詩人がいまの会社を選んだ理由
前回の記事を、所属する部署の部長にあたるYさんに見せたら、「詩人がこの会社を選んだ理由を書いて」といわれ、たしかに、と思った。たしかにそこを書いてほしい気持ちもわかる、会社の人からしたら、なおさら。
というわけで、就職エージェントの仕事を探しはじめてから今の会社に入社するまでのことも書こう。わたしの正規雇用者生活の記録としてはここまでがエピソードゼロといえる。
この会社を選んだ理由はすでに明確に決まっていて、あるひとつのできごとについて話をすれば済む。
ところが、先日また別の会社の人に「この会社のどこが好きなの?」と聞かれて、すこし困った。どこが好き? それはまたべつの問題で、まったく答えを準備していなかった。
困った末、小さめの声で「余地が多いところが好きです」と答えたら、「余地? いや、会社がいまどんな強みを持っているか聞きたいんだけど……」といわれ、ふたりして困ってしまった。
あれは申し訳なかった、でも、余地が多いところが好きだ。
緻密に決められていない部分、なんとなく見過ごされている部分、澱のような部分が、会社の中にたくさんある。それはものによっては改善の余地であって、褒められたことではないのかもしれないけれど、わたしはとにかくそれが好きなのだ。
オフィスには、夢を書いたホワイトボードを掲げる若者の写真が大量に貼ってあり、その脇には電源を切られたペッパーがたたずんでいる。導入したはいいが、来客や面談の最中にうるさくしたため電源を切られたのだ。「コミュニケーションルーム」と書いてある扉をあけると、中はみごとな物置と化していて、みなそこを忌み語のように「Cルーム」と呼ぶ。
まずわたしの入社からして余地だらけで、なぜか内定からほぼ一年の期間を空けて入社したのに、快く受け入れてもらえた。わりと前例と違う入社の仕方を許されたようだ。入社前から働いていた「しょぼい喫茶店」での勤務をつづける許可ももらったし、このnoteも仕事中に書いている。
若くてやさしい人が多く、みんななんの脚色もなく仕事熱心で明るい。社内ではとにかくたくさん人と会うことが推奨されていて、長いあいだウェブを使わない戦略を押し出していたが、最近になって突然ウェブを使いはじめた。すてきだ。君子豹変だ。
入社前の段階で、写真の若者と同様に夢を書かされた。以下が一年前のわたしの書いた夢である。
「すべての人を愛することをあきらめないのと同時に、ただひとりを愛することをあきらめない」
わたしだったら絶対こんなやつ入社させない。気むずかしそうだからだ。余地が多い会社だったのでギリギリ受け入れてもらえたのだ。わたしにとっては、余地とはつまり居心地のよい場所のことで、ぼんやりした夢を書き、仕事の合間には沈黙するペッパーを熱心にいつくしみ、「Cルーム」で休憩する。わたしたち(※)は澱にすむ微生物のたぐいで、きれいすぎる水では暮らせない。
居やすい。
(※わたしたち……ペッパー、Cルーム、わたし)
◆
でも、それはわたしがこの会社を選んだ理由ではない。結果的にたまたま居やすかっただけで、それはそれでラッキーだった。でも、わたしにとって会社を好きかどうかは、入社する理由とほとんど関係ない。極端に嫌いなところにはいられないけれど、べつに好きでなかったとしてもかまわない。
就活中、就職エージェントの仕事をさがして、何社か似たような求人に応募した。ほとんどが今の会社よりいくらか大きい会社だった。
面接官たちはみな、半端な時期に応募してきた大卒フリーターの女を見、その履歴書を見て、口をそろえてこういった。
「うちはビジネスなんですけど、大丈夫?」
これは、わたしの履歴書に非営利団体やボランティアでの活動経歴が多いことから発せられた言葉だったと思う。聞けばどうやら、営利の活動であるからお金にならない人よりも利益を優先することがあるが分かっているか、というのが、その本意であるらしい。
そのあとに、がんばれない人は結局やる気がないだけなので、うちは人助けがしたいわけではないので、という言葉が続くこともあった。
「誰でもやり直せる社会」を謳う会社でも、まったく同じことが起きた。
そのたびにわたしは選考を辞退してしまった。
もちろん、会社であることを知って来ているわけだからビジネスであることは分かっていたし、それがいやだったわけではない。ただ、自分の冷酷さを合理的なものとして肯定しようとする態度に、冷えびえした気持ちになった。
もしその会社に入ったら、自分もそうなっていきそうでこわかった。
他人に対して冷酷にならずにいるのは基本的に面倒くさくてしんどい。わたしの領域はここからここまで、ここから先は関係ありませんよ、と境界線を引いてしまうことの、どれだけ楽なことか。
もちろん、わたしもそうせざるを得なくなることはある。さんざん相談に乗ってきた相手に告白された末に逆恨みされたり、急にまったく連絡がつかなくなってしまったりすると、どうしてもそこで退くことになる。
