今日の漢字は「毎」「母」。暗いイメージが解明!/草取りから得られるものは?/お釈迦様が母に課したクエストとは?(読み方クイズ付き)
【はじめに】
みなさん、こんにちは! 七月のお盆が終わったら草取りの毎日です。
さて、何の気なしに書いた「草取りは毎日」という文言ですが、前回の漢字が「海」でして、その右側の旁(つくり)に当たる「毎」と「母」を次回に取り上げますと告知しました。面白いことに「毎」という漢字には、草が次々に生い茂るという意味が込められているのです! 取っても取ってもまた伸びてくる雑草。そういう意味もあって、度々繰り返す状態、つまり冒頭の「毎日」、「毎年」「毎回」という概念に同じ「毎」が使われるようになったということです。抽象的概念を表す文字としての記号が、自然の状態や観察に由来するということが、またそういう思想を包含した漢字文化圏が、私はとても好きなのです。
川や山、雨といった象形文字、林、休、鳴といった会意文字は、文字を眺めていれば、漢字の成り立ちが朧げに分かってきますね。しかしながら「いま」という時間の概念を、どのようにして「今」の漢字で表すに至ったか、そういった抽象概念の漢字形成を知ると、瞠目した目から鱗が落ちて、漢字の虜になってしまいます。そんな私の感動をみなさんに少しでも伝えたくてこのトピックスを書いている訳です。※「今」の漢字は別の機会に紹介しますね
※本トピックスでは毎回、漢字の読み方クイズも出しています。太字で斜体文字の正しい読みを考えてみてください! 文末に回答を掲載しています。全問正解になるかな?
ほぼほぼ読めたよという方は、是非ともコメント欄に一言書き残して頂けると嬉しいです!
【加納学説の紹介】 「毎」・「母」
境内や墓地の草取りを毎日するなんて、、、と思いますが、そもそも「毎」が次々と伸びてくる雑草をイメージしていたことを知れば、毎日の作務業も自然の摂理であり必然であると納得するところがあり、以前よりも少し前向きに取り組めるのでした。
みなさんにも毎日自分に課している日課や、毎月の定期業務、毎年の年中行事など仕事・プライベートで色々なタスクやイベントがあるかと想像します。慣れもあり飽きもありマンネリもあったりで、身に入らないこともあるかもしれませんが、草木は刈られても再度また伸び生い茂ることを想像し、毎度の習慣業務が自分を成長させてくれているのだと是非感じてみてください。そういった反復動作を経てこそ、心身・足腰は強くなっていくものです。私の好きな故事成語を一つ紹介致します。
疾風に勁草を知る
【海は暗い?!母も暗い?! 謎解きに迫る!】
前回「海」には暗いというイメージがあるので、「暗い」を意味するこの漢字があてがわれたという話をしました。
「氵」は水を表す符号ですので、「毎」と「母」という漢字はどのように解釈できるのでしょうか? 母は、女という漢字から派生しています。上下の点が乳房を表すと考えられます。母は子供を産みお乳をあげ幼児を育む存在です。「毎」は元の字を「每」とし、「母」+「屮」で成り立っており、「屮」は草かんむり同様、草と関係があることを示す限定符号です。加納喜光先生によれば、草は暗い地下から明るい地上に出てくる、子は母胎という暗い世界から明るい世界に出てくると、古代中国の漢字創作者らはそういったイメージを持っていたということです。ということはつまり「暗さ」は決してネガティブな意味ではありませんね。誕生前、萌芽前の闇は、エネルギーに満ち溢れた状態です。
他方で、青銅器等に刻まれた古代の【金文】には、「母」を無いと同じ意味の否定詞にも用いられていたとあります。この点も『漢字語源語義辞典』に次のように解説されています。
無から有形物を生み出すからこそ、「母」の漢字の深層構造としては「無」のイメージもあるということです。なんだか哲学の領域のような話ですね。まとめると、母と毎は「次々に殖やす」「暗い」というイメージがあり、その前段では「無」「無い」という共通のコアイメージをもつ語であるとのことです。「暗い」というイメージから派生している漢字には前号の「海」の他にも「侮る」「悔やむ」「晦日」といった漢字があります。
おまけに、木へんの「梅」という漢字も同じグループですね。植物・果実の「ウメ」にこの漢字をあてがいました。その背景とは…
【漢字を使ったビジネストーク】
梅の酸っぱさの話が出てきましたので、今回のビジネストークは以下を挙げてみました。
「新しいプロジェクトリーダーの人はどうなの?」
「ああ、信用はできるよ。あの人は前職でもその前でも色々経験しているし、酸いも甘いも併せ飲む人だから…」
・・・言わんとしていることは通じます!が、誤った表現ですね。正しい言い回しを知っていますか? 別の似たような意味の故事成語と混同しているようです。そちらの方も判るかな?
