三浦春馬 出演ドラマ「おカネの切れ目が恋のはじまり」(下)

「カネ恋」は、最後の春馬君が映っている。
だから、このドラマと向かい合うのは、正直言ってしんどい。
けれども、このドラマを観終わった後に思ったことは、残しておいた方が良い気もするので、「カネ恋」が終わって1カ月が経ち、そろそろほとぼりも納まった今のタイミングで、静かに書き置いておきたい。
なお、私はシナリオブックは読んでいないので、ドラマだけを見ての感想であることを書き添えておく。
それから、今も気持ちが沈んでいる人は、この記事の最後の方にはまた悲しいことを書いているので、読むのは控えてもらった方が良いかもしれない。

この記事(↓)からの続き。

第3話「恋の終わり。そして、はじまり」

涙のキス!?運命の人はあなた!!

風光明媚な鎌倉の街の中をウォーキングする玲子。本来ならば、鎌倉の様々な観光スポットやショップともタイアップする予定だったのだろう。もっともっと鎌倉っぽいところがドラマの中で出てきたかもしれないのに、そうでもなくなってしまって残念。

慶太は、まりあの友達にまりあの婚約者として紹介されていたが、これはこの後の回でどう回収するつもりだったのだろうか。まりあの気持ちは慶太に向かうのか。慶太の気持ちは玲子に向かうのだろうけど、優しい慶太は、まりあにどこまで付き合ってあげたのだろうか。ここで、まりあ、玲子、慶太の三角関係でも生まれたのだろうか。ここも見れなくて残念。

慶太がカフェテリアにやってきて、玲子の横で、お小遣い帳に「ランチ3500円×6 21000円」と書き込むのだが、そのお小遣い帳の上の方にはこう書いてある。

  ヒーと ットコーヒー(甘いのはガマン!!)900円
ホネホネモンキーくん 330×5種 1650円
朝おやつ 720円

ブランクのところは見切れていてわからないのだが、アイスコーヒーとホットコーヒーと書かれていたのかもしれない。「甘いの冷たいの温かいの」のトライアングル飲みのうち、甘いのだけは我慢したのかも。可愛いぞ、慶太!ところで、ホネホネモンキーくんって何?カルシウムがいっぱい採れる猿型クッキーみたいな?

そして慶太は言う。

「恋は毎日誰にだってできるけど、結婚って、生涯この人一人を大切にする、そういう運命にゴロゴロピッカーン!って稲妻みたいに打たれてするもんでしょ。」

このセリフ、覚えておこう。

それにしても、このドラマには「3」という数字が頻繁に出てくる。この話だけでも、慶太は33歳、玲子の周りにいる男性は3人、玲子が早乙女に送ってしまったLINEのスタンプは3連打、慶太の飲み物トライアングル(三角形)、玲子が持つアクセサリーは3種類だけ等。この「3」はきっと何かの伏線だったのかもしれない。

早乙女を訪ねたガッキー。蕎麦屋で早乙女の怪しい勧誘トーク炸裂。瞬きしながらの早乙女の「素晴らしい!」が面白い。高額な受講料に驚いて帰ろうとするガッキー、ちゃんと自分の分のお蕎麦代を払おうとして律儀だな。「ご飯食べた?一緒に行こう。」って誘ったのは早乙女なのに。早乙女は、一切奢ってくれないのねー。

学生服姿の慶太。これってどっちなんだろうか。「まだまだ高校生役もイケますね!」なのか、「いや~、もう高校生役はキツイでしょ!」なのか。笑っていいのか微妙なライン。どちらかと言えば、ここはコントばりに老けた高校生を演じた方が面白かっただろうとは思う。

デートに向かう早乙女と玲子の後ろ姿を見た、慶太の表情。もう慶太の恋は始まっている。手放しで二人を応援しているわけではない、でも玲子の幸せは願っている。そういう慶太の複雑な思いが伝わってくる。

デートの翌日、落ち込む玲子に

「猿彦を抱くとね、脳内から何とかドルフィンっていうホルモンが出て、癒し効果があるんだって。」

と慶太は言う。慶太は本話の冒頭で猿彦を抱いて寝ていた。慶太は毎晩、猿彦に癒されながら眠りについていたのかしら。

場面は飛んで、雨降るテニスコートで玲子と早乙女を見る慶太。早乙女の手を握る玲子を見て、小さく頷き、立ち去る慶太。もう玲子と早乙女の二人の姿を見ていられなかったのだろうか。慶太の玲子に対する気持ちがどんどん見えてくる。

その後、家に帰ってきた慶太。気のせいだろうか、髪の毛短くなってないか。繋がり大丈夫?

振られたっ!早乙女さんに振~ら~れ~た~っ!

って泣き喚き始めてからの玲子が面白い。

竿竹屋~、竿竹~って聞こえてくると、早乙女~早乙女~って聞こえるし!

