プライドと思いやり
私が猫を2匹飼っていてお別れの時に悩んで、最後は自然に任せたお話を以前投稿しましたが
実は二匹とも最後を看取ったのは私の母で、私は仕事だったので二匹とも死に目に会えませんでした。
一匹目の時もそうでしたが、二匹目の死に目にも会えなかったときは、私の愛情が足りなかったから、二匹とも死に目に会えなかったのかと、神様は死に目に会わせてくれなかったと、自分を責めていた時期がありました。
その時期に私の救いとなった
田村由美先生の
「ミステリと言う勿れ」
という漫画のワンシーン
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ずっと看病してたのに、目を離した一瞬に亡くなった?
猫なら当たり前ですよ。
猫は、あなたに死ぬところを見せたくなかったんです。
猫だから見られたくないっていうのもあるけど
猫はあなたの事が大好きだから見せたくなかったんです。
猫にかぎませんけどね。うちの母方の祖母も、入院中そばに誰か何時も居たのに、一瞬誰もいなくなったのを、みはからったように亡くなりました。
母は嘆いてたけど、僕は祖母の意志だと思う。
気の強い優しい人だったから
だかや死ぬ時に
見られたくなかったし、見せたくなかった。
それは祖母の 猫の
プライド(矜持)と思いやりです。
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よく、ドラマとか、実話を元にしたドキュメンタリーで、主人公が病院に付いた瞬間に亡くなったりして、死に目に間に合って、「ああ、この人は貴方のことが大好きだったから、待ってたんだね」とか見たいなお話が多いし、実際に私も、死に目に間に合ってたらそれで、良いと思いますし、大好きな存在の死に目会えて見送れたのなら、それは本当に幸せな事だと思います。
でも、だからといって死に目に間に合わなくても、「愛情がたりなかったから」「日頃の行いが悪かった」だから神様が死に目に会わせてくれなかったとか、自分を責めないで下さい。
大好きだからこそ死ぬところを見られたくなかった。
そう言う捉え方も良いと思います。
少なくても、私と同じようにこのシーンで救われた方は、十分に、愛情はあったし、日頃の行いは良いです。じゃなきゃ引きずらない。
引きずるくらい、愛情があって、行いがいい自分を許して抱きしめてあげてください。
私は本当に田村先生の作品に在り方、考え方を教わりました。
私の人生の教科書は田村先生の漫画です。
実際に田村先生にお会いして「ありがとう」を伝えたいのもわたしの叶えたい夢の一つ。
#ミステリと言う勿れ
#田村由美
#人生で大切なことは全てマンガが教えてくれた
#この作品がなかったら今の自分は存在しなかったと言っても過言ではない作品を晒すべし
#この作品で本当に救われました
#ありがとうございます 。
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