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いつかの景色と明日の自分④

こんばんは。
遠藤果林です。

以下、昨日の続きになります。
ここから実際に津波が起こった後の話になります。


夢であればよかったのに

私の地元は祖父祖母の代に大きな津波の被害にあったことがあります。
それは学校でも、祖父や祖母からも聞いていた話でした。
しかし、それがまさか自分の身にも降りかかるなんて…誰が想像していたでしょう。

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津波は実はすぐそこまで来ていたのです。
幸い踏切の丘を越える前に止まり、波は引いていったのですが、その傷跡は残ったままでした。
見えるはずのない赤い屋根は、元々は数百メートル離れた坂の下の建物からはがされたものでした。
本能的に危ないと思い、海の近くまで行きはしませんでしたが、本当に現実に起こっていることなのか、頭の中はあまりうまく整理できずにいました。

その際にも余震が続きます。
もしかしたらまた同じくらいの地震が起こり、同じくらいの津波が起こるかもしれない。
そう考えた私たち家族は、必要なものを家から運び、車の中に詰め込みました。
家の中は思ったよりも荒れており、戸棚から落ちたコップや皿が割れている状態。
仕方がないので外靴のまま家に上がり、すぐに食べられるような食料と、毛布、祖父や祖母の病院の薬などをかき集め、父が乗っているワゴン車に載せました。

まだ妹を迎えに行った母は帰っては来ず、ついさっきまでつながっていたはずの電話も出来なくなっていました。
あとからわかったのは、その近くにある基地局が地震や津波の被害にあったからなのだそうです。
そのため、連絡手段がなくなり、途方に暮れることになりました。
待つことしか、出来なくなったのです。

道路には大きなひびがいたるところにできていて、地震だけでも相当なものだったのだと分かります。
ところによっては地面が盛り上がっていて、でこぼこしていました。

車の中である程度待っていたのですが、母も妹も帰ってきません。

もしかしたら道が混んでるのかもしれない。
もしかしたら道路がふさがれているのかもしれない。
もしかしたらどこかの山が崩れたのかもしれない。

もしかしたら——————…津波に…?

嫌な考えが何度も何度も頭をよぎりました。
ただまだ何が起こったのかも理解できていなかった。
その時、父親が車のカーナビのテレビをつけたのです。

そこに映し出されているのは…。

見知った場所が、波に飲み込まれていく映像。
見知った場所が、火の海になっている映像。

そしてラジオにしたとき、知っている地域の現状を何度も何度も繰り返していました。

「○○地区、全滅。□□地区、全滅。△△地区、一部全滅。××地区、全滅—————…。」

何度も何度も、繰り返される”全滅”という言葉。

頭の中が、真っ白になっていく感覚。
私も家族も、ただただ聞くだけで、最悪の状態を意識するほかありませんでした。

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ここまでお読みいただきありがとうございました。
また続きを書いていきます。

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