このセリフ、傑作。声を出して笑った。玲子さん、かなりの重症でしたね、恋の病の。慶太のあの涙は台本にあったものだろうか。玲子の心の痛みに寄り添って流れた涙だろうか。慶太って共感する力の強い人だったのかな。これまでの慶太からすると、あのシーンは泣き喚く玲子を見て、優しく微笑んで頷くだけにしそうだと思ったから、あの涙は意外だった。雷が落ちた後の可愛いキス。春馬君の最後のキスのお相手は松岡茉優ちゃんってことかな。

ここで、この話の前半のゴロゴロピッカーン!に戻ると、慶太は「結婚は稲妻に打たれたようにするものでしょ。」と言っていた。雷が「落ちたなぁ。」って慶太も言った。となると、この二人は最後は結婚したのかもと想像する。

第4話「過去への旅」

会いたい…最愛の人涙の再開と恋の結末

冒頭の布団に寝っ転がっているシーンを除いては、慶太は回想シーンだけでしか出てこなかった。びっくりするぐらいに出てこない。15分拡大の最終回だったけれども、色んな登場人物が入れ代わり立ち代わり、慶太への思いを口にする。もうそれは、慶太にというより、俳優・三浦春馬に対しての思いではないか。もう慶太は出てこない、いや、もう三浦春馬がこの世にいないという現実を、残りの約70分間を掛けて、一人一人のセリフを通じて突きつけられたような気がする。シーンとしては、あの布団から出た手が、春馬君の最後の演技だったんだ(ドラマの中で使われたシーンとしての最後。撮影したタイミングが最後という意味ではない。)。とてつもない寂寥感がぐわ~っと下の方から込み上げてくる。本当に春馬君は、キリの良いところでも何でもなく、途中で突然いなくなってしまったんだ。

慶太パパの「あいつは責任など背負わない方が輝ける。あいつはあいつのままでいい。」、慶太ママの「慶ちゃん、ママはいつだって慶ちゃんの一番のファンだからね。」。最後に、玲子の

「でも、思えば、猿渡さんはいつも、いつも、いつも優しかった。」

も、もうこれは春馬君に対する思いとしか受け取れないぐらい、重なってしまう。

「カネ恋」を見終えて

最後はもう、春馬君のためのドラマになってしまった。
もうこれは制作側は腹を括ったのだろう。
当初のコメディ要素は横に置いておこう、玲子と玲子の父との和解を中心にストーリーを進めよう、綻びを繕ううちに芽生えた玲子の慶太への気持ちを玲子自身に気づかせよう、慶太の中にいる三浦春馬君への愛を語ろう。
そんな風に4話で完結させるようにストーリーを書き換えて撮影するのは、本当に大変だったろうと思う。
撮影中に準主役が亡くなって降板するという前代未聞の事態の中、想定外の大混乱があっただろうのに、あんなに春馬君への愛に溢れる、とても温かいドラマにしてくれて有難うと、事務所の人間でも何でもない、熱烈なファンでもない、こんなことになってから急に春馬君の事が頭から離れなくなっただけの私が、どこから目線で物を言ってるのかわからないが、とにかく放送してくれたことに感謝の思いを抱いている。

もしも春馬君があの日に旅立たず、そのまま撮影を続けてこのドラマを撮り切っていたとしたらどうだったろうか。
私はこのドラマを観ただろうか。
その前に放送していた「私の家政夫ナギサさん」は観ていたから、その流れで最初の何回かは見たかもしれない。
そこで久しぶりに三浦春馬君を見て、私はどう思っただろうか。
もしかしたら、慶太の空回り感が気になって、最後まで見切れなかったかもしれない。
ラブコメなのに、春馬君の慶太では全然笑えない。
それは春馬君の演技が下手ということではなくて、慶太には溌剌さが欠けてしまっているからだと思う。
突き抜けた明るさを持つ浪費癖のある金持ち御曹司なのに、頬が痩せこけて不健康そうに見えては笑えない。
彼の笑顔は本来はとてもチャーミングなはずだけど、深い皺だけが目立ってしまう。
素人が偉そうに言うようで申し訳ないけど、演技とは、俳優の持つテクニックだけでなく、その外観、見てくれも併せて総合的に作り上げられるものだろうと思う。
春馬君のファンや、コアなドラマオタクたちが観る分には、また、そうでない一般視聴者も、もうこうなってしまった現実を踏まえてよく観れば、春馬君の微細な演技も全部わかるし、脚本の小ネタ・伏線満載の流れに満足できるのだろうが、これはもともとは普通のテレビドラマだ。
何の予備知識もなく、たまたまその時間にそのチャンネルに合わせて観たという人でも、翌週もこのドラマを観たいと思わせるように魅力的な内容にしていかなければならないが、第1話から第3話までの慶太を見ると、そういうごく一般的な視聴者にとっては、この「カネ恋」の慶太を瞬時に理解して笑って楽しむのは、少し難しい事だったかもしれないと想像する。
演じた自身の姿をモニターで見た時にどう思っただろうか。
思っていた通りの自分が映っていただろうか。
春馬君が目指した通りの、人を笑わせられる演技はできただろうか。
春馬君が溌剌として見えなくなったその原因が何かはわからないが、この天真爛漫で優しい慶太を演じ切るにしては、彼の持つ素晴らしい演技力だけではカバーしきれないくらいに、春馬君自身のコンディションが相当よくなかったのだろうと思う。