でも、ギリギリまでその境界線は引かずにいたい。「自己責任」とか「時間の無駄」とかそういう言葉で正当化して、わたしがもともと持っている冷酷さを許してしまいたくない。
ただ、それはほんとうに面倒くさくてしんどいので、まわりがみな「向こうのやる気がなかったから仕方ない」「利益にならないからしかたない」と当然のように語れる場所にいたら、わたしなんぞ簡単に折れてしまうということも、よくわかる。
自分はそれほど弱く、冷酷であると知っていたから、そこで辞退せざるをえなかった。
(念のため補足しておくと、「ここから先はわたしには手助けできない、あなた自身ががんばってください」または「専門の機関に相談してください」という境界線の引き方をすることはある。それはときにお互いにとって必要なことで、そうするときにも関係を終わらせずに続けていければいいのではないかと思っている)
そういう失意が三、四社つづいたあと、やってきたのがいまの会社だった。
会社がある大宮がたまたま縁深い地だったので、なんとなく面談を申し込んだ。故郷である名古屋に支店があるところもいいなと思った。
面談役はのちに直属の上司となる若い男性社員で、わたしの活動歴を見ても「すごいですね~!」なんて言っていて、ビジネスがどうとか、営利がどうとかはまったく言ってこなかった。はじめてのことだったので、ついこちらの方から「目の前の人と利益とのあいだで揺れ動いたり、苦労することはないですか?」と訊ねると、彼は「あー……」とため息をつき、こう言った。
「そうなんです……むずかしいんですよねえ……」
おお。
それは、なんの答えにもなっていないけれど、だからこそ、正直な回答である気がした。
「うちはビジネスなんで……」はともかくとして、ここでもし「目の前の人のことがなによりも大切で、利益のことは度外視している」と答えられても、かえって不信感を抱いていただろう。大きくため息ついて、むずかしいんですよねえ、と言っていられる、間に立って悩んでいられるのであれば、わたしもそれがいいと思った。ここでなら冷酷にならなくても生きていけると思ったのだ。
会社を選んだ理由というと、ほぼその一点だけだ。
◆
選んだ理由と好きなところとは、異なるけれども、どこかでつながっているような気もする。
折り合いのつかないこと、努力がふいになること、思い通りにならないことが、暮らしているとしばしば起こる。つい説明したり解釈したりしたくなるが、たいていうまくはいかない。
そこに他者が介入しているとなおさらで、誰かを理解できなかったり努力を裏切られたりすると、ときにさみしく、ときに腹立たしい。説明や解釈はたちまち暴力になり、自分の加害性を思い知ったり、関係を損なったり、自身が傷ついたりしてしまう。
そういうとき、必要になるのがいわば「余地」なのではないか。
すべてを説明しようとせず、すこし余白をあけておく。制御できない部分、理解できない部分があることをわかった上で、そのままにしておく。でくのぼうのペッパーをそれでも居つづけさせるように、またコミュニケーションルームを雑多なままにしておくように。
これはほんとうに憶測にすぎない、それもごく個人的で感傷的な憶測にすぎないけれど、「うちはビジネスなんで……」と語る就職エージェントたちは、これまで何度も努力をふいにされたり、裏切られたりしてきたのではないか。そして、その経験に「利益を優先しなければいけないから」「あの人はやる気がなかったから」と解釈を与えることで、自分を助けてきたのではないか。
そう思うと、余地の多いちいさな会社でわたしの上司が延々頭を悩ませつづけていることは、すごく必然性のあることのように感じる。
たぶん、これから何度も努力をふいにされたり、裏切られたりするのだろう。そのときに、いかに答えを急がずに悩みつづけることができるか。
不条理なことがつぎつぎに起こる世界にいて、わたしたちには余地が必要だ。それが「ビジネス」にとっていいのか悪いのかはぜんぜんわからないけれど、わたしがここにやってくるにはじゅうぶんだった。
さて、いまオフィスでこの記事を書いていたら、先輩どうしの会話が耳に入ってきた。どうやら就職が難しそうな求職者の方について話しているようだ。たぶん無理だよ、と語る男の先輩に対して、女の先輩が声をうわずらせる。
そんなんじゃだめだよ、わたしたちがまず信じなくて、だれが〇〇さんのこと信じられるの。わたしたちこの仕事なんだから、奇跡だと思っても信じなきゃだめだよ。
それに対して、男の先輩は反論するでもなく、そうだよなあ、よし、信じるぞ、とか答えている。
これ、余地がどうこうという話を持ちだすまでもなく、ただただ単純にいい人が多いだけの可能性があるな……と思いながら、この記事を閉じる。
(向坂くじら)
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