甘い100%のりんごジュースだと思ってゴクッと飲んでみたら、なんと母親が常飲している「りんご酢」で、想定外の酸っぱさにウェ〜となる。そんなシーンが思い浮かび思わず笑ってしまいます。
「人生経験を積み、世間の事情や人情の機微によく通じること」を意味することわざは、
酸いも甘いも噛み分ける です。
そして、
清濁併せ呑む (せいだくあわせのむ)
大海が清流も濁流もすべてのみこんでしまうように、大人物は、善も悪もそのままの姿で共に受け入れることをいう。心が広く、善でも悪でも分け隔てなく受け入れる。度量の大きいことのたとえ。
いかがでしたでしょうか? 私は綺麗事は言わない、清濁併せ呑むお坊さんです✌️笑
【結びに】お坊さんにとって「草取り」とは…
草取りの作業から得られるものは何であろう・・・?
取り除いた草はもちろん獲得した物である。これが仮にモロヘイヤであったら僕は喜んで自家消費するであろう。ほうれん草だったらポパイに売ればいい。しかし、草は雑草なのである。捨てるしかない。
【草取りは、苦しさを取ることである】・・・苦しみも掃いて捨てる程ある。四苦八苦している。草取りは苦を取り除く作業である。
すると何が残る?
苦さとり 苦← →さとり 悟りだ!
そうか、僕は草取りをしながら、悟りを得ているのだ!
悟りを得たお釈迦様は、ご臨終の際(きわ)に弟子たちに向かって何と仰ったか・・・?
【怠らず、励みなさい】
そう・・・。だから僕は怠けず、草取りに励んでいるのである。
悟りを得た上でなお、人生というものは努めるべき対象なのである。
【おまけ お釈迦様と母親】
子どもを亡くした母親キサー・ゴータミーは、気が狂った様に、この子を生き返らせる術を教えてくれと、町中、子どもの亡骸を抱いたまま、歩き回っていました。彼女はすがる思いで、お釈迦様の所にやって来て、「この子を何とか生き返らせて下さい!」 と懇願しました。 お釈迦様は母親に言います。
「この町の一軒一軒を訪ね歩き、ケシの実をもらって来なさい。その実が子どもの命を蘇らせる薬だ。ただし、そのケシの実は、1人も死人を出したことのない家からでないといけません」と。
母親は、わらにもすがる思いで、一軒一軒訪ね歩くと、「昨年、親を亡くした」、「先月、子を亡くした」など、1人も死人を出したことのない家などなく、誰もが死別の体験をし、悲しみを抱えていることを悟るのでした。
「ああ、なんと恐ろしいこと。私は今まで、自分の子供だけが死んだのだと思っていたのだわ。でもどうでしょう。町中を歩いてみると、死者のほうが生きている人よりずっと多い・・・」
彼女は、話を聴いて歩いているうちに平常心を取り戻していきました。戻って来た母親に、ブッダは「死は、生きる者にとって、逃れられない定めであるのです。子どもが生きているのであれば 生きている子どもを愛し、死んでしまったのなら、死んだ子どもを愛しなさい」と諭したと言われます。そうして、この母親はブッダに帰依します。
【読み方クイズ 回答】
朧げに おぼろげに 輪郭などがはっきりしておらず、ぼんやりしている様子。
瞠目 どうもく (感心して)目をみはること。刮目(かつもく)せよという言葉も好きです。
虜 とりこ うん?この漢字に「男」が入っている背景は…?とか、気になってしまいますね笑
疾風に勁草を知る しっぷうにけいそうを知る
「疾風」は激しく吹く風、「勁草」は強い草のことで、激しい風が吹くことによって、それに負けない強く丈夫な草が見分けられることから、困難に直面した時に初めてその人間の本当の強さや価値が分かるという意味
侮る あなどる 何となしに意味は分かるから、読みはスルーされていそうな漢字群…
悔やむ くやむ
晦日 みそか つごもり かいじつ 大晦日(おおみそか)と書くと、12月31日の年末最終日を指すので分かりやすいですね。
月が隠れる → 見えない、無い → 每 という連想ですね。
おしまい