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母胎のなかでの38週間 | 「大宝積経 仏說入胎藏会」 3
「難陀よ、胎内に宿る生命は、概して38週にわたる過程を経る。
第一週:羯羅藍
「第一週、胎児が膿瘍のようで、汚物に囲まれ、鍋の中で煮られるような苦しみを受ける。この段階は『羯羅藍』と呼ばれ、地、水、火、風の四大要素が現れ始める。」
第二週:頞部陀
「難陀よ、第二週は同様な苦しみが続く。この段階では、『遍触』という名の風が胎児に影響を及ぼす、この風は過去の業によって起こる。胎児がその風に触れると、『頞部陀』に変わる。その姿は凝った酥のようであり、四大要素がさらに明確になる。」
第三週:閉尸
「難陀よ、第三週も同様に、胎児は激しい煮えたぎる苦しみを受ける。この週には『刀韒口』という風が吹き、過去の業によって起こる。胎児が触れると、『閉尸』に変わり、その姿は鉄の箸のよう、またはミミズのようである。」
第四週:健南
「難陀よ、第四週も同様であるが、この週には『内門』という風が胎児を吹き、その影響で胎児が『健南』に変わる。その形状はシューキーパーのようであり、または温めた石のようである。」
第五週:両腕、両腿と頭の出現
「難陀よ、第五週には『攝持』という風が胎児に触れ、両腕、両腿、そして頭が出現する。この様子は、春に雨が降って木々が繁茂し枝を伸ばすようなものである。」
第六週:肘と膝
「難陀よ、第六週には『廣大』という風が胎児を吹き、両肘と両膝が現れる。この様子は、春雨が新芽を育てるようなものである。」
第七週:手足
「難陀よ、第七週には『旋轉』という風が吹き、両手と両足が現れる。その姿は、集まった泡や水草のようである。」
第八週:指の形成
「難陀よ、第八週には『翻轉』という風が胎児に触れ、手足それぞれ十本の指が形成される。この様子は、春雨が降り、木の根が成長を始めるようなものだ。」
第九週:九つの穴
「難陀よ、第九週には『分散』という風が吹き、九つの変化が見られる。つまり、二つの目、二つの耳、二つの鼻孔、口、そして下の二つの穴が現れる。」
第十週:膨張
「難陀よ、第十週には『堅鞕』という風が胎児を吹き、その身体を堅固にする。同じ週に『普門』という風が胎児を吹き、胎内を膨らませる。その様子は、空気で膨らませた浮き袋のようである。」
第十一週:穴の疎通
「難陀よ、第十一週には『疏通』という風が胎児に触れ、九つの穴を通して胎児の身体を通り抜けるようにする。母親が歩く、立つ、座る、横になるといった行動を取るたびに、この風が胎児の体内で回転し、徐々にそれらの穴を広げていく。この風の作用は、まるで鍛冶師がふいごを使って炉の火を上下に通気させるようなものである。」
第十二週:大小腸と節
「難陀よ、第十二週には『曲口』という風が胎児に触れ、左右に大腸と小腸が形成される。その様子は蓮の茎の繊維のようであり、胎児の身体に絡みついて定着する。それと同時に『穿髮』という風も現れ、胎児の体内に百三十の節が作られる。また、この風の影響により、体内に百一の禁所が形成される。」
第十三週
「難陀よ、第十三週には、これまでの風の力により、胎児は空腹や渇きという感覚を知るようになる。この時期、母親が飲食物から摂取する栄養が、胎児に臍を通じて供給され、身体を支える材料となる。」
第十四週:筋
「難陀よ、第十四週には『線口』という風が胎児に触れ、胎児の身体に千本の筋が生える。身体の前面、背面、右側、左側にそれぞれ二百五十本である。」
第十五週:脈
「難陀よ、第十五週には『蓮花』という風が胎児に作用し、二十の脈が形成される。これらの脈は母体からの栄養を吸収する役割を果たす。胎児の体の前後左右に五本ずつがある。
