父が逝きました。


月の初めの夜11時。

私の携帯が鳴りました。

こんな時間に電話

まさか、、、

その予感は当たりました。

実家の父が入院している病棟の看護師さんからでした。

お父さんの呼吸の状態が悪くなりました。酸素濃度も低くなっています。ご家族の方皆さんいらっしゃれますか?

去年の秋ごろ
自宅の庭で転んで救急車で運ばれて入院。

見事な大腿骨骨折

年齢が90歳ということもあり
手術するか悩みましたが
不自由ながらも歩けるようになって、
家に無事に帰ってくることを願い、
手術をお願いしました。

無事に成功し、
病院でリハビリ、
その後は老人保健施設、いわゆる老健ですね
そこでリハビリを頑張って
家に帰る

それが家族の願い

認知症の症状もあまり無く
ゆっくりとはいえ一人で歩け 
身の回りのことは自分で出来る父だったので

きっとそうなると信じて疑わなかったのですが

入院という環境の変化には抗えなく
体力は落ちていき
何よりも生きる気力がどんどん無くなっていったようです

・・・ようです

と言うのは
入院中の父にはほとんど会えなかったからです

5類となった新型コロナウイルスは
世間では以前ほど心配されなくなりましたが

病院は別世界

面会は月に2回

家族限定で3人まで15分

これでは
父の様子もわかりませんし
励ますこともできません

携帯電話を持っていましたので
最初のうちは
こちらから掛けたり
父からかけてきたりしたのですが

話が一方的だったり
会話のピンポンができなかったり
意思疎通が難しいのです

それも段々と減っていき
かけても出てくれなくなりました 

時を同じくして
病棟の看護師さんから
こんな連絡が来るようになりました

あまり食べないんです。。。

食べる時もありますが
どうも食が進みません。

しばらくしてリハビリ病棟に移ってからも
なかなか食が進まず
リハビリのための栄養が摂れずに中断することも。

リハビリは頑張ろうとしているとのことで
病棟スタッフの皆さんが
あの手この手で食べるように工夫してくださったり
本人が好きなものを家族が持っていったり
なんとか食べれるように周りも頑張りましたが

骨折して体が思うようにならず
入院という環境に慣れないというか、
入院している自分を否定し続けているように見えました。

家族も数少ない面会の日に
なんとか励まそうとするのですが
うまく伝わらないもどかしさ。

ある日
担当の医者から相談があるとの連絡があり、
病院に駆け付けた私に告げられたのは
これからのことでした。


先生の話では、このまま食べられない状態が続き、
栄養を摂る点滴が取れなくなること。(血管がか細いため)、
次のステップを考える必要があるとのこと。
今のうちから家族で話し合って、申し込めるところは申し込んでおくこと(受け入れてくれる病院や施設)

提示されたのは、、、

①経鼻胃管(鼻から管を入れて栄養を摂る)
②胃ろう
③CVポートから高カロリー輸液
④療養型病院にて自然に看取り
⑤自宅に戻って看取り

ただし①については
父が管を外そうとしないことが重要。
その時も点滴を抜こうとするので、
やむを得ず両手にミトンをはめています。
ほとんどの施設の場合、拘束はできないので
防止のためのミトンなどを付けられない。

昔の手術で胃の切除をしている父は
②も難しいとのこと。

③に関しては病院でしかできないが
転院先が見つかるかどうか
(この説明は私の記憶があやふやです)

先生はそれでも
①の経鼻胃管でミトンOKの施設を探すのが
ベストだとのお考えでした。

でも④と⑤
看取りって???

ショックでした。。

つまり点滴や管を通しての延命治療は
一切行わない。
自然に命が尽きるまでケアをしていく。

そこまで考えなくてはならない状態だということが。

入院前は
介護認定が要支援1。
最も軽い段階でした。
ところが入院後の区分変更で
要介護5。
最も重いものになってしまいました。

家族としては
信じられないことです。

でも、これが現実なのでした。

その後、ベテラン看護師さんに
そっと耳打ちされたのは、、、

先生の立場からはそうおっしゃってますが
身近でお世話する私たちが考えているのは
患者さんがどう苦しくなく過ごせるかです。
90歳という年齢を考えると
私は自然に看取るのが良いのではないかと思っています。
ご家族でよくご相談なさってください。

これは
現場で患者の世話をする方が
私に現実を見なさいと
本音でお話ししてくれたと思いました。

病院でリハビリ3か月
老健でリハビリ3か月
春に自分のことは自分で出来るようになって
家に帰る。。。

そんな風に思い描いていたこととは
まるで違ってしまいました。

この時のことを思い返すと
今でもやるせない思いでいっぱいになります。

このことを
母や妹に伝えるのも辛かった。。

でも、決めなくてはいけません。

話し合った結果
お父さんにこれ以上苦しい思いはさせたくない。
積極的な延命措置はやめよう。
つまり
もしこのまま食べられなくなって
点滴もできなくなったら
看取りの病院へ転院する
ということでした。


でも、
もし何かがきっかけで食が戻ったら、
予定通りにリハビリを続けられる可能性もある、
そんなスタッフさんのひと言にすがる希望。


年が明け
しばらく経った頃に
病院から電話が来ました。

お父さんの血圧が低くなって危ない状態です。
先生からお話がありますので
家族の方皆さん集まれますか?

急いで駆けつけると
点滴により血圧は安定してきたとのこと。
でも、このままだと栄養のための点滴も
無理になるのは時間の問題だとのこと。
先生からは
万が一の時に心臓マッサージなどの
延命処置をするかどうかを決めてくださいと
言われました。
その場で話し合い、それはやめてほしいことを告げました。

思い切って先生に問いました。

父はあとどれくらい生きられますか?

言葉に詰まるようにして答えてくれた先生。

1週間かもしれないし2週間かもしれない。
人によっては数か月ということもあります。
お父さんの体力生命力次第です。

そして
それぞれ職場や家に戻ったころ
また病院から電話がありました。
先ほどの担当医からでした。

足からの点滴がもうだめなので、
鼠径部にCVカテーテルを入れての点滴に変えても良いか
とのことでした。
なんでもこの処置は本人か家族の了承がなければできないものらしいです。
もちろんOKしました。

それでも
父の命の未来の長さは
変わらないのだ。。。

それを自分に言い聞かせ
とにかくお父さんが苦しまずにいられますように。
それが唯一の願いでした。


その約2週間後
予約していた面会のために病室を訪れると、
母と私の呼びかけに
眠っている父が目をあけました。

母が
「誰かわかる?」と聞くと
小さな声ながらも
「ばあちゃん」
と答えたのです。

スタッフさんからは、
声をかけてもほとんど反応がないと聞いていたので
驚きました。

家族が居れば
やっぱり違うんだ。

生きる力が残っている。

さすがお父さん。
しぶとさが持ち味だったもんね!
↑褒めてます
口の悪い娘でごめんね。。


その面会から約2週間後

冒頭の病院からの電話で
病院に駆け付けた家族に別れを告げるように、

呼びかけた声にしっかり最後の反応を残し、

父は逝きました。

優しい、優しい父でした。

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