触れることの大切さ
最近気づいた。
触れることは大切。
私は虫が苦手だ。
足とか節とかが多くて気持ち悪い気がするし、いきなり飛んでくるし、ちょっと怖い。
都会の潔癖な環境に育ったことも大きい。
(虫好きの方へ:もし自身の苦手な生き物がいれば置き換えてください)
でも田舎に住んで、かなり克服してきた。
単に虫がたくさんいるから慣れたというのもあるのだが、それだけではない。
徐々にではなく劇的に克服したきっかけが、虫に触れること。
虫が嫌いなので自分から触れることは決してできないのだが、
森でキャンプをしていたら、問答無用で地面からワラワラと、アリやらバッタやらの虫が身体に登ってくる。
嫌だと思って払いのけても、また次がくる。
キャンプ中はいろいろ忙しいので、そのうち、まあいいかとなってくる。
敵だと思っていた虫が、自分の上をただトコトコと歩くのを肌に感じていたら、
なんだいいやつじゃん、と直感的に思った。
(吸血虫とかでなければ)別に悪いことしないし、
案外気持ち悪い感じもしない。
逆に、触れていることで、そいつの存在、生命の営みがより確実に感じられて、私と同じようにただ生きてるじゃん、という仲間意識が湧いてくる。愛おしくさえなってくる。
ただし、嫌いな虫が急に突撃してきたとかは、パニックになるだけで最悪。決してそういうことではない。
必ず自身が冷静な状態で、そいつの存在を確実に肌で感じること。
同じ世界で同じように生きているのを身体で実感すること。
そうするとだんだん、ナウシカがテトを肩に乗せてキャッキャしているみたいな状態に少し近づける気がする。
絶対に触りたくないイモムシも、偶然に一度触れてみると、あれ、なんだ大丈夫じゃん。となって、もう一回触ってもいいような気がしてくる。途端にかわいくなってくる。
で、ここからが重要なのだが、
これは虫だけでなく、何にでも言える。
人間にも言える。
外国に長らく住んでいた(初対面に近い)知人と会ったとき、
ハグまではしなかったが、挨拶になぜかハイタッチを求められることがあった。
ボディタッチ文化に親しみのない私は戸惑いながらも応じた。
これが、ハイタッチをしてみると途端に、心が打ち解けたように、互いの距離が近くなったように感じた。親しい相手だ、と身体が判断した。
触れたことによって脳が本能的になんらかの処理をしているに違いない。
(※注 望まない相手が身体を触ってきた、セクハラしてきたなどは、嫌いな虫が急に突撃してきた場合と同様です)
虫でも人間でも、触れることでその存在が、より確かに、目で見ていただけのときよりもはるかに確かに感じられる。
対象の動きや温度を肌で感じると、大袈裟にいえば、
「こいつ、生きている! そして今、私と同じ、ここにいる!」
と思う。すなわち同志である。
逆に、一度も触れていないものは、どこかバーチャルな存在だ。
それは映像や、幻覚でも同様に体験できることなのだから。
対象が生きていて今ここにいるのが、頭ではわかっていても、身体レベルではわかっていないような。
日本人はボディタッチ文化がほとんどないので、これは損だなぁと少し思う。(そのよさもあるのだろうけれど。)
ハグやキスなどの欧米の挨拶は、人間関係をよくする側面を少なからず持っていると思う。
特にコロナ禍になってからというもの、触れてはいけない、近づいてもいけない、口元を出してもいけない、という状況が続いてきた。
別にそれが嫌では全然なかったのだが、
人間同士の本来的なコミュニケーションは明らかに希薄になった。
本来的なコミュニケーションとは、
電子情報や文字情報を挟まない、
生身の人と人との対峙。
互いの表情や仕草の機微、気配、空気感を、生き生きと感じ取ること。
忌憚なく言葉を交わし、もっと言えば、忌憚なく触れ合うこと。
触れ合うことはつまり、言葉を超えたコミュニケーションであって、頭ではなくて、身体でわかる。
相手の確実な存在が、ただわかる。
これは重要なことである。
知識や予測ではなくて、真の意味でわかるのだから。
ともに生きているという証であって、それは安心の材料であり、喜びである。
だから、できることなら何にでも、どんどん触れていきたい。(迷惑かけない範囲で)
それはなかなか容易なことではないが、
そのことで自分にとっての仲間を増やし、生きやすくなると思うと、かなり価値があることだと思う。
そうやってこの世のあらゆるものを、心の底から愛せるといいなあと思う。きっといろいろなことが上手くいくだろう。(最初からいない)敵は消え、争いをする気は失せるし、愛は返ってくる。
だから、子どもみたいにいろいろなものを手で触れてそれを感じ、またさらに五感を使って、嗅いだり、ものによってちょっと口に含んでみてもいいだろう。
そのなにかを、知識でなく、実際に感じ取って知ることで、知識から理解、また自分との繋がり、延長のようなものになると思う。
世界のそんな認識を目指して触れる活動に邁進したい。