そうは言っても、春馬君がこのドラマに対して、自身のコンディションの悪さを理由に中途半端な思いで臨んでいたとは全く思えない。
むしろ、無理し過ぎたんじゃないかと思う位の、あの演技は今の彼ができる100%どころか、それ以上のエネルギーを注いでのことだろうとも思う。
最後の最後まで全身全霊で慶太を演じていた、役者としての責任を全うしようと最後まで頑張っていた、そう、私には画面越しに伝わった。
これも偉そうに言うようで悪いけど、本当に「よく頑張りましたね。」って言いたくなるほどの、最高の演技だったと思う。
俳優・三浦春馬の最後の演技をしっかりと見届けた。

このドラマの撮影日と近くに収録したと思しき「せかほし」での春馬君は、ドラマほど表情を変えることもないし、上半身ばかりが映るし、動きだってそんなにないからか、あまり違和感は感じなかった。
だから、どうしてその後、あんなことになってしまったのか全くわからなかったけれど、やはり、あの日よりも前、このドラマを撮影していた頃から、春馬君自身に何か変化は起こっていたのだろうと、「カネ恋」の慶太を見て思う。

7月18日に春馬君は旅立った。
それは春馬君が決めたことだから、悲しいけれども尊重してあげなければならないと思っていた。
でも、今はそんなんじゃないと思っている。
彼の意志を尊重しよう、そうでも思わなければ、残された人間は気持ちの持って行き所がなくて、やってられないだけだ。
彼が自身で決断して実行したことであっても、一人の命が失われて良いわけがない。
本人が決めたことだから仕方のないこと、そんなのでは済まない。
このドラマを見ても分かるように、全てを途中でやめて、彼を支えている人も彼が支えている人も、全部をおいてこの世からいきなり去っていった。
彼の周りには、彼を愛する人が沢山いて、彼が愛する人も沢山いただろうし、撮影中の仕事もあれば、先々まで決まっていた仕事もあって、今、自身がいなくなればこれらの人々がどうなるのか、そんなことは容易に想像がついていただろう。
そんな容易な想像ですらできなくなってしまうぐらいの、冷静な判断なんてできないぐらいの状況に、あの日、春馬君は陥って戻ってこれなかったのだろうと思う。
周りの人はきっと自分を責めるだろう、何かができたのではないかと。
確かに、誰ががもっと彼の中に踏み込んでいれば、違った今があるかもしれない。
でも、このドラマでの様子を見る限り、春馬君のコンディションは悪そうには見えるけど、命を絶ってしまうとまで予見するのは難しかったのではないか。
それに、コロナ禍で置かれた環境が、彼を孤立させ、本人がサポートを求めにくく、また、周りも気づきにくい状況を生んでしまったのではないか。
仕方のないこと、不運だった、そんな言葉で片付けたくはない。
こんなことになるもっともっと前の段階で、防止できる策を取らなくてはならなかった。
春馬君の近くにいた誰かのせいとか、そういう問題ではない。

いきなりデカい話に飛ぶが、もっと大きな社会の仕組みが欲しいと思う。
自らの変化に気づきやすくなるように、変化に気づいたら周囲に必要なサポートを求めようと思えるように、サポートしてくれるところへ簡単にアクセス出来るように、そういうサポートを求めている人が好奇の目で見られないように、いざとなったときにはサポートを求めている人を救えるように、社会全体のアウェアネスを高めて、当たり前に誰もが必要なサポートを受けられるような世界が欲しい。
日本は、この手のアウェアネスが低いと思う。
これは芸能界だけの話でもない。
そんな世の中になってなくて、ごめん。
そうは思うけど、私一人で何かできるものでもない。
出来ることは、ここにその思いを置いておくぐらいかと思うので、そうしておく。

他の方々のこのドラマの感想を読んでいると、このドラマが終わったことで一つの節目を迎えて、これまでの哀しみの気持ちに少し整理を付けられた方もいらしたよう。
出来れば私もそうなって、この記事も前向きに終えたかったけど、私の気質からしてムリみたい。
このドラマを見たところから、社会が変われとまで話を広げて考える人も少ないだろうが、とにかく私の思考は止まらない。
いつまでもグダグダに落ち込んで、嘆きをばら撒いていること自体にも、少し罪悪感のようなものも感じるのだけど、少しずつ前向きには進んでいるだろうから、世の中の皆さん、ここは寛大な目でお許しを。
悲しみはまだ消えない。

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垣 公華子
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