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物事を動かすものは目に見えない

老子の考え方に、
物事を動かす働きをしているものは、
透明になっていないといけない
というようなことがある。

例えば、扇子であおいで涼むときには、
風を気持ちいいと感じるけれど
扇子を意識していない。

扇子を意識して壊れたら困るからと
そうっとあおいだら風は生じない。

コップは中に飲み物を入れられるから
その役目を果たすのであって、
100万円する高価なもので汚してはいけないからと
何も入れなかったら、その役目を果たせない。

それは人も同じで、
うまくいっている会社や組織や学校は、
トップに立つ人は透明になっていないといけない。
組織を構成する人たちのおかげでスムーズにできている
というスタンスのトップだからこそうまくいく。
俺がやってあげているのに、というスタンスのトップだと
うまくいくものもうまくいかなくなる。

ミヒャエル・エンデの『はてしない物語』を読んだ。
幼ごころの君という女王さまが出てくるが、
何もしていないのに、ただ存在するだけで
国中が平和で幸せでいられる。

幼ごころの君は、目立たず何かをしているふうでもないし
皆の前に姿をあらわすことはないけれど、
ただいてくださるだけで、世界がうまくまわっていく。

幼ごころの君という存在は、
きっと老子のいう「道」だと思う。
道とは、自然の法則で、
世界中が自然の法則に従って動いているけれど、
自然の法則は誰も意識していないし、
透明になっている。

リンゴが下に落ちることを
当然だと思っているし、
エネルギー保存の法則や
エントロピー増大の法則も
日常生活で誰も意識していないのに
必ずその法則が働いている。

哲学対話の先生が、
僕は何もしていないからいなくてもいいぐらいだと
いつも仰っていたが、
それは、先生が見えないところで
全体がうまくいくように取り計らっていながら
透明になっているからだ。

本当に人を導ける人は、
俺がやってあげているとは決して言わず、
その相手が自分でそのことに気づいたと思わせることができ、
その相手の人自身の力を信じている人なのだと思う。

私もそんな存在になりたい。
その人自身のパワーを信じる。
それはきっと、
まずは自分自身を信じることから
始まる気がする。


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