小説/黄昏時の金平糖。【タイムレコード0:07】#21 負けないように、ただいま
黎明わた 6月3日 金曜日 午後6時35分
愛知県 夏露町 弓道練習場
「─ありがとうございました!!」
一人しかいない練習場に向かって叫んだ。
「お疲れ様」
袴姿でやってきたのはあにい─灯籠真弓(とうろう まゆみ)だった。
「あにい!お疲れー」
兄(あに)と兄(にい)の呼び方が合わさってあにいになった。あとは、ここら辺の方言的なのもあるらしい。
「じっちゃんが白玉作ってくれたし一緒に食べよ」
「やったね、食べよー」
じっちゃんは弓道練習場の持ち主で、隣に家がある。先生みたいに教える人だ。
あにいはじっちゃんの孫で、ここの後継者らしい。そして自分は、ここに通う最年長の中一。
自分にとって第二の家であり、第二の家族であるこの二人に可愛がって貰えて、まぁたいそう幸せなやつだ。って勝手に思ってる。
きな粉と黒蜜がかかった白玉を爪楊枝で食べる。甘くて美味しい。練習のあとにちょうど良い品だ。
「うまー」
「さすがうちのじっちゃん。料理もできるんだなー」
「なー」
と、後ろから「まゆみー」と声が聞こえた。
「じっちゃん!白玉美味しいよ」
あにいが答える。じっちゃんはこっちを向いた。
「おお、お前もおったか」
「そだよー」
「うまいか?」
「めっちゃうまい」
簡単な会話を繰り広げる。最後の一つをあにいに譲ってもらって、味わって食べながら時計を見た。
「あ、もう7時かぁ」
「ほんとだ。やっと外も暗くなり始めたね」
「んじゃ帰ろかな」
立ち上がって弓と着替えを手に持った。
「またね」
「来週も来いよー」
あにいとじっちゃんが言うのに対して「また来週ー!」と手を振った。
黄昏わらべ 6月3日 金曜日 午後6時55分
愛知県 夏露町 帰り道
無言で歩く。
湿った風が髪の毛を撫でる。蛙の鳴き声を聞きながら田んぼ沿いをひたすら行く。
春の気配は薄くなっていて、もう夏みたいだ。
もうすぐ梅雨だというのに、公園に遊びに行くのか。けど、テスト週間で勉強もしたくないし、ちょうどいいのかもしれない。
そういえば、と空を見上げた。
あいつには夢があるのかなって、ふと思った。夢っていうのは将来の夢から、これをやってみたいっていう小さな夢まで。
俺にはやりたいこともないし、始めたいこともない。バスケも辞めてしまってから気まずくて入れないし、部活もまだ入部していない。
早く決めないと担任に毎日、催促される。それがどれだけうっとうしいことか。
おまけに将来の夢も無いなんて、のうのうと生きすぎだ。
、、、でも。
月を見ながら思った。
まだ先で決めたい。やりたいこと、見つかるかもしれないから。
家を目の前にして、はっとした。
─俺、今まで気にしたこともなかったこと考えてる。
少し恥ずかしくなって、走り出した。
ただいまと大声で叫ぶ俺の背中を誰かが見ている気がした。
黎明わた 6月3日 金曜日 午後7時00分
愛知県 夏露町 帰り道
─あれって、わらべだよね。
多分、そうだと思う。ただいまと大声で叫ぶ無邪気で純粋な彼の背中を止まって、たっぷり5秒も見ていた。あわてて目を反らしたときにはもう扉が閉まっていて、少し悪かったなという気がしてきた。
早くわらべとわさびと氷に会いたいなぁ、と唐突に思った。みんなで揃って、今年こそは8月の流星群を観たい。12月でもいい。
仲良くなれることを願って毎年、星座図鑑の流星群予定日表を確認している。その割には、一歩踏み出して大きなことをしない。
やっぱり引っ込み思案だ。
そろそろ家だな、というところでふと思った。
─もしかして、わらべ、仲良くなろうと話しかけてくれてる?
いや、そんなわけ。
ドアを開けて、わらべに負けまいと大声でただいまと叫んだ。
続
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それじゃあ
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