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カンボジア一人旅日記 Part7

昼ごはんを食べるために、ローカルレストランへ向かった。せっかくカンボジアに来たのだから、現地の名物を食べねばならぬ。そこで僕はガイドさんに聞いてみた。「カンボジア料理といえば、どれがおすすめですか?」

ガイドさんは、迷うことなくいつもの爽やかな笑顔を浮かべながら、メニューのど真ん中に鎮座する料理を指さした。アモックというらしい。

なるほど、一番目立つ場所に載ってるってことは、きっと看板メニューに違いない。「じゃあ、それで!」とアモックが何かよく分かっていないが即決した。そしてドリンクは、安定と信頼のコーラを注文した。旅先では何かと水に警戒しがちだが、コーラさえあればお腹の安全は保証されたも同然だ。ちなみに日本ではほとんど飲まないのに、海外に来ると妙に頼んでしまうのは不思議なものだ。

ほどなくして、ココナッツの器に入ったアモックが運ばれてきた。

スプーンでひとすくいし、恐る恐る口に運んでみる。

「……なんだこれは?」

一瞬、言葉を失った。未知の味。今まで食べたことのない風味に、脳が処理を拒否する。しかし、味を解読してみると、ココナッツミルクにほんのりカレー風味、それに魚や卵、スパイスを混ぜ込んだ、いわば「南国風茶碗蒸し」といったところだろうか。見た目とは裏腹に、意外にも甘くて優しい味がする。

最初は「これがなぜ名物なんだろうか?」と首をかしげたが、2口、3口と食べ進めるうちに、気づけば夢中になっていた。クセになる味とはまさにこのことだ。「あれ? これ、意外とうまいぞ?」と、気づけばご飯と一緒にバクバク食べていた。

……が、悲劇は突然やってきた。

3分の2ほど食べたあたりから、甘さの波が押し寄せ、胃がじわじわと異変を訴え始めたのだ。どんどん重く、どんどんくどくなっていくアモックの甘み。口の中が甘さに支配され、ついには吐き気すら感じるようになってきた。

しかし、ここで残すわけにはいかない。僕の中の「食べ物は残してはいけない精神」が発動し、意地でも完食する覚悟を決める。何とか意識を甘さから逸らしつつ、最後のひと口を飲み込んだ時には、軽く達成感すら覚えた。

そして、食後の達成感に浸る僕に、ガイドさんがにっこり微笑みながらこう言った。
「1人で食べるにはちょっと多いんですよね〜」

僕は次の遺跡へと向かった。アモックの甘みとともに、少しの寂しさを抱えて。

車で10分ほど揺られ、次の目的地「タ・プローム遺跡」へと到着した。ここは以前からYouTubeで何度も見ていて、ずっと訪れたいと思っていた場所だ。期待に胸を膨らませながら遺跡の中心へと足を進める。

そしてついに、その光景を目にした瞬間、僕は息を呑んだ。

まるで映画やアニメの世界に迷い込んだかのような、現実離れした風景が目の前に広がっていたのだ。遺跡の上に、巨大なガジュマルの木が堂々と根を張っている。人間の常識をはるかに超えた、圧倒的な存在感だった。

どうやら昔、この遺跡が放棄された後、鳥が屋根の上に種を運び、そこからガジュマルが成長を始めたらしい。長い年月をかけ、根は建物の隙間へと入り込み、やがて遺跡と完全に一体化した。今ではこの木を取り除こうとすれば、建物そのものが崩れてしまうほど深く結びついているという。

この不思議な光景を眺めながら、僕の中でまたしても“哲学モード”が発動した。

人間関係も、きっとこれと同じなのかもしれない。

最初はただの他人同士だったはずなのに、いつの間にか少しずつ心の隙間に入り込み、気づけば互いにとって欠かせない存在になっている。何気ない日々の積み重ねが、やがてしっかりとした絆を築き、支え合いながら共に歩んでいく。でも、もしそこに強い力をかけてしまえば、あっけなく崩れてしまう。一度壊れてしまったら、もう元には戻せない。

ふと我に返ると、僕はじっと遺跡を見つめていた。

長い年月をかけて、木と遺跡は寄り添い、絡み合いながら、まるで互いを確かめ合うように静かにそこに佇んでいる。その姿は、時の流れに逆らうことなく、ただ共に生きてきた証のようで、なんだか胸の奥がじんと熱くなる。そして、少しだけ羨ましく思えた。

遺跡の出口へと歩を進めながら、ふと名残惜しさに振り返ると、ガジュマルの木が静かにそこに立っていた。長い時を超え、変わらずただそこに在り続ける。
「そんなに急がなくてもいいんだよ」と風が葉を揺らしながら、そう囁いている気がした。

僕はそっと息を吐き、ほんの少しだけ背筋を伸ばす。いつの間にか、旅の意味を探していたことに気づく。でも、もしかしたら答えなんて、どこか遠くにあるわけじゃなくて、こうして立ち止まり、振り返る瞬間にこそあるのかもしれない。

ゆっくりと僕はまた次の目的地へと歩き出した。

続く


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