これらの脈には、それぞれ異なる名前と色があり、例えば『伴』『力』『勢』などと呼ばれるものがある。また、色には青、黄、赤、白などがあり、豆、酪、油、乳脂のような色を持つものもある。それに加えて、さらに多種多様な色が入り混じっているのだ。
難陀よ、これらの二十本の主脈には、それぞれ四十本の支脈が付き従い、全体で八百本の『吸気の脈』が存在し、体の前後左右に二百本ずつ配置されている。さらに、これらの八百本の脈には、それぞれ百本の付随する細脈が連なっており、合計で八万本の脈が形成される。その分布は、前後左右二万本ずつとなる。これらの八万本の脈には、多くの孔があり、一つ、二つ、多いものでは七つの孔がある。それぞれの孔は毛穴とつながっており、その様子はまるで蓮根の中にある無数の孔隙のようである。」
第十六週:器官と臓器の位置
「難陀よ、第十六週には、母親の胎内で『甘露行』という名の風が生じる。この風は、胎児の身体を整え、両目の位置を決める役割を果たす。また、両耳、両鼻、口、喉、胸の位置も、この風によって適切に配置される。そして、呼吸や消化といった基本的な働きが滞りなく行えるように整える。
これはちょうど、陶芸家が良質な粘土をろくろに載せ、作ろうとする器の形状に合わせて整える様子に似ている。このように、『業風』の力によって胎児の目や耳などの部位や臓器が適切に配置される。」
第十七週:滑らかに
「難陀よ、第十七週には『毛拂口』という風が胎児に作用し、目、耳、鼻、口、咽喉、胸、消化器官の表面を滑らかにする。この滑らかさにより、息の出入りや消化がスムーズになる。この風の働きは、熟練した職人が鏡を油や灰で磨き上げ、滑らかで汚れのない状態にするようなものである。」
第十八週:六根の浄化
「難陀よ、第十八週には『無垢』という風が胎児に吹き付けられ、その結果、胎児の六根(眼、耳、鼻、舌、身、意)が清浄化される。その様子は、日月の輪が厚い雲に覆われていたのが、強風によって雲が吹き払われ、光が清らかに輝き出すようなものである。」
第十九週:根の完成
「難陀よ、第十九週には胎児の四つの根(眼、耳、鼻、舌)が完成する。胎児が母胎に宿った時点で、身、命、意という三つの根を既に得たが、この週に四つの根が加わる。」
第二十週:骨格の形成
「難陀よ、第二十週には『堅固』という風が胎児の身体に作用し、骨格が形成される。この週、胎児の左右の脚には二十個ずつ指骨が形成される。そのほか、かかとに四つ、大腿部に二つ、膝に二つ、腰に三つ、背骨に十八、肋骨に二十四の骨が形成される。また、左手と右手にはそれぞれ二十本の指骨が生じ、手首に二つ、腕に四つ、胸に七つ、肩に七つ、首に四つ、顎に二つ、歯には三十二個の骨(歯槽骨)ができる。さらに、頭蓋骨には四つの大きな骨が形成される。この工程は、彫刻師が硬い木を加工して形を作り、紐で固定してから粘土を塗って彫像を完成させるようなものだ。業の風が骨を配置し、形作るのもこれと同様である。」
第二十一週:肉
「難陀よ、第二十一週には母の腹の中に『生起』という名前の風があり、この風が胎児の体に肉を生じさせる。これは、泥職人が壁に泥を塗るようなものだ。この風が肉を生じさせるのも同じように行われる。」
第二十二週:血液
「難陀よ、第二十二週には母の腹の中に『浮流』という名前の風があり、この風が胎児に血液を生じさせる。」
第二十三週:皮膚
「難陀よ、第二十三週には母の腹の中に『淨持』という名前の風があり、この風が胎児に皮膚を生じさせる。」
第二十四週:皮膚の光沢
「難陀よ、第二十四週には母の腹の中に『滋漫』という名前の風があり、この風が胎児の皮膚に光沢を与える。」
第二十五週:栄養
「難陀よ、第二十五週には母の腹の中に『持城』という名前の風があり、この風が胎児の血肉を潤い、栄養を与える。」
第二十六週:髪と爪
「難陀よ、第二十六週には母の腹の中に『生成』という名前の風があり、この風が胎児に髪の毛や爪、そして爪の甲を生じさせ、それぞれが脈と繋がり合う。」
