サルトル先生にキレた。

初めて教授に喧嘩を売りました。

普段はお葬式のように静まり返った哲学講義において、哲学科の学生と教授が激論となったのです。実際のところは論と言うまでもなく、その教授があまりにも無知でしたので、私や他の学生が耐えられなくなっただけなのですが。

「同性愛と性同一性障害はいっしょ」
「同性愛?そんなの気持ち悪い、自然に反する」といった発言を現代日本で未だにする教授がいらっしゃるなんて、信じられませんでした。どういうこっちゃ。

「カレーとウンコはいっしょ。だってどちらも茶色いだろ」というのと同じくらい意味不明です。明らかに違うでしょう笑笑

百歩譲って自分の解釈を持つこと自体は自由だとしても、それを学生に押し付けたり唯一の正義のごとく語ってみせるのは、馬鹿丸出しですし傲慢ですよね。高いお金を払って授業を受けている学生の身になってほしいものです。カレー屋に行ってウンコを出されたら、あなただって怒るでしょ?それか、呆れて失笑するしかないですよね。

サルトルの『存在と無』を読む場面で、「愛」についての話が出てきました。そこで同性愛に続く展開となったのですが、こんな教授に愛を語られたら堪りません。
教授があまりにちんぷんかんぷんな発言しかしないものだから、私は珍しく手を挙げました。
「同性愛と性同一性障害は違いますよ」と言って説明を試みました。しかし教授に中断され、またも無茶苦茶な暴言を吐かれてしまいました。

「あのすみません、それはいつの時代のどこの国の話ですか」と思わずツッコみましたよもう。教室内に笑いが起きました。相変わらず教授は態度を変えませんでした…。他の学生が指摘したって同様です。
もはや笑いました。この老教授に何を言っても通じないことだけが火を見るよりも明らかだったのです。

その日、私はSNSにこう書き付けました。
「同性愛と性同一性障害の区別もできない半世紀前の教授はサルトルを武器に無知を披露してる暇あったら教壇から去れよ。給料泥棒かよw」

翌週、私は哲学講義に早めに行きました。
授業?受ける気はありませんでした。授業前にホワイトボードにラクガキされていただくために行ったのです。
同性愛と性同一性障害を図解して、矢印を引っ張り「同じわけないでしょ。(両方もつ人はいるけどさ)」と書きつけました。あースッキリ。授業は受けずに大学を出ました。渋谷ハロウィンへ直行です。あースッキリ。

授業に出た友人に聞いたところ、老教授はホワイトボードガン無視で授業を進めていたらしいです。
けれど消されずホワイトボードに残っていたのならよかったです。発言していた学生の中にも、明らかに同性愛と性同一性障害を区別できておらずキモチワルイと思っている人がいたようなので、そうした学生にも伝わればいいなあと思いました。

何十人もの学生がいる教室でそうした言動をすると、「セクシュアリティーのことにやけに詳しい…やっぱ当事者か?」と疑われそうで控えていたのですが、それくらいのことは常識が成せると思いたかったです。
「大学で何学んでるの?」と聞かれたときに、怯まず「哲学とセクシュアリティー」と言えるようになりたくて。

後日談。
一部の学生や、ジェンダー研究・社会学を専門とする教授の間では、この無知過ぎる教授が問題になったそうです。
他の大学は六十五歳で定年なのに七十歳まで働かせるのは宜しくない、という話も出てきたそうです。年齢のせいにはしたくありませんが、例の教授はもう定年間際で、新しいセクシュアリティーの知識には全く関心を持つことができず、学生を傷つける発言をしたのですから仕方がない流れでしょう。
あの暴言を録音してストれば勝てるレベルで、確かに酷かったものです。元シールズの友人は学生運動のプロなので、本気を出せば何でもできそうでした。
大人に飼い慣らされてる?学生ナメんな!と思った出来事でした。

#エッセイ #短編 #セクシュアリティー

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