いつかの景色と明日の自分⑤
こんばんは。
遠藤果林です。
今思うのは、当たり前というのはないのだということ。
変わらない日々はないということ。
前回書いた、東日本大震災の続きを書いていきます。
暗闇の中で光が見えなかった
母と妹を除いた家族全員で父親のワゴン車に必要なものを積み、二人が返ってくるのを待ちました。
しかし、待てども待てども、二人が返ってくることはありませんでした。
日が暮れる前に移動する必要がありました。
余震が続く中、同じ規模の津波が来た場合、同じように助かるかどうかわからなかったからです。
ぎりぎり線路の丘を超えなかったものの、今度も超えない、という保証がどこにもなかった。
祖父祖母もいたため、無理はできないということと、夜になったらいざというときに動けないため、私たちは泣く泣く車を走らせ山の中へ入りました。
海も近いのですが、車を走らせればすぐそこに山があります。
くねくねと曲がった山道を登り、津波が来ても被害が出ないであろう場所まできて、路駐しました。
薄暗くなった山の中、数台の車が止まっており、私たちと同じように考える人たちがいるのだと思いました。
山の中まで来ましたが、携帯の電波は一向に回復せず、電話はつながらないまま。
何事もなく無事に母と妹が合流していたとしても夜は動かないだろう、明日になれば合流できるだろう、と言い聞かせて、その晩は車の中で過ごしました。
夜になると、水平線の上で明かりが少しだけ見えました。
津波で被害にあわなかった船を沖に出して、陸に乗り上げないようにしているのだと父が教えてくれました。
しかしそれ以外に、車の外はほぼ明かりがありません。
父は唯一の情報源であるカーナビをつけ続けており、しんと静まる車の中で画面が鈍い光を放っていました。
津波の被害情報をひたすら繰り返しで流しているニュースが、不気味な不安をじわじわと駆り立てます。
ただただ、恐怖に飲まれるような恐ろしい夜。
何もできない無力感と、まだ一人ではなかった安心感、でもそこにいない母と妹が今どこでどうしているのか…。
眠ろうとしても頭の中が混乱していて、時々鳴り響く地鳴りと余震がさらに睡眠を妨げ、ほぼ寝ることができず夜が明けていきました。
もし、目を開けたら…。
もしかしてこれは、とんでもなくリアルな夢で、目を開けたらいつも通りなのではないか?
いつもの景色、いつもの天井、いつもの母の呼ぶ声で目覚めるのではないか?
祈りに似た淡い淡い期待を抱きながら、うっすらと目を開ける。
—————しかし、何度それを繰り返しても、私は車の助手席にいて、暗い山の中にいたのです。
何度も何度も、裏切られるような感覚。
瞼に焼き付いて離れない、カーナビに映し出される悲惨な地元の光景。
振り返ってもいない母と妹。
…こういうのを地獄っていうのかな…。
いつまで、どこまで続くのかわからない不安の暗闇に、なすすべもなく時間が経つのを待つしかできませんでした。
長い長い夜でした。
今日こそ母と妹に会えますように…。
次第に明るくなる空を、祈りながら見つめていました。
この続きはまた。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
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