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弘一大師とその歌

弘一こういつ大師

(1880年10月23日 - 1942年10月13日)
本名は李叔同。中華民国の詩人、音楽教育者、芸術教育者、僧侶。中国近代美術の初期の先駆者の一人であり、 中国に油絵、ピアノ、戯曲を伝えたほか、書道、詩、中国画、音楽、篆刻、文学、金石などに秀でた。39歳の年に出家。法名は演音、号は弘一と晩晴老人。南山律宗第十一代祖師。



送別

長亭外,古道邊
芳草碧連天
晚風拂柳笛聲殘
夕陽山外山

天之涯,地之角
知交半零落
一瓢濁酒盡餘歡
今宵別夢寒

長亭の外、古びた道の辺りに
地の果てまで野草が青々と茂る
柳の枝が夕風にゆれ、笛の余韻が残り
夕陽は山の彼方に沈んでいく

天の果て、地の隅へと
友人が半ば散り散りになったこの頃
一瓢の濁酒を飲み干し、君を見送る
今夜もまた寂しい夢を見るのだろう

情千縷,酒一杯
聲聲離笛催
問君此去幾時來
來時莫徘徊
草碧色,水綠波
南浦傷如何
人生難得是歡聚
惟有別離多

入り混じる思いを、この一杯に託して
出発を促す笛の音が何度も耳に響く
君よ、次はいつ帰ってくるのか
帰る時は迷わずに、無事に帰っておいで

草は青く、漣は緑
別れはどうしても悲しいもの
人生において、再び会う喜びは得難く
別れが多いのが常なのだ


憶兒時 (子供時代の思い出)

春去りて秋来る、時は流れゆく如し、
故郷を離れた我が身の漂泊を悲しむ。
子供の頃を思い出すと、友と戯れる光景が
まるで昨日のことのように感じられる。
茅葺きの小屋と古い梅の木、
その木の下で鬼ごっこ。
高い枝で鳴く鳥や、小川で泳ぐ魚も
良い遊び相手だった。
子供の頃の楽しさ、二度と戻らない。
子供の頃の楽しさ、二度と戻らない。


三寶歌

闇夜に閉ざされた人間界と天界、
暗黒に包まれる宇宙に、
誰が光をもたらすのか?

火が燃え盛る家のごとき三界では、
数多の苦しみが煎り迫る。
誰が安寧を与えるのか?

大いなる慈悲と智慧、そして無双の力を持つ方よ、
南無仏陀耶なむぶつだや
すべての存在を照らし、
生けるものすべてを温める、
その功徳は言葉で表せない。

今こそ知る、
ただこれが、
真に帰依すべき場であることを。

生涯を尽くし、
身と命を捧げ、
信じ受け入れ、勤しみ励む。


二諦を総持し、
三学を高め、
法界の身を成す。

清らかな徳が完全であるとき、
汚れた煩悩は静まり、
広大な涅槃の城が現れる。

すべての因縁は性空であり、ただ識のみが現れる。
南無達摩耶なむだるまや
理は何一つ隠されることなく、
蔽いはことごとく解かれ、
大いなる明るさが輝きわたる。

今こそ知る、
ただこれが、
真に帰依すべき場であることを。

生涯を尽くし、
身と命を捧げ、
信じ受け入れ、勤しみ励む。


清らかな戒律を基盤とし、
妙なる調和を成し、
霊山に遺された芳ばしい模範を継ぐ。

修行し、果を証し、
法を弘め、世を利益し、
仏の灯火を継ぎ明かりを灯す。

三乗の聖賢たちは、いかに集い合うのか?
南無僧伽耶なむそうぎゃや
大衆を統べ、
すべてを妨げるものなく、
正法の城を守り支える。

今こそ知る、
ただこれが、
真に帰依すべき場であることを。

生涯を尽くし、
身と命を捧げ、
信じ受け入れ、勤しみ励む。


私は一切の眾生に対して、慈悲深い母のような存在でいるべきだ
『華厳経』