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不思議の国の豊36/#20世紀軍団との戦い2

前回はここまで、そして

#20世紀軍団との戦い

僕が中学2年のある時、

美術担当の教師が僕に聞いてきた。 

「今まで美術でどんな成績やったが?」

通信簿の5段階評価のことだった。

僕は体育の3以外はほぼ5で、たまに4があった。

僕は答えなかった。

質問の意味が解らなかったからだ。

通信簿は担当の教科の教師が決めることで、

僕の問題ではなかったし、

関心もなかった。

その学期の通信簿で僕は2を初めて取った。

しかしそのことは、

20世紀軍団の横暴が目の前にまた現れたと感じた。


彼女は初めて美術で正当な評価をした教師だったかもしれない。

と思った瞬間、過去の成績が欺瞞に満ちたものだったと感じた。

主要5教科はテストのたびにほぼ100点ばかりだから、

5は正当な評価かもしれなかった。

しかしそのほかの教科は

特に体育などは小学校入学以来ずっと3だった。

通信簿は母や家族が喜ぶものであっても、

僕には関係ないものだったが、

中学2年になって、

やっとあの体育の3の意味が分かった。

本当は3ではないのに、

他の成績とのバランスを忖度した教師が

1か2を3に引き上げているのではないか

と思ってしまった。

確かめることはできないが

そんな気がした。

その美術教師は真面目にそして担任と相談して悩んだ結果、

2をつけてくれたのだろうと思った。

心当たりはあった。

美術ではよく写生の時間があった。

大栃中学校は南北のに長い2階建て校舎に

1-2年の教室と職員室、音楽室などがあり

その前が運動場で、

その前を県道が走っていて、

その前はダム湖だった。

ダム湖は右から来た韮生(にろう)川と、

左から来た槙山(まきやま)川の合流点で、

西に向かって物部川本流が伸びていた。

つまり、ダムのこちら側の大栃の町の家々や商店と、

右の対岸の大森山、左の対岸の高尾山があるのだった。

写生の時間になると、

生徒たちは思い思いの場所に散って、

風景画を描くことになる。

僕は校庭から右側の大森山を書きたかった。

校庭の端に桜と銀杏の木があり、

その向こうに湖が広がり、

向こう岸が山なのである。

右に県道の赤いつり橋が対岸に向かってかかっており、

デッサン的には、いい構図だ。

その景色を描くクラスの子は多かった。

僕もデッサンまでは書くのだが、

水彩絵の具の色が塗れない。

僕には対岸の落葉樹大木を中心に書きたかった。

緑の葉をつけた木の枝まではいい。

そこに一枚だけ黄色い葉がついている。

僕はその葉を描きたかった。

僕は見えたものをそのまま描くのが写生だ

と思い込んでいた。

他の子たちは鉛筆の下書きが終わると、

絵具を水で薄めて、

「ぼわー」とした感じに塗りつぶし

さっさと先生に提出する。

「なんであんなええ加減なのが出せるが?」

僕にはそれが理解できないからできない。

僕の描こうとしたその葉っぱは、

画用紙の上では、僕の絵筆の毛先より小さかった。

僕は凍り付いていた。

結局僕は絵を提出できなかったのだ。

僕が5色の絵の具(3原色と白と黒)で作り出した

パレット上の葉っぱの色は

塗られることは無かった。

先生も何度か僕の横を絵を見ながら通り過ぎるのだが、

何も言ってはくれなかった。

その結果が初めて取った通信簿の2だった。

提出してないのに、2と言うのもおかしな話だとは思ったが、

それについて誰かに何かを言うことは無かった。


その2は僕が高知高専に進んだとき、

奨学金を受けるときになって、

特別奨学金4500円/月を得られないという事につながった。

僕が得られたのは普通奨学金1500円/月だった。

奨学金は卒業してから、僕が徐々に返していく必要があった。

しかし、特別奨学金は差額の3000円/月は返さなくてもいいのである。

そんなことを知っていたとしても、

中学2年の僕には

「たぶん誰にも見えない、対岸の大木の葉の一枚」は

どうしても描きたいものだったと思う。

この戦いは見事に20世紀軍団の勝利であった。

以下次号






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