不思議の国の豊26/#父はすごいと思った 2
前回は
ここまで、そして
#父はすごいと思った
前回は本論に行きつけなかった。
今回行きつける保証はない。
前回は母の手作りおやつの話だった。
結論から言うと、
母のその創造力や工夫や時間のやり繰りもすごいが、
それは、父がそれをできる状態にしていることも見逃せなかった。
多分その状態は他の家ではなかっただろう。
僕が物心ついたころの父は
「石割」だった。
「石割」は職人の一つだが、
僕から見ると山のように見える
大きなビルディングのような岩一の塊を
いくつかのハンマーと鑚(のみ)などの道具だけで、
四角錐(エジプトのミラミッドのような形)の
石垣を作るための石積みの大きさのそろった部品の
規格品を作り出すのが仕事だった。
父は、「石の目を見る。」
と言っていたが、
大きな山のような、というか
僕の家にある2階建ての離れよりは
大きい一塊の岩の一か所に眼をつける。
そこに石鑚(いしのみ)と小さめのハンマーで、
小さな穴を作る。
この石鑚は、30センチぐらいあり、
(僕が長さを測ったわけでも父が長さを教えてくれたわけでもないが
そんな感じかなと言う程度の数字)
コツコツと穴を作る。
その穴に、石鑚の先っぽだけでできたような
鏃(=矢尻・やじり)の大きい感じ
丹波栗くらいの大きさの石鑚を差し込む。
その頭を、父は柄の長さが1メーターほどの
重さが5キロほどあるハンマーを
軽くたたきこむ。(僕にはそう見えた)
すると、魔法のように、
その大きな岩は、真っ二つに割れるのだ。
父のハンマーを打ち込んだところを中心に、
一直線に、岩の一周している
と僕には思える
なぜなら、岩は、その半分から1/3は地面の下なのだから
僕には確かめ様はない。
しかし、父も僕もそれは眼に見えていた。
父はそれを何度か繰り返し、
その大きな岩の塊をスライスにする。
それを今度は、同じような手法で千切りにし、
同じような手法で、
四角錐を切り出していくのだ。
その一塊りの岩から切り出せる四角錐の製品の効率の良さで、
父は地域で断トツだった。
だから、父は、他の土木作業員の日当の
10倍から30倍の日当を稼いでいた。
さらに、多くの業者が父を雇いたいから、
父は、食費や宿泊費や酒代は雇い主持ち
と言う好条件だったようだ。
僕が成人し僕と父が酒を飲むようになって、
母が自慢げに話した。
「お父さんの山の上の現場に、
毎日、人夫さんが二人、米と味噌と、
野菜と肉と酒をカタイで(背負って)、
運んでいきよったがやと。」
父が応じた。
「毎日10升の飯を食た。
カネ(近所の石割の同僚)と二人やったき、
毎日2斗(と)のコメが要った。
毎日山に通う人夫らぁも、
仕事が切れんで良かったろう。」
そんな条件などの話は。僕が大人になってから聞くことになる。
父は、稼いだ金で、田んぼや山を買い集めていたようだ。
と言うのは、
父の父=氏弥爺さんは、男の二人兄弟だった。
それも家系図によると
代々、子供は多い時でも女ばっかりか、
兄弟に男は一人が続き
1200年ぶりの
男の二人兄弟やったらしい。
氏弥さんは、弟だった。
当時はほとんどの相続の権利は総領(長男か長女)にあった。
本家の氏弥さんの兄は貪欲な人で、当時でも認められない、
弟に分け与えられた財産までほとんど巻き上げたという。
父はそれが悔しくて、
本来うちの物であったはずの、田んぼや山を買い戻していたのだった。
うちの本家は、家系図によると、
桓武天皇(第50代天皇)を祖先とするこの地域では名家で、
大地主だったらしい。
父が真面目に神仏の儀式を欠かさないのは、
うちの祖先の墓が家の近くだけでも
数百年前のものまであり。
うちの家系は、代々、寺や神社の
主を務めていたからでもあるようだ。
つまり、村全体のオーナーだったのだ。
それが、父は悔しかったのだろうか?
父の時代はまだ、山にも田んぼにも価値があった。
子のため孫のために、父は
その財産を元に戻そうとしていたのだろうか?
以下次号