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振られたと同時に、惚れた
世にも奇妙な体験をした。あれは夏休みが始まる直前だった。
振られたと同時に、惚れた。
惚れてしまった。自分が。なぜだか彼女に。信じられないことだが、本当だ。振られたし、惚れた。
彼女と一緒に飲みに行ったときだった。ちょうどその日に期末テストが終わり、身も心も真夏の花火のように彼方へ打ち上げたい気分だった。店はどこでもいいという建前ではあったが、僕は事前に周辺の店一帯を調べていた。テスト勉強をするより、興味のある相手と飲みに行く店を調べている方が、よっぽど人生に喜びが付与できる。
最初に注文したキャベツのザク切りはその店オリジナルのソースと絡まり合って良い味になっていた。彼女の唾液が付着しているであろう食べ終えた焼き鳥の串が、僕の串とくっ付いて何本も並んでいた。酒の控えめな彼女もビールと赤ワインを飲みほしていた。顔赤いねと言って彼女のあたたかい頬に触れもした。そのようにして寛ぐ空気が流れていた、ああ、そのときだ。
「私はシスでヘテロ」
聞き逃すはずがない。僕はセクシュアルな問題について関心を持っている。というよりも、セクシュアリティーは自分の芯そのものに同一化してしまっている。見ざる聞かざるでは済ませられない。
「自分」に関する情報を述べるとき、彼女はそう言った。さりげなく。確実に。シスで、ヘテロだと。
……振られた。その瞬間、惚れた。
どういうことか。このときのあまりに衝撃的な戦慄は、今も消えてくれない。彼女の何気ない言葉は、僕にとって重大な意味があった。シスジェンダーとは、自分自身の性別に違和感を持っていないこと、ヘテロセクシュアルは、異性愛者ということを指す。つまり彼女は「自分は女で、男を好きになる」と言った。こちらがセクシュアリティーの話を持ち出す前に、自己分析の一要素として彼女はセクシュアリティーをそう規定した。
シスでヘテロ、つまり自分の性別に違和感がなく、異性を好きになるというのは「普通」とされていることだろう。それなのに、彼女は「普通」に目を瞑ることもなく、しっかり見つめているのだ。ああ、この人のことが好きだ、そう思ってしまった。呼吸をするのと変わらない自然な波動で、それでいて瞳は真剣そのもので、こうした話題に触れることができる人なのだ、彼女は。
「男が好き」と明言されたことはつまり、男でも女でもないし人間といえるのかわからないという漠然とした自己認識でいる僕を、はっきり振ることを意味していた。それに、そのときはまだ僕が身体の通り「女」だと彼女に見なされていたのだから、僕が恋愛の意味で彼女に「好き」と言われることは一生ないことを示していた。僕は悔やんだ。同性と見なされることで気負うことなく彼女が誘いに乗ってくれるという恵よりも、永遠に彼女に寄り添えないであろう神の悪戯を憎んだ。
始まる前から終わっていた。まさに、そうとしか言えない。救いようのなさに弁明は不要だ。そんな壊れたレコードみたいな恋が、世の中にはあるものだ。