見出し画像

【畑の生活】土のあたたかさ

土に指で浅く穴を開けて、ぽろぽろと種を入れていく。スナップエンドウの種はひとつの穴に対して3つずつ、正三角形になるように置いてやさしく土をかぶせる。長老の教え通りにやってみる。正直、これだけでいいのかと思うほどシンプルだ。葉物野菜なんて穴どころか、スコップで筋を引いてふりかけのように細かな種をばら撒いていくだけだ。拍子抜けしてしまう。土づくりや畝づくりが、どんなに複雑で骨の折れる作業であったとしても、生命そのものは至ってシンプルだ。普段の僕らを取り巻いている環境の中では複雑な過程と機械的なシステムがあるだけで、こうした生命が本来持っているシンプルな力強さを見つけづらい。生命に必要なのはシステムではなく運動だ。有機物としての実感。人類学者の中沢新一さんが『アースダイバー』のなかで「人間の心のおおもとは、泥みたいなものでできているに違いない。そういう心が集まって社会をつくっているわけだから、それをあんまりハードな計画や単一な原理にしたがわせると、どうしてもそこには歪みが生まれてくる。」と語っている。僕は畑のなかで泥としての自分を取り戻そうとしているのかもしれない。

種が蒔き終わったら苗植えだ。玉ねぎとイチゴの苗は奥さんの田舎の親戚から分けてもらったものを使う。すこし時期が遅いみたいだけど、ニンニクの苗も少しだけあるので一緒に植えてみる。ニンニクがあるならイチゴと一緒に植えると良いと長老が教えてくれた。病気になりにくいそうだ。植物は土の中で相互に関係し合っている。そこにはやっぱり相性みたいものがあって元気になったり、そうじゃなくなったりする。誰と一緒にいるかというのは本当に大切なことだと思う。自分が元気になる人と一緒にいる。そうでない人とはできるだけ距離をとる。閉鎖的な意味ではない。心は常に解放されている。土はつながっているからこそ距離をとる必要があるのだと思う。間隔を開けて種を植えるというのもまさにそうだ。植物は植物によって適当な間隔と相性がある。人間関係も植物関係も同じだ。

イチゴとニンニクは奥さんと子どもに任せて、僕は玉ねぎの苗を植えていく。文字通りネギ状の細長い苗を1本ずつ15cm間隔に植える。玉ねぎエリアだけでも5メートルあるので、なかなか根気のいる作業だ。種の時よりもすこし深めに指で土をほじくる。そこにひょろ長いヒゲのような根っこをきれいに収めて土をかぶせる。それだけ。これをひたすらやっていく。はじめは穴にヒゲがうまく収まらなかったりしたが、いくつかやっているうちに穴の大きさ、収め方のバランスがわかってくる。ほじくっては植える、ほじくっては植える。ゆっくりと繰り返していく。いくつか植えたところで、僕は土をほじくる指があたたかいことに気がついた。ほんのり湿った土は吐息のようなあたたさをたたえている。心地よい。安心感すらある。土のなかで獣が冬眠する感覚がわかる気がする。静かな闇のなかで、あたたかい呼吸に包まれる。胎内にいるときの感覚に近いのかもしれない。僕は死んだらここに還るのだ。

長老が様子を見にやって来た。玉ねぎの植えつけは無心になれるからいいだろうと言った。その通りだ。僕は無心になって苗を植えていた。反復する運動を繰り返しながら瞑想のように自分をただ眺めている感覚。気がつくと、あっという間に残り3分の1くらいまで来ている。振り返るとひょろ長い緑の苗が並んで、頼りなく風になびいている。もう一息だ。あとで数えたら108本植わっているかもなと長老は笑う。僕も笑った。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?