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私が正常だった頃

険しい坂道を踊る勢いで駆け上る。途中にいた健気な仔犬を驚かせるところだった、申し訳ない。
こんな時期に不釣り合いでありながらも金銭面に投資しているアピールが容易にできるサーティワンのバラエティーパック十二個入りを両手に提げ、それらを打つけないように、けれど保冷剤なしのそのアイスが溶けるより先に、友人宅を目指す。
というより本当は、一年に一回しか会わない御決まりの新年の挨拶を穏便に敏速に済ませるには、その界隈で最年長の自分がアイスを持って登場するのが気難しい知り合い関係の付き合いをやりくりするのには最適だと知っていたからかもしれない。知り合い中で初めての赤ん坊として可愛がられたこの自分が、いかにも無邪気にやり遂げるのだ。この道化が、大事なのだ。

一番に到着し、早々にアイスを引き渡す。家の主人である両親の友人の母は、つまり私の祖母と変わらない年の頃であり年相当の老け方をしていたが、重たい荷物を若々しく受け取り、あけましておめでとうございますの応酬が早速始まった。

一通りの挨拶とちらりと目に入った箱根駅伝の感想を言い置き、いつも荷物置きとして用いる奥の部屋へ入った。
そこで、少女漫画に描かれるようなザ・青春な女子高生生活を送る年下の友人の本棚を見た。
ジャニーズメインの雑誌が5つの出版社分、しかも綺麗に一年分並べられていた。
私もかつてコレクションしていた類のものだ。さすがに毎月5冊分買い続けるほどのお小遣いは得ていなかったが、毎月立ち読みするのを楽しみにしていた。
自分は男性好きなのだと疑うことのなかった時期だ。自分が女であるとブレることなく自認していた頃だ。つまり、“正常だった”頃だ。

五分遅れた親たちがやってくるとすぐさま、ジャニーズを見て顔を綻ばせている私を見つける。そしてニヤリと、まだそんなもの興味あるのかという顔をする。
雑誌に登場するアイドルの半分近くが年下になってしまったのではないかという不安が常駐しつつも、まだ学生の身分だからか成人式のお祝いというていだか、代わる代わる現れるオトナたちから有り難くお年玉を戴く。

ジャニーズに純粋にときめくことのできる自分がいることで、私は自分に別人を発見する。それは新鮮さと同時に、過去に泥を塗る作業に似た重たさがある。

私は男も女も好きだ。家族は、何も知らない。

過去の自分もびっくりするだろう、自分は同性と認識している女だって好きになるんだぜ、と囁いてやったら。

後で愚痴を聞かされる羽目になる親戚めぐり、友人めぐりを済ませ、今度は家族で買い物へ向かった。成人式のお祝いと称して、服を買うお金を何万円も貰ったのだ。

私は成人式に関わらないのに。

行けば学生時代好きだった男子にも女子にも会える、しかも晴れ着姿の。それは自明だ。それでも私は行く気にならない。
私自身が、“女”の格好をしなければならないからだ。化粧は吐き気がする、髪の毛も、振袖もドレスも、勘弁して欲しい。
かといって男性にトランスしてビシッとスーツを着こなしたい欲もない。男女二元論には居心地の良さが皆無だ。圧迫され、呼吸が苦しくなる。

親戚の「成人式をやってあげないなんて可哀想」という圧力を受けた両親が、しきりと私に成人式はやるんでしょうと畳み掛けてきたが、それはお門違いだ。そんなことに大金を使うなら留学の資金にしてくださいと何度も言った。

そして遂に、成人式は前撮り含め、何もしないで済むこととなった。実家にも、なぜか住所が特定されている東京の寮にも、大量の振袖案内が届いた。それらの束は一度も開封されることなく、ゴミ箱へ棄てられた。

ジャニーズ雑誌に続く、今回の不快さ第二弾は、服を買う場面でだ。
母と妹は「これ、可愛い」を基準とする。入るのは決まって若い女性ものの売り場だ。それが可愛く着こなせるのは女性性に満ち溢れる女性かマネキンだけであって、私に似合うかは別だ。

私が一人暮らしで男物のジャケットを購入し着ていることも、行きつけのバーがレズビアンバーであることも、現在惹かれる相手が女性であることも、家族は何も知らない。
私が女性ものの服を見ていて抱く思いは、「これ彼女が着ていたら自分は嬉しいだろうなぁ」という初々しい男性が考えていそうな夢であり、(皮肉ばかりで自分でも嫌気がする言い様ですね) 私が着てみたい、可愛く見られたい、との清純なる思いでショッピングを楽しむことはない。
男性に恋愛中でさえ、それはほとんどない。まず自分自身が女性であることを快く引き受けられないからだ。

性的指向という心の問題と、自分の身体への違和感という身体の問題は別個に存在する。
そしてそれが私の場合は交錯する。さらに複数愛や結婚やセックスの領域までいくと、私はもっと、家族の理解し得ない領域に生活を置いていることになる。
それは正月の親戚めぐりよりもややこしい話になるだろう。くどいほど続くお節料理よりもずっと無為な味の、鈍い議論となるだろう。
女ものの可愛い服を買う羽目にならなかったことを、せめてもの救いとする。

皮肉100パーセントのタイトルをつけてみた。
“私”が“正常”“だった”頃、なんて強調するのは馬鹿らしいので、諦めの気持ちで辞めた。

#エッセイ #小説 #正月 #セクシャルマイノリティー #セクシュアリティー

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