結婚とは一緒に生きると決めること
結婚とは、好きな人と一緒にいたいから
するのではなくて、
この人と一緒に生きると決めたから
結婚するものだと思う。
若かりしころ、結婚したとき、
好きかどうかもわからなかった。
もちろん好意は抱いていた。
彼は、私が憧れる知性と教養を持っていた(と思う)
身体も、ギリシア彫刻のような
整ったかたちをしていた。
そのころ、週何回も水泳に通っていたらしい。
出会って3回目でプロポーズ
なんとなく惹かれ合って、
美術館をデートして、
動物園にも行って、
庭園にも行って、
3回目のデートで、
「僕の奥さんになる?」
と聞かれた。
考えるより先に
「はい」と口から勝手に声が出ていた。
結婚願望があったからだろう。
「子どもは何人ほしい?」
え?
考えていないから答えられなかった。
真剣に考えないといけないと思った。
この人と結婚するかどうかの判断
翌日、神社に行って、
宮司さんに占ってもらった。
「立春までに結婚しなさい」
え?
1月25日頃だったと思う。
1週間しかないよ。
ほんまに?
あのー、1週間しかないのですが…
おずおずと尋ねる私に、
にこやかに宮司さんは
早ければ早いほどいい、とのたまった。
えーと、えーと、
結婚というのは、どういう状態を指すのでしょうか?
籍を入れればいいのか???
「一緒に住むことや」
ますますハードルが上がる。
どう受け止めていいのかわからなくて、
頭おかしいと思われるかもしれないと思いつつ、とにかく彼にそのまま伝えてみた。
神社で相性を観てもらったら
立春までに結婚しなさいと言われて、
あなたが経済的基盤ができたから結婚する
というのは今後ないと思うので、
今結婚しないのなら、
私は結婚はしたいので、
あなたといても結婚できないなら
もう会わないほうがいいと思うと。
私としては極めて明快な
論理的思考だったと思う。
それはなぜかというと、
彼は大学院生で無職だった。
年もそう若くはなかった。
文系の研究職がすぐにあるわけもなく、
ぐーたらしているうちに、
6年付き合っていた彼女が離れていったという。
彼女は早くに働いていて、
彼はいつまでも学生だった。
聞くところによると、
彼女は結婚したいと言ったのに、
彼は嫌だと言ったという。
それで、私も彼女と同じように
結婚はしたいので、
彼と結婚しないままなんとなく付き合って
年月だけが過ぎ去るのは無駄だと思った。
だから、いま結婚しないなら、
いつか結婚するということもないだろうから、
もう会わないほうがいいという結論に至った。
果たして、彼はなんというだろうか……
じゃあ、シミュレーションしてみて、
うまくいけば結婚しよっか
と言った。
シミュレーションですか?
とにかく、できるかやってみようという。
できるかどうかシミュレーション
それから、私のお給料で住めそうな家を探した。
町家とかいろいろ探して、
結局、ふつうの賃貸アパートに決まった。
家具は実家から持ち寄りで、
電化製品は買うとして、
部屋のレイアウトも全部彼が決めた。
できそうやから、結婚しよう
ということになって、
本当に入籍した。
2月の最後の日だった。
結局占いから1か月ほどで結婚して、
一緒に住み始めた。
そんなふうに勢いで結婚したけれど、
あのときに私にあったのは、
この人と一緒に生きるという覚悟だった。
幸せにしてもらおうなんて思っていなくて、
幸せにしてあげようとももちろん思っていなくて、
幸せになろうと思った。
会って数回、この人がどんな人なのかも
正直のところよくわからなくて、
占いに走った結果、
私と結婚すると相手も覚悟してくれた。
好きとか嫌いとかではなく、
一緒に生きていく覚悟しかなかった。
彼は、出会ってまもなく、
「僕にとって、唯一の欠点は
人を愛せないことだ」
と言ったのだから、
私を愛しているわけでもなかった。
(そのことについては、下記の記事でも書いた)
それでも、私と結婚すると決めてくれたことが
嬉しかったし、実際に結婚してくれた。
そんな状態で、
相手がどういう人なのか
信頼関係もないままに
結婚してしまったのが、
離婚の端緒のようにも思うが、
どんなにつらくても、
最後まで添い遂げようとしていた。
添い遂げることが、
正しいと思い込んでいた。
一緒に生きると決めたのだから、
どんなにつらくても添い遂げるのが
美しいあり方だと考えていた。
なぜ離婚を決心したのか
でも、それが間違いだと気づいた。
ある日、霊能力者に
誰が旦那さんをこんなふうにしたと思ってるのかと
怒られた。
え?
私は、はたからは、褒められこそすれ、
けなされることはなかった。
妻が夫を養って支えている。
誰から見ても美談だ。
それが、怒られた。
どうして?
率直に言えば、
私はダメンずメーカーだったということだ。
私がいるから、彼が働かなくてもいい環境ができて、
必死で頑張らなくても生きていけるようにしてしまった。
才能はあるのに、私がいなければ、
必死で職を得ようと何でもやっただろうに、
そうしなくても生きていけた。
人間は、楽なほうにいってしまうものだ。
衝撃だった。
私は彼を支えていると思っていたのが、
支えるどころか反対に彼をダメにしていた。
完全な共依存だったと思う。
もちろん、疲弊していた私のためにもだったけれど、
彼のためにも別れた方がいいというのが、
私に離婚を決意させた。
一緒に生きるのがお互いにいいことなら
一緒に生きるのがいいけれど、
一緒に生きることがお互いをダメにすることも
残念ながらある。
長いときを経て道がずれていって
お互いに自分らしく生きる道を
選択するということが、
離婚だったりする。
一緒に生きていけないと気づいたときに
それでも一緒に生きていこうとするのは
もしかするとエゴで、
離婚とは、相手の生き方を尊重することなのかもしれない。
爽やかな五月の陽光に照らされて、
輝く新緑の公園を歩きながら、
そんなことを思った。
どんなにつらくても別れなかった訳|九条心華 (くじょう しんか) (note.com)
に続きます。