このままではきみが死んでしまう


就活自殺がなくならないという。

自殺はつねに終わってしまった問題としてあらわれる。自殺の報道をどれだけ悲しく思ってもそのひとには会えない。そのひとの問題は終わってしまい、もう解決することはない。それならばせめて、と、いままさに死にかかっているべつの誰かが死なずにすむために努力することしかできない。

「死にかかっている誰か」はどこにでもいて、報道されないし、近くにいてもわからないこともある。ときに見過ごされ、ときに沈黙している。

自殺者数のグラフを見ながら、その奥にもっとたくさんの死にかかっている誰かがいて、もっとたくさんのまだ終わっていない問題があることを考える。そのひとが死ななかったとき、それはとても喜ばしいことだけど、同時に、そのひとが死にかかっていたことは知られずに終わる。
そんなふうに、今まさに死にかけている誰かのことは、ともすると忘れられてしまう。

きみもそのひとりなんじゃないか。
三月にまた就活がはじまって、わたしはきみに死なないでほしいと思っている。きみのことを、きみがすでにひどく遠くに行ってしまったあとに、なお遠いテレビやネットなんかで知るなんて、ほんとうにいやだと思っている。



先輩の話をしたい。
多くのひとがそうであるように、かつて就活生だった先輩だ。
わたしは彼女より年下で、そのひとが就活をし、そして死にかけるところを、近くで見ていた。そのひとはたまたま死なずにすんで、いまは元気に働いているけれど、それはほんとうにたまたまだった。

そのひとは(わたしとはちがって)わざと気分の暗くなる音楽を聴いたり、人が死ぬ文章を好んで読んだり、自分を傷つけたがったりするタイプではない。就活にも前向きで、四年生に上がる前からまじめにインターンに行き、就活塾に行き、比較的朗々と暮らしていた。悩みはとくにないと公言しているほどだった。

三月にヨーイドン、でスタートしてから、就活のスケジュールは加速度的に過密になっていく。
一日に何社もの説明会や面接をおとずれ、受かるとつぎの面接が入る。一社につき何回かぶんの時間と交通費を費やしたのち、不採用の連絡をもらう。ある程度落ちたら、また新しい会社のスケジュールを入れないといけない。
そのひとはぜんぶで六十社くらい受けていたんじゃないだろうか。履歴書やエントリーシートを会社によって変え、それらのすべてを手書きで、ときに自己PR動画など求められる。夜遅くまで忠犬のように非通知の電話を待ち、そしてまた不採用の連絡をもらう、ひどいときには連絡が来ないことでしずかに不採用を知らされる。

六月から選考という話はどこへやらで、四月五月にはまわりの友だちに内定が出はじめ、忙しそうな人も、しんどそうな人も減ってくる。自分だけがいつまでもプレッシャーのなかにいるのは、みじめで、取り残されていくような気がするとそのひとはいった。わたしがそのひとの話をよく聞かせてもらえたのは、わたしが就活生じゃなかったからかもしれない。

エントリーシート、面接、グループディスカッション、プレゼンテーション、ひとつひとつで懸命に自分を売り込もうとつとめたすえに、そのすべてから順番に失格を告げられる。
「自分の強み」も、「これまでに一番がんばったエピソード」も値踏みされ、あなたは必要ではない、というメッセージを受けとる。第一志望だった会社も、最終選考のプレゼンテーションの準備に丸一日かけた会社も、ぜんぶ結果はだめだった。

そのひとはどんどん消耗して、泣いたり混乱したりするようになった。親から「いい大学に行かせたんだからいい就職をしろ」といわれていることも、彼女にとってはつらかった。
社会からも、親からも、まわりの友だちからも、価値のない、必要のない人間であると思われている、という錯覚が、やがてそのひとを襲うようになった。
それはもちろん錯覚にすぎないのだが、それでもすごく、すごく強烈な錯覚だった。

あるときそのひとが、「あまり行きたくないと思いながら予約した会社説明会を仮病で休んでしまった」と相談してきたので、わたしはできるだけ明るく、「だいじょうぶですよ、よくありますよ、わたしも高校のときめちゃくちゃ仮病使いました、体育祭のときなんかどうしても行きたくなくて醤油飲んでわざと熱出したりしましたよ、醤油いっぱい飲むと死ぬんですけど、ちょっとだと熱出るんですよ。あはは」なんて話した。
次の日、そのひとは水筒いっぱいに醤油を詰めてやってきた。さんざん泣いた目で、飲もうとしたけれどしょっぱくて飲めなかった、でもいつでも飲めるように持ってきてしまった、といって。

