いつかの景色と明日の自分⑥
みなさん、こんばんは。
遠藤果林です。
さて、久しぶりになりますが続きを書いていこうと思います。
3.11、東日本大震災が起こってから一夜が明けた後のお話です。
実際に目にしてきたことですが、10年経ってからこうして書き起こすのもなんとなく感慨深いといいますか、いい機会だなと思っています。
少しでもこの体験が、みなさんの津波への意識に伝われば幸いです。
再会、そして…。
海から離れた山の中、車の中で一夜を過ごした私たち家族。
隣の運転席には父、後ろの後部座席には弟と祖父母がいました。
祖父母はよく眠れているようで安心しましたが、私はほぼ眠れず、うとうとしたのも1時間くらいだった気がします。
外がだんだん明るくなっていくのを見ながら、昨日起こったことは夢なんじゃないか?という気持ちを拭えずに、もやもやした気持ちでむくりと体を動かしました。
助手席のドアを開けて外に出てみると、やはり何台かの車が数十メートル先に止まっていて、まだ動き出す様子はありません。
海の方を見ようとしましたが、少し遠いのと草木があるため海との境目あたりはよく見えませんでした。
あれは全部夢で、何事もなければいいのに…。
何度も何度も繰り返し思うものの、どこかでこれは現実で変えられないのだと言っている自分がいて、いろんな葛藤がぐちゃぐちゃに混ざっているような脳内。
深呼吸をして少し落ち着かせた後、車内に戻ってみんなが起きるのを待ちました。
しばらくして家族全員が起きたことを確認し、家に戻ってみることになりました。
もしかしたら母が妹を連れて戻ってきているかもしれない、そう思ったからです。
少なくとも家に帰れば食べるものもあるので、まずは帰ってその後を考えることになりました。
昨日山に行くときは薄暗くなっていたのと気が動転していたから気が付かなかったのですが、家に帰るまでの道路には大きなひびが入っていたり、凹凸ができていて、地震だけでも被害が大きなものだったことを物語っていました。
家の近くの道路に車を止め、みんなで家の中を物色。
…自分の家を物色するなんて聞こえが悪いかもしれませんが、いろんな物が散らかり放題、特に台所はガラスの破片が散らばっていて、まるで泥棒にでも入られたかのような状況でした。
何とも言えないやるせなさの中で作業していた時です。
母が帰ってきました。
地震発生後、すぐに妹を迎えに行くため車を走らせて言った母。
一日も経っていないのに、もっと長い間会えていなかったような感覚がしました。
良かった、無事だった!
…と、喜んだのも束の間――――――――。
母の横に、妹の姿はありませんでした。
本日はここまで。
お読みいただきありがとうございました。
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