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いつかの景色と明日の自分⑨

こんばんは。
遠藤果林です。

たまに出身を聞かれて答えると、未だに震災の話が出ることがあります。
あまり重い話もしない方がいいかなと思うので、軽く流すのがほとんどです。

体験しなければ分からないことは多いと思います。
でも、二度とこのような出来事が怒らないことを願うばかりです。


もしも映画のセットだったら…

妹を探して山道を上り始めた私と母を乗せた車。
避難場所としてなっているであろう、小学校へとやって来ました。

そこでは何台も車が止められていていました。
隙間を見つけ車を停めたあと、雪がチラつく外に出ました。
3月といってもまだ寒い時期、吐く息は白く、少し身震いしたあと周りを見渡します。

すると、何やら海が見える方に人が集まっています。

ドキッとしました。
小高い丘の上にある小学校から見える景色。
普段なら何の変哲もない町が一望できるはず。
でも、それがどんな風に変わっているのか?
津波の被害がどれほどだったのか?

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見たくない気持ちと見ないといけないと思う葛藤の中、歩みを進めました。


ーーーーーーーそれは、見たことも無い世界でした。

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海は穏やかなのは変わりません。
その近くには砂浜があり、松林が広がり、様々な建物が並んだ町があったはずでした。

しかし、驚くほど茶色く、なんの建物なのかも分からない、道があるかも分からない、ただただ広く広がった沼があるような景色でした。
どこまでが海なのか…いや、寧ろここまで平地だったのか…と波が来たからこそ気づかされたこともありました。

映画のワンシーンにあるような、町が破壊されたあとに、全体を濡らして泥を掛けたような光景。
戦争映画とも違う、自然が猛威を奮った姿に、私は声を上げることも泣くことも出来ませんでした。

現実味がなかった、これが夢なんじゃないか、本当は映画の撮影で終われば元通りになるんじゃないか…?

悲惨ともいえる光景を目に焼き付けながら、頭の中はぐっちゃぐちゃで、少しでも可能性がないかを考えている状態。
でもこれは変えられない現実なんだと、周りの人の反応や、吐く息を白くする寒さから伝わってきました。
身体から、どんどん力が抜けていく感覚がしました。


暫くして、立ち竦んでいた足を動かし、私と母はみんなが避難している体育館に向かいました。

中に入ると、波から逃れたけれど家が波に飲まれた、又は帰るのが困難で体育館で夜を明かした人達や、連絡が繋がらない家族や知り合いを探す人も多く、忙しなく人が行き来していました。

そして入口近くに置いてあった掲示板には、自分たちの無事を知らせる言葉や、家族・知人の行方を探しているという内容などが一面に書かれていました。

縋るように見つめた掲示板、そして体育館を見渡しても…妹の手がかりは、ありませんでした。

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