しまった! と強く思ったのを覚えている。ときどき「死にたい」とこぼしていたのも知っていたのに、わたしの思慮のなんて浅さ、なんてうかつなことを教えてしまったんだろう。
そして、そのときはじめて、ああ、このままではこのひとは死んでしまう、ほんとうに死んでしまう、と思った。

そのときは背中をさすってなだめるどさくさに紛れて彼女のリュックから水筒を抜きとり、ひとりでトイレにいって醤油をぜんぶ捨てた。トイレの芳香剤と台所みたいな醤油のにおいが混ざり、便座が真っ黒になって、へんな暗い沼を見ている感じだった。
捨てましたからね! といったら、そのひとはわたしの暴挙と、それからわたしがあまりに泣くのでちょっと笑い、それ以降醤油を飲もうとはしなかった。それでも「死にたい」とは言いつづけていたし、かわいそうに、それからしばらく醤油のにおいがだめになってしまった。



このままではきみが死んでしまう、ほんとうに死んでしまう。

けっきょく、そのひとがどうして死なずに済んだのか、よくわからないし、説明もしがたい。わたしはできるかぎりそばにいるようにはしていたけれど、「自分が支えた」とはみじんも思えない。たぶん、そのひと自身にもよくわからないし、説明もできないと思う。
そのひとに内定が出たのは秋だった。平穏はゆるやかに戻ってきて、わたしたちはロストした夏をとりかえすように、内定祝いの手持ち花火をした。めちゃくちゃ寒かった。

もしあのとき内定が出なかったら、また、内定が出るのを待たずなにかがすこし違ったら、そう思うと、いまでも、足元がくずれだすように怖い。

わたしは新卒採用にかぎらず、就職活動のことをそこまで信頼していないし、かならずしもみんながどこかに所属して働かないといけないとは考えていない。前回、就職エージェントになった理由をいろいろ書いたけれど、このことがなかったらまず就職活動関係の仕事には目を向けなかっただろう。
わたしの先輩がどんどん笑わなくなり、じぶんには生きていっていいだけの価値がないのだと思い込むまでの半年には、またトイレで嗅ぐ大量の醤油のにおいには、それほどの説得力があった。そのひとがもともと明るいひとで、そしてこんなことはいうまでもないことだけど、ほんとうは生きていっていいだけの価値も山ほどあるひとだから、なおさら。
(これもいうまでもないことだけど、ほかのすべてのひととおなじように、山ほどだ)


きみはどうしているだろう。
まだ今年の新卒の就活ははじまったばかりだから、死ぬとか死なないとかいわれてもあまり現実感がないかもしれない。たぶんわたしの先輩もそうだったように、きみも、自分の就活はかならずうまくいくと信じていて、ひょっとしたらそのとおりになるのかもしれない。
または、既卒や第二新卒やフリーターで就活をしていて、カレンダーどおりに進む就活は他人事のように感じているかもしれない。それでも、またはじまったばかりの新卒就活生のきみでも、いますでに死ぬほどつらいかもしれない。

就活のしんどいところはあまりにもたくさんある。
先輩の就活でも、またわたし自身の就活体験でもそうだし、このnoteにインタビュー記事を載せるために就活生のみなさんに話を聞かせてもらっていてもそう思う。
ひとによってしんどいところは違うから、そのことをしんどいと思っているのはきみひとりだけのように感じるかもしれない。また、他の誰もまだ気づいていないしんどさにきみだけがいち早く気づいているときには、甘えているとか、弱いだとか、そういう心ない言葉を浴びせられることもある。

でも、やっぱり就活はところどころおかしいし、しんどい。きみはまあ、たしかに多少弱かったり甘えていたりはするのかもしれないけど、たぶんおかしくはない。
おかしいのはきみではない。そのことを言いたくてこの記事を書いた。
「自分が死ぬぶんには勝手でしょ」といわれてしまったらたしかにそうなんだけど、でも、おかしくないきみのほうがいなくならざるをえないのは、なんとなく納得がいかない。

このままではきみが死んでしまう。おかしいのはきみではない、少なくともきみだけではないのに、きみはほんとうに簡単に死んでしまう。
きみのことを考えて、わたしはいつもすこしずつ焦っている。

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向坂くじら
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