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【やすなの食探検🔍】若狭は奈良時代からのグルメ場所

Hello みなさんこんにちは!
よしむらやすなです。

2024年5月から、【やすなの食探検🔍】と題し、食から日本を再発見!新発見!をコンセプトに、食の生産者さんを訪ねています。
生産者さんと消費者のみなさんをつなぎ、日本の食文化への理解や普段の食事・食材選びに少しでも関心をもっていただけるよう、そして新しい食体験・おいしい食で笑顔をお届けできることを楽しみに、訪問先について情報発信をしています。
ぜひ、SNSなども覗いてみてください。

🔸SNS
・instagram
https://www.instagram.com/yasuna.japanfoodadv/
・Stand fm
『やすなの食探検』で検索!


若狭と奈良はご縁がいっぱいだった

実は昨年度から福井県高浜町とご縁があり、月1度通っています。
こちらにきてみると、ここでも、あそこでも?!奈良とのつながりがあるの!!という出会いがいくつも重なり、驚きと共に、これは何の導きなのかと思わずにはいられません。

ちなみに若狭はこのね!


この辺りの食のことを知りたいなら、高浜町郷土資料館に行ってみたら?と地元の方から紹介をうけ早速…

奈良時代、現在の高浜町から美浜町のあたりにはいくつもの製塩場所があり、貴重な貴重な塩が作られ、年貢として都(奈良)に献上されていたそうです
今、塩田といえば能登の方に昔ながらの製法が残っているときいたことはありますが、この若狭一帯にもあったんですね。


高浜町郷土資料館

この後、こちらの職員さんに、さらに若狭食のことを知りたいのであれば小浜市に食文化館があるとおしえていただき訪問することに。

高浜町から車で30~40分ほどで到着

御食国若狭おばま食文化館


御食国(みつけくに)

みなさん、こちらの言葉を聞いたことはありますか?
私は、奈良生まれ奈良育ちだというのにこの言葉をはじめて知りました。

平城京からは送ったものを書いた木管が発見されています

 「御食国(みけつくに)」とは、古来、朝廷に「御贄(みにえ)」(「御食(みけ)」(天皇の御食料を指す)を納めた国のことです。

  万葉集においては、伊勢・志摩・淡路などが御食国として詠われるとともに、若狭については、平安時代に編集された『延喜式』に、天皇の御食料である「御贄」を納める国として、志摩などと共に記されています。  

 また、奈良時代の平城京跡から出土した木簡の中に「御贄」を送る際につけた荷札が発見されていることなどからも、御食国であったことがうかがい知れます。若狭は、古くから塩や海産物などを納める御食国として、歴史的に重要な役割を果たしてきました。

御食国若狭おばま食文化館webサイトより


寿司の歴史

内部は、若狭の食文化についての展示・鯖缶や発酵、薬草についての展示がされていました。

若狭といえば、リアス式海岸の栄養豊富な海で育った魚がたくさん獲れる場所。くらいの知識しかありませんでしたが、発酵文化とも深く関わる場所のようです。
今や、日本食といえばSUSHI!と言われるほどのお寿司。その歴史が博物館中央にどどーん!と展示されていました。

海外で日本人というと、I LOVE SUSHI!と必ずと言っていいほど多くの方に言われてきました。日本人として、寿司について知識を深めるいい機会です。

その起源はなれずし。
なれずしの代表選手は、ふなずしでしょうか。(私も未体験未経験)
ふなずしの場合は、お米はべちょべちょで原型を残すことはなく、米部分は取り除いて食べるそうですよね。



各地の食を知ると、文化・歴史が見えてきます。
あなたの住む町にはどんなものが眠っていますか。


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