BITCOIN’s Birthday・ビットコインの誕生日・仮想通貨の生まれた日、BTCは13歳になった
日本時間1月4日、ビットコイン(BTC)が13歳の誕生日を迎えた。
ビットコインは匿名の人物(またはグループ)「Satoshi Nakamoto」(サトシ・ナカモト)が、2008年10月末に提唱した暗号資産(仮想通貨)。
『Bitcoin: A Peer-to-Peer Electronic Cash System』(ビットコイン:ピアツーピア電子マネーシステム)と称した論文をサイファーパンクのメーリングリストで公表した概念だった。
私がBTCや暗号通貨、ブロックチェーン、非中央集権的システムなどの存在を知ったのは、2017年だから相当遅かった。
ビットコインの誕生と同時期に、私は
「やり方によっては日本は人類の未来を救う大きな存在になり得る。」
その為には
「日本を真に民主的な国に変えなければならない」
その為には
「政策重視の政権与党を産み、日本国の舵を大きく切らなければならない」
と考えて、さまざまなチャレンジをしてきた。
私は、過去の経験から、
有望で真面目な候補者やそれを支えた人が責任感で選挙をやったがために
大事な財産を減らしたり借金したりして、2度と立ち上がれなくなる光景を見てきた。
だから
「候補者や選対責任者は自腹を切るべきでない」(選対=選挙対策)
だから
「供託金や選挙費用は広く薄く有権者から集めるべきだ」
と考えていた。
しかしそれを実践しようとしても
「日本人は政治を変える為に自腹を切らない」
ことをさまざまな場面で、実感した。
その最たるものが私が候補になった2014年の脱原発伊方町長選挙だ。
3.11福一の原発事故からまだ3年で、
世論調査でも九割近くの国民に
「原発は無くすべきだ」との世論があった。
私は、供託金50万円を構えるために、一人一口五円の寄付を求めた。
ほとんどの人に家計に響く金額でもないし、
世論から言っても楽勝だと思った。
しかし、その寄附に応えたのは全国から20数名であった。
伊方町長になり、原発を停止し廃炉することを求めれば、政治的に原発は止められたにも拘らずである。
東京から福井県や石川県の原発ゲート前デモを呼び掛ければ、
(デモをやることだけでは政治は変わらないし、
原発も止まらないのに、)これは私の意見
大型バス数十台のツアーに参加する人がいるのに、
その参加費には1万円単位の金が使えるのに、
である。
たとえ寄附が嫌でも、伊方の町長選挙の応援に
その人たちが数百人押し掛ければ、
有権者の気持ちも動いただろうに
である。
「原発を止めるには政治的手続きを踏んで解決をしなければならない」
自公政権は原子力ムラがスポンサーだから、
外野でおとなしい整然としたデモをされた程度では痛くも痒くもない。
しかし、それがわかってか、わからずか、
「日本人は政治を変える為に自腹を切らない」
日本の政治を変える為には、衆議院の全小選挙区に約三百人の候補を立てる必要を感じた私は、
各選挙区に候補者と選対責任者のペアが1年活動する為に1000万、
1千万X300候補+予備費=50億、
を自分で作ろうと考えた。
2015年頃から毎月三千円程度の資金を捻り出し、
当初、株式で運用した。
目標は1日2%の利回り、
これでいくと1年で100倍になり、
2年で50億ぐらいにはなる。
しかし、ハイリスクハイリターンだから
2ー3ヶ月ほどで2−300万円にはなるが、
その次に日には0になる。
2018年からは運用対象を仮想通貨に切り替えた。
365日24時間営業で株式よりはチャンスが増えるし、
当初は、ボラティリティー(価格変動率)が高かった。
見ている間に10%動いたりする。
まるでジェットコースターだ。
株のようにストップ高ストップ安もない。
しかし、1日2%の運用利回りは無理があった。
FXも組み合わせていたから、
当初は簡単に2%オーバーはクリアーするのだが、
2−3ヶ月に一度、やはりゼロになる。
私は、
2020年新型コロナウイルスでダイヤモンドプリンセスの騒ぎが起こった頃、
世界中の株式相場などは大混乱になる。
各国政府は大量の札束を印刷するから、中央銀行通貨は大暴落する。
それに引き換えBTCは非中央集権的で誰も市場に介入しないから
コロナに左右されない。
と踏んだ。
しかし、2020年3月12日、仮想通貨にもコロナショックによる大暴落が起こった。
その直前300万ほどになっていた私の資産は
消えてなくなりそうだった。
要は一般投資家も仮想通貨に相当投資をしていて、
株式投資などの証拠金を補うために
仮想通貨を現金化したために
仮想通貨が売られたのだ。
しかし私はなんとか8万円を残して踏みとどまった。
そして、今度こそ、2%/日という狂気の利回り追及をやめた。
1日の利回り目標をやめた。
思い返せば、最初からそうしていれば、2年では無理でも
7年も経った今頃は
50億にはなっていたかも知れない。
そのせいで、まだ目標の2.5桁ほど下の金額にしかなっていない。
多分50億には順調に行ってもまだ3年ほどかかる。
どうも、自分だけで50億作るのには時間がかかりすぎる。
日本の政治をもっと早く、根本から変えるてめには、
別の方法を併用すべき時にきた。
賛同者、一緒にやってくれる人が欲しい。