェス京都の呼びかけ人、優花さんが来年ハワイで予定している大切な儀式の日付でもあるのだ。

そして、五島の旅の記録を、どうしても京都の前に書き終えておかなければという自分なりのミッションに基づいて、何とか書き上げた今日KIN123(6・夜)は、何と、武内先生の誕生キンである!同時にそれは、パカル王石棺開封101銀河スピン、吉野ヶ里謎の石棺開封2銀河スピンに当たっていて、今日から260日後は、今年「青い律動の嵐の年」の「時間をはずした日」にも当たる

こういう周期が分かっているからこそ、今日までに仕上げなければと言う気持ちにもなるのだ。時に適う体験をするには、自分も時に適うよう振る舞う必要がある。五島の旅についての記録を、何とか間に合わせることができて少しホッとしているが、京都に行く前に、もう一つ絶対にまとめておきたいことがある。それは、アースファミリーフェスティバルが京都で行われる銀河的理由でもあると、私が観ているポイントだ。(D)

自己存在の月21日 6・夜(KIN123)

🌟12/14(土)神楽坂「ツォルキンとサイ時間単位の5:7」
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12/21(土)横浜「 13の月の暦レクチャー冬至スペシャル」
🌟時のからだ塾 新塾生若干名募集中

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