第二十七週:業の影響
「難陀よ、第二十七週目には、母親の腹中において『曲薬』と名づけられる風が胎児を吹き、その作用によって胎児の髪、体毛、爪が完全に形成される。」
「難陀よ、胎児となる存在が過去に悪業を積み、けちで物惜しみし、財産に執着して他者に施すことを拒み、父母や師長の教えを受け入れず、身・口・意で悪行を重ね、その悪業が日ごとに増していった場合、その果報を必ず受けることになる。(悪趣で償い終えて)人間に生まれたとしても、彼が得る報いはすべて思い通りにはならない。
例えば、世間の人々が『長い方が良い』と思えば、その者は短くなり、『短い方が良い』と思えば長くなる。また、『大きい方が良い』と思えば小さくなり、『小さい方が良い』と思えば大きくなる。手足の関節が『近い方が良い』と思えば離れ、『離れている方が良い』と思えば近くなる。『多い方が良い』と思えば少なくなり、『少ない方が良い』と思えば多くなる。太っていることが好まれれば、その者は痩せてしまい、痩せていることが好まれれば太る。臆病が好まれれば勇敢になり、勇敢が好まれれば臆病になる。白い肌が好まれれば黒くなり、黒い肌が好まれれば白くなる。
難陀よ、さらに、過去の悪業による報いとして、聾(耳が聞こえない)、盲(目が見えない)、瘖瘂(話せない)、愚鈍、醜悪という状態に生まれる。また、その声も耳に心地よくなく、周囲の人々に嫌われる。手足は曲がり、歩くことができず、餓鬼のような姿となる。親族ですらその人を嫌い、顔を合わせたがらない。他の人々はなおさらだ。
彼が行動あるいは言葉をもって何かを他者に伝えようとしても、誰もそれを信じず、心に留めようとしない。なぜなら、それは過去世で彼が悪業を積んだ結果だからだ。その報いとして、このような苦しみを受けるのだ。
一方で、胎児となる存在が過去に善業を修め、物惜しみせず、貧しい者に慈悲の心を持って施し、財産に執着しなかった場合、その善業が日ごとに増し、優れた果報を受けることになる。
人間に生まれた場合、その報いはすべて思い通りに運ぶ。例えば、世間の人々が『長いことが良い』と思えばその人は長いし、『短い方が良い』と思えば短くなる。大きすぎず小さすぎず、関節の位置も適切で、太りすぎず痩せすぎず、勇敢でありながら適度に控えめで、全身の特徴が誰からも愛されるものとなる。
感覚器官はすべて完全で、容姿は端正であり、人並みを超えた存在となる。その言葉は明瞭で、音声は美しく、周囲の人々を楽しませる。行動や言葉によって他者に何かを伝えると、それを受けた人々はすべて信じ、心から尊敬を抱く。なぜなら、それは過去世で善業を積み重ねた結果であり、その果報としてこのような幸福を得るからである。
難陀よ、もし胎児が男であれば、母の右脇にうずくまり、両手で顔を覆い、母の背中に向けて座る。もし胎児が女であれば、母の左脇にうずくまり、両手で顔を覆い、母の腹側に向けて座る。胎児は『生臓』(未消化の食物がたまる部分)の下、『熟臓』(消化された食物がたまる部分)の上に位置しているため、未消化の食物が上から押し付けてきて、消化された食物が下から突き刺すような状況になる。まるで杭に手足が縛られているように苦しみを受ける。
母親が多く食べすぎたり、逆に少なすぎたりすると、胎児はそのたびに苦痛を覚える。また、母親が脂っこい食べ物、乾いた食べ物、極端に冷たいものや熱いもの、塩辛いもの、薄味のもの、苦いもの、酸っぱいもの、甘すぎるもの、辛すぎるものを食べた場合、胎児もその影響で苦痛を感じる。さらに、母親が性的行為をしたり、急ぎ足で歩いたり、不安定な座り方をしたり、長時間座ったり寝たり、飛び跳ねたりすると、胎児も大きな苦しみを受ける。
難陀よ、胎児は母の体内にいる間、このようにさまざまな言い尽くせない苦しみに押しつぶされる。人間界でさえこのような有り様であるならば、いわんや地獄や他の悪趣における苦しみがどれほど厳しいか、想像を絶するであろう。
