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政見放送の録画どり手話通訳派遣依頼
一般社団法人 岩手県聴覚障害者協会への
手話通訳派遣依頼の手続きを始めました。
10月8日午後2時からNHKで録画どりがあるのです。
手話通訳については、思い出があります。
1992年参議院選挙に環境政党を立ち上げようと
私小田々豊は全国を走り回っていました。
1989年に「原発いらない人びと」の参議院選挙で、
原発いらない人びと全国連絡会議の議長になり、
原発を止めるため、
なんとか参議院選挙出馬の決定、
候補者の決定、などをまとめました。
しかし、当時はインターネットもなく、
ほとんど選挙運動らしきことはできませんでした。
政見放送以外に私たちが何のための選挙に出馬して何をしたいか
全国に知られる方法はほとんど皆無でした。
10人の候補者と供託金5700万円。
結果は惨敗、21万票(数字は不正確かも)でした。
一人通すのには100万票必要でした。
私は、一旦始めた以上結果が出るまではやるべきだと考え、
その後3年間全国を走り回っていたわけです。
しかし、「原発いらない人びと」で戦った仲間は
行方知れずの人、家族が分解した人、
ほとんど、二度と立ち上がれないような人たちばかりでした。
そんな中、名古屋近辺で市民運動をやっている人たちは
元気がありました。
そして、藤本敏夫(歌手;加藤登紀子の夫)が選挙に出るらしいということを聞きつけました。
私が彼と接触した時、彼は、候補者の数が10人に届かないなどの理由で
出るかどうか迷っていました。
しかし、私は名古屋の人たちや、緑の党を名乗っている人たちと手を合わせれば
選挙はできると訴え、
私も候補の一人になり、なんとか10人の候補を揃え、
「希望」という政党で選挙をやることになりました。
そして、政見放送は藤本敏夫が一人でやることになりました。
当時、政見放送は一人、複数の2択だったと思います。
原発要らない人びとは候補者全員出て、それぞれの想いを話しましたが・・・
私は、手話通訳をつけるべきだと提案し、「希望」内部では採用されました。
録画ドリ当日になって、NHKから、
手話通訳は一人としてカウントするから、
一人で政見放送をする選択をした「希望」は
手話通訳は使えないというのです。
私は、
「本来『手話通訳』はNHKがつけるべきもので、
『手話通訳』をつけたくない政党ならまだしも、
選挙に誰もが参加しやすくするため、
有権者に便宜を提供する手話が使えないのは
憲法から見ても不公平ではないか
さらに、手話通訳者の彼女は「希望」の党員や構成者ではない。」
と言いましたが、
時間切れで、手話通訳なしで録画ドリが始まりました。
手話通訳の人には無駄な時間を使わせてしまいました。
それ以降の選挙では、
政党にもよりますが、手話通訳は普通になりました。
私たちの選挙は結果は惨敗、16万票(数字は不正確かも)でした。
ただその代償に、
日本の政見放送に手話通訳が登場するやり方は浸透し、
選挙制度を少し改善する成果は得ました。
そんなことを思い出しました。