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インタビューおだたゆたか/世問う国民党/衆院補選北海道2区

インタビューおだたゆたか

#政治家を目指したのは

2000年ごろまで、私は地域特性を生かした有機農産物のブランド確立で稼いでいました。始めたとき無農薬の農業をやることは親兄弟、村、農協、県、国を敵に回すことでした。
しかし20年続ければ、私の実績(売上や雇用数)を周りも認め、私たちは農水省と有機JAS法を創るまでになりました。
しかし、突然巻き起こった市町村の合併の嵐で、私の生まれた合併の得失を話し合うまともな議論もないまま村は消えてしまいました。まるで政治テロ。
私は日本一小さい大川村に移住し、村丸ごと有機農業に変えようと、村長になろうとしましたが、よそ者は受け付けない強い意志に排除されました。
2008年当時の民主党は「野党連合で政権をとるぞ」と息巻いていました。しかし、1月時点で、東京25区ある小選挙区に半数の候補も決まって無かったのです。
私は「20年の計で政権与党を自ら獲る」と決め、野党各党に候補として営業しました。が、彼らに一般市民の候補の選択肢は皆無でした。秋葉原のゲストハウスでweb選挙システム(特許出願)を開発がてら秋葉原駅前で手製の紙メガホンで演説をしていました。
翌年都議選を手伝っていたら、突風が民主党に吹きました。それを期に民主党は選挙事務所の手伝いのアルバイトまで候補にするようになり、私には基準が見えませんでした。私が予定していた東京12区は民主党が青木愛候補を立て、私は出馬を断念しました。
東京都知事選挙を手伝っていたら、3.11原発事故が起こりました。私は福島県南相馬市に入り、ボランティアをしながら、市の復興計画案にメガソーラーを含む対案を出しましたが、無視されました。同時に原発いらない人々と言う政治団体を立ち上げ、政治的に脱原発の候補を応援しました。当時毎年あった東京都知事選挙や日本未来の党の衆議院選挙などです。原発を止める為2014年伊方町長選挙に出馬しました。

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#なぜ北海道2区

北海道の人の開拓者魂、おおらかなところ、しがらみの少ないところは日本を大改革するのに相応しい地だと思います。
国政選挙は日本中どこでも立候補できます。
私の郷土、土佐の高知出身者は坂本龍馬も、板垣退助も、高知で活動したのではありません。


4月11日(日)朝の定時ツイキャス配信。

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