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カンボジア一人旅日記 Part4

朝4時30分、アラームの音が静かな部屋に響き渡り、僕は目を覚ました。薄暗い天井をぼんやり見つめながら、ここがどこなのか、一瞬分からなくなる。不思議な感覚だった。まるでまだ夢の中にいるような、現実と非現実の狭間に揺れているような。

しばらくして、窓から漏れる薄い光を見ながら、ようやくここがカンボジアだと思い出した。夢だと思ったが現実だった。その不思議な実感に、まだ覚めきらない心がじんわりと温まっていった。

30分で準備を済ませ、ホテルのロビーへ向かうと、ガイドさんがすでにソファに座って待っていた。プロフェッショナル感満載だ。軽い朝の挨拶を交わし、いざアンコールワットへ。外はまだ真っ暗で、空気はひんやりとして心地よい。半袖のシャツがちょうどいい感じだ。カンボジアには四季がなく雨季と乾季しか存在しない。今は乾季で雨季に比べ涼しく雨も少ない観光ベストシーズンという最高のタイミングだった。「涼しいですね」とガイドさんに話しかけると、にこやかに「カンボジア人にとっては寒いです」と一言。え、これで寒いの?と驚きつつ、ふと「もしこの人が日本の冬に来たらどうなるんだろう」と考えてしまった。その瞬間、脳裏に浮かんだのは、厚着の限界を超えて布団に完全防備でくるまりながら、「助けて……」と震えているガイドさんの姿。日本の冬には来ない方がいい。

車で10分ほど移動し、最初にチケット売り場へ向かった。既に多くの外国人観光客が列を作っていた。チケットには顔写真が印刷される仕組みで、ちょっとした身分証明書のようなものだ。1日券、3日券、7日券があり、僕は3日券を購入した。お値段62ドル(日本円にして約10,000円)。高い!と思わず眉をひそめたけれど、そのうち2ドル(日本円にして約300円)は寄付金とのこと。僕がここに来たことによって少しでも誰かの力になれていることを誇らしく感じた。だがよく考えるとこのチケットの金額の割に寄付金がたったの300円で、残りの9,700円がどこに消えるのかを考え始めると、途端にややこしい気分になってきた。けど、ここまで来て「これ、内訳教えてもらえます?」なんて聞くのは野暮だ。気持ちを切り替え、「まあ、楽しめば全て良し!きっと誰かの何かの役には立つだろう」と自分に言い聞かせる。
そして3分程してチケットを渡された。印刷された自分の顔は、中途半端ににやけていて絶妙にだらしない表情をしていたので破り捨てたくなったがそっとカバンの中にしまった。

チケット売り場を出発し、いよいよアンコールワットへ向かう。到着したのは5時30分頃で、まだ真っ暗。目の前に広がる闇がアンコールワットかどうかさえ分からない。ガイドさんがスマホのライトで足元を照らしつつ、中心部へ案内してくれた。途中、アンコールワットの歴史について教えてくれた。もともとはヒンドゥー教の寺院だったけれど、時代の流れで仏教寺院になったらしい。なんだか宗教の大転換劇が行われたようだ。教会を「今日からお寺にします」みたいなものなのだろうか。そう考えると、歴史のスケールが違いすぎて頭が混乱する。

やがて、空がほんのりと明るさを帯び始め、アンコールワットのシルエットがゆっくりとその姿を現した。その瞬間、胸の奥に静かな高揚感が広がった。「ついに、ここに辿り着いたんだ」と、じわじわと実感がこみ上げてくる。何度も画面越しに見て憧れていたあの光景が、今、目の前に広がっているのだ。やがて太陽が地平線を超え、黄金色の光が遺跡全体を包み込む。その荘厳な姿を目にした瞬間、「本当にここに存在していたんだな」と、胸の奥から湧き上がる感動が、静かに心を満たしていった。

画面越しでは決して触れることのできないこの感覚。ほんの少しひんやりとした空気、耳に届く風の音、動物の鳴き声、そして目の前に広がる荘厳な景色——それらすべてが、ここに来るまでの長く苦しい道のりを報われたものにしてくれる。

いつかは必ず行きたいと思いながら、心のどこかで「叶わないかもしれない」と思っていた。その呪縛が、この瞬間に静かに解けていった。どこか懐かしいような、でも新しい風が心を吹き抜ける。軽くなった心を胸に、僕はさらに遺跡の奥へと歩みを進めた。

続く

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