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カンボジア一人旅日記 Part10
カンボジア旅2日目のラストを飾るのは、伝統舞踊を観ながらバイキング形式の夕食を楽しめるレストラン。会場は広々としていて、ざっと見積もって200人は収容できそうな規模だ。その中央には立派なステージがあり、1時間後にはここで華麗な踊りが披露されるらしい。
それまでの間、まずは腹ごしらえ。バイキングの料理台を眺めると、ホテルの朝食会場で見たのとほぼ同じラインナップが並んでいる。そして、ここでもまた“伝説のハイブリッド麺”を発見した。しかも、その前だけ妙に人が群がっている。やはり、この麺はカンボジアで絶大な人気を誇る存在なのか……?
「並ぶしかないな」と列に加わろうとしたその瞬間、見覚えのある後ろ姿を発見した。
ガイドさんだ。
彼は旅行中、食事の席まで案内するといつもどこかへ消えていく謎の習性を持っている。今回も例に漏れず、一度は姿を消したのに、なぜかハイブリッド麺の列にはしっかり並んでいるではないか。やはり、この麺には抗えなかったのか。
僕に気づいたガイドさんは、にっこり微笑みながらこう言った。
「野菜大盛りがおすすめです」
「いや、どこ行ってたんだよ」と心の中でツッコミ僕も野菜大盛りにすることにした。
ガイドさん専用の秘密の食事エリアでもあるのだろうか。こちらの疑問をよそに、彼は丼から今にも溢れそうな野菜てんこ盛りのハイブリッド麺を持ち、またどこかへと消えていった。
僕も負けじと麺を手に入れ、さっそく一口。やはり安定のうまさだ。だが、個人的にはホテルの方が味が濃くて好みだった。これは“ハイブリッド麺通”として、今後の旅で味の違いを研究する必要があるかもしれない。
そうこうしているうちに、ステージの開始時間が近づいてきた。会場のざわめきが少しずつ落ち着き、観客たちは期待に胸を膨らませながら席に着いていく。僕も食後の余韻に浸りつつ、ゆったりと舞踊の開演を待っていた。その時だった。
ゾロゾロと目の前の席に、異様な統率力を持つ集団が流れるようにやってきた。空間の支配者のようなオーラを纏い、規則正しく着席する彼ら。その瞬間、僕は、1人の少年と目が合った。
時が止まった。
飛行機で遭遇した、あの「エリート小学生軍団」だったのだ。
まさかこんな異国の地で、しかも同じレストランで再び巡り会うことになるとは。
僕は胸の鼓動を抑えきれず、レンゲをそっと置いた。これはただの再会ではない。何かが始まる予感がする。そう確信し、彼らの動向を観察することにした。
しかし、数分後、僕は絶望することになる。
彼らは、ジュースを飲み、パンやデザートを美味しそうに食べている。それだけだった。至って普通の小学生だった。
よく考えれば当然のことだ。彼らがいくらエリート集団であろうと、ここでは美味しく食べ物を食べるぐらいしかできないのだ。それなのに僕は、彼らが食事中も高度な議論を交わし、未来の世界情勢について語り合うのではないかと密かに期待していた。もしくは、壮大な戦略を練りながら、料理の栄養価を瞬時に計算し、最適な食事プランを組み立てるのではないかと。いや、考えすぎだ。
結局、彼らはただの小学生で、僕はただの「小学生をじっと見つめる不審な大人」になってしまっただけだった。心のどこかで「何か特別なもの」を求めすぎていた自分を恥じながら、僕はそっとハイブリッド麺のレンゲを持ち直し、再び食事に戻るのだった。