だからこそ、難陀よ、思慮ある者であれば、誰がこの果てしない生死の苦海にとどまり、これほどの苦難を楽しもうとするだろうか?」
第二十八週:八つの倒錯した想念
「難陀よ、第二十八週目において、胎児は母の胎内で八つの倒錯した想念を生じる。この八つとは何か。すなわち、『家』だと思う想い、『乗り物』だと思う想い、『庭園』だと思う想い、『楼閣』だと思う想い、『森』だと思う想い、『寝床や座席』だと思う想い、『川』だと思う想い、『池』だと思う想いである。これらは実際には存在しない対象について、妄想によって分別を起こすものである。」
第二十九週:肌の色づけ
「難陀よ、第二十九週目において、母の胎内には『花條』と名付けられた風がある。この風は胎児に吹き付け、その形や肌の色を鮮やかで清らかにする。だが、胎児の過去の業の影響によって、その肌の色を黒ずんだり、青みを帯びたり、さらには様々な混ざり合った色合いを付けることもある。また、その風によって肌が乾燥して潤いを失うこともある。」
第三十週
「難陀よ、第三十週目において、母の胎内には『鉄口』と名付けられた風がある。この風は胎児に吹き付け、その髪の毛や爪を成長させる。白い光や黒い光などが、先述した通り業に応じて現れる。」
第三十一週
「難陀よ、第三十一週目には、胎児は母の胎内で次第に成長して大きくなる。その後、第三十二週、第三十三週、第三十四週と進むにつれ、さらにその体は広がり、成長を続ける。」
第三十五週
「難陀よ、第三十五週目には、胎児の四肢や体の各部分が完全に備わる。」
第三十六週
「難陀よ、第三十六週目になると、胎児は母胎の中に留まることを好まなくなる。」
第三十七週:三つの不顛倒想
「難陀よ、第三十七週目になると、胎児は母親の胎内で三つの不顛倒想(真実に沿った観察と想念)を生じる。これは、不浄想(自らが汚れた環境にいるという想い)、臭穢想(周囲が悪臭や汚物に満ちているという想い)、黒暗想(暗闇に閉ざされているという想い)である。このような想念が胎児の心に起こるのだ。」
第三十八週:出産に備える
「難陀よ、第三十八週目になると、母胎内に『藍花』という名の風が生じる。この風は胎児の体を動かし、胎児を反転させ、頭を下に向けさせて両腕を伸ばし、産道に向かわせる準備をさせる。そして次に『趣下』という名の風が起こり、過去世の業の力によって胎児の頭が下向きになり、両足が上向きになるように体が吹き動かされ、出産に備える。
難陀よ、もし胎児が前世において数々の悪業を積み、その結果として人間の胎に転生した場合、その業の報いにより、出産時に手足が乱れ、正常に反転することができなくなる。このため、胎児は母胎内で命を落としてしまう場合がある。このような時、経験豊かな産婆や医者は、温めた蘇油や榆皮の汁などの潤滑剤を手に塗り、中指に鋭利な小刀を挟む。彼らは、汚物に満ちた暗黒で臭穢な産道、すなわち無数の虫が常に棲み、膿や血液、腐敗物で満たされた恐ろしく不潔な場所に手を挿し入れる。そして、その小刀で胎児の体を片片に切り裂き、一部ずつ引き出す。この過程において、母親は耐え難い苦痛を味わい、命を失うことも多い。たとえ生き延びたとしても、その苦しみは生死の差異をほとんど感じられないほどである。胎児が善業によって生を受けた場合は、仮に逆子のような状態になっても母親に損害を与えることなく、無事に生まれてくる。
難陀よ、たとえ特別な障害がない場合でも、第三十八週目には、母親が大きな苦しみを味わい、生死の境をさまようような状態に陥ることがある。それほどの痛みを経て、ようやく胎児は産道を通り、母体から生まれてくるのだ。」
「難陀よ、よく考えなさい、そして、このような苦しみから解放される道を求めなさい。」
(つゞく)