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不思議の国の豊5/#神のいない宇宙

#神のいない宇宙

豊は5歳か6歳になっていた。

豊が10代になって他の友人たちと話をするときに、

不思議なことが有った。

小学校に入る前の記憶が

ほとんどの友人に、鮮明にそれも多く有るのに、

豊は、3っつほどしか覚えてない。

一つは、保育園の同じクラスに、かわいい女の子がいた。

豊は、彼女に声をかけた。

「君の名は?なに?」

「ヨシミ」

他から見ると、たぶん地味な彼女は

地味にそう答えた。

その声をかけたシーン。

二つ目は、ビンジュースの王冠に、

土と水を入れて練りこむ。

それを手でこすると、

表面がテカテカに光りだす。

それにつばをかけて、乾燥した土をかけさらに擦ると、

すると、更につやが出る。

その美しさと、王冠からの盛り上がりを競う。

そんな遊びが男の子の間では流行っていた。

豊は結構うまかったという記憶がある。

三つめは、

ある時、影仙頭集落

(だれもが部落と呼んだ。だから以後こういうあるいは単に影仙頭=かげせんどう)

※作者注 いわゆる部落差別の部落ではない

の中心にある神社で遊んでいると、

その近くで葬式があった。

葬式であることは幼い豊にもわかるのだが、

なんか今まで見た葬式と雰囲気が違う。

参加している人が見たこともない人がほとんどだ。

影仙頭の人はその死者の家族ぐらいしか見えない。

「なぜ?

みんなが手伝うはずの葬式に

影仙頭の人がほとんどおらんが?」

豊には衝撃だった。

今までに見た葬式はおおざっぱに二種類、

仏式と神式である。

しかし、それはちょっと葬式のやり方違うだけで、

死者の家族や部落の人が総出で、

みんなで個性に応じて、役割分担をし、

墓穴を掘ったり、その後の酒席の料理を創ったりする。

共に皆、死者の霊を弔い、残された家族に気遣う。

それらは同じであった。

豊の父豊作は、仏式神式の年中行事を律義にこなす人で、

それは部落内でも有名であった。

豊はその年中行事で父親豊作がやることに

興味を示し、いつか自分もそうするんだと考えていた。

しめ縄を創る、

餅を搗く、

寺院や神社の行事をこなし、

餅や飾り物を先祖の墓や寺や神社にお供えする。

しかし、豊には、今日の葬式で疑問が沸き起こった。

今までは、神と仏、二つの神(=豊のイメージ)がいた。

しかし、今日の葬式で、

「おそらく3番目の神がいる」

それも圧倒的に考え方の違う神がいる。

その事に豊は気付いた。

そこで、豊は豊作に聞いた。

「なんか違う葬式があったがやけど、

あれは何?」

父の豊作は短く言った

「あれは学会さんながよ」

豊はその瞬間

「神はこの世におらんがや!」

と気づいた。

それまで、二つの神がいるときは

当たり前で、考える余地のないものと思っていたのに、

神が三つになった瞬間、

「えっ?それおかしいやろ!!」

と思ってしまった。

豊の考えはこうだ。

「神は全知全能で正しいものだ。

しかし、神が3っつもあることは、

もしどれかの神が正しいとしても、

他の間違った神を許していることになる。

全知全能で正しい神が他の間違った神や悪意を許すことは

その神は正しくもないし、全知全能でもない。

つまり神ではない。

それは他の神も同様だ。

だとすると、神はこの世にはおらんことになる。」

難しい話ではない。

ほんの2-3秒で、豊はそう思った。

「この世界に、神っておらんがや」

次回は







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