ステージ上で「伝統舞踊」が始まろうとしている。琴のような優雅な楽器を構えた演奏者たちがスタンバイを始めた。その瞬間、空気がピンと張り詰める。アナウンスが響き渡り、煌びやかな衣装をまとった6人の女性が、まるで神々の使者のようにステージへと舞い降りる。彼女たちの頭には、トンガリコーンのような独特の帽子が輝き、神秘的な雰囲気をさらに際立たせていた。
静かに流れ始めるスローなテンポの音楽。しっとりと響く女性の歌声。それに合わせ、踊り子たちは独特の手つきと優雅な足運びで、ゆっくりと舞い始める。流れるような動き、しなやかな指先、そして時折見せる鋭い視線。美しい。確かに美しい。だが…。想像していたのと、なんか違う…。
僕は勝手に、もっと派手なものを想像していたのだ。たとえば、火を噴きながら宙を舞うダンサーとか、太鼓を力強く叩きながらジャンプするパフォーマーとか、そんな「特別な訓練を受けたカンボジアの超絶技巧」を見せてくれるのだろうと期待していた。だが目の前にあるのは、どこか穏やかで静かな世界だった。いや、よく考えれば当たり前なのかもしれない。日本で言うなら「盆踊り」のようなものなのだろうか? もし日本でも、外国人観光客向けに「盆踊りを見ながら食事を楽しめるレストラン」を作ったら、意外とウケるのかもしれない。
そんなことを考えていると、ステージに新たな一団が登場した。今度は、ココナッツの殻を両手に持った男女5組。先ほどの厳かな雰囲気とは一変し、どこかコミカルなメロディに合わせ、軽快に踊り始めた。カン!カン!カン!カン!とココナッツの殻をリズミカルに打ち鳴らしながら、互いにぶつけ合ったり、宙に投げたりしている。まるで小学生の学芸会のようであった。
調べてみると、昔は戦いの前の儀式や雨乞いの際に踊られていたらしい。そして、この絶妙な手の動きを身につけるため、踊り子の中には小学生の頃から訓練を受けている者もいるのだとか。
なるほど、確かに奥深いものがある……そう納得しようとした、その時。僕の視線は、ふと目の前のテーブルに座る「エリート小学生軍団」へと向かった。
彼らは、ジュースを飲みながら静かにステージを眺めている。特に表情の変化はない。何かを計算しているわけでもなければ、哲学的な議論を交わしている様子もない。ごく普通に、ご飯を食べ、踊りを眺めているだけだった。
僕は突然、天啓を得たような気分になった。「このエリート小学生たちを、ステージに上げたらどうなるのだろう?」
あの完璧な統率力を誇る彼らが、この舞台で何かを披露したら?
もしかして、僕の想像を超えた圧倒的なパフォーマンスを見せてくれるのでは?そんなことを考えたら、もう頭から離れなくなった。
もし彼らが壇上に立ったなら、一糸乱れぬフォーメーションで、完璧なタイミングでココナッツの殻を打ち鳴らすのではないか? 一秒の狂いもなく、計算し尽くされた動きで観客を魅了するのではないか? もはやココナッツの殻すら彼らの手にかかれば最先端の楽器と化すのでは?いや、むしろ踊るだけでは終わらないかもしれない。観客を巻き込み、未知なるパフォーマンスへと進化させ、新たな「エリート伝統舞踊」を生み出すのでは?
その瞬間、僕は確信した。僕が本当に求めていたものは、これだ。伝統舞踊でも、ココナッツでもない。僕の心を本当に動かすのは、この目の前にいる謎のエリート小学生軍団の存在そのものなのだ。
だが、残念ながら彼らがステージに上がることはなかった。当然だ。そんなことあるわけがない。こんなくだらないことを考えているうちに、気づけばステージはすべて終了していた。席を立ち、ぼんやりと「やっぱりエリート小学生軍団をステージに上げるべきだったな……」などと意味不明なことを考えながらホテルへ向かった。
部屋に着くなり、荷物を放り投げ、シャワーを浴び、ベッドにダイブした。ふかふかの布団が僕を優しく包み込む。一瞬で眠りに落ちた。
続く