No.3 中学時代の思い出(🦊)
🦊「えー、思い出????中学時代とか黒歴史しかないんだが(笑)恥ずかし〜〜〜」
幼稚園からの、親の出し惜しみのない「学力サポート」により、塾をしょっちゅうサボりつつ時にカンニングもしながらとりあえず受けた中学受験2校を全て合格して「受験って楽やな」と感じる👶🍼✌🏻✌🏻✌🏻💕💕
中高一貫校なので高校受験の心配がなかった。なので勉強しつつ対人関係のコツを掴もうとするも失敗👼✨✨「陰キャの中でも陽キャと関われるポジション」となりまさかの10代にして中間管理職勤務となる👲💦
さらに担任教師がポンコツだった。グループ内の些細なトラブルに関して相談すると、担任から「ほな、アンタ解決してや、力あるっしょ☺️💕💕💕」と言われて心がポキリンチョ‼️お前の頭カチ割ったろか?ロボトミーさせんぞ?🧠🔨💥
後日の三者面談にて「あ…アタシッ、教師向いてないんですッッ」👩🏻🏫💦💦💦と担任が号泣して45分間慰めるといったことも経験し、「こらアカンわ」と痛感。そのすぐ後にその人は教師を辞めた。お疲れ様でした。
そういった事件(?)はなんとか「18時まで話し合いの場を設ける」×3回目くらいで解決した(というか全員が『メンドクサッッ』になってた)が、相変わらず🦊は中間管理職常勤のままだった。
めんどくさいからもういいわ、というグループ内の気持ちは非常によく分かった。そりゃそうだ。授業が終わってから18時まで学校内に居ないといけないのはストレスだ。
さらに、大勢VS孤立した生徒1人。
何度、担任が提案した面談(笑)をしたとて孤立ちゃんは「向こうと違って独りなんだもん、🦊はどう思う?」で終わる。しかも、ある日突然、何かがあって(覚えてない)、その子が私の中立スタイルを完全否定してしまった。中立というのはそんなもんだ。
ただ、その時の場合はたとえワイ(🦊)にボロクソに言ってしまったといえど、それに共感する味方は無かった。大人数が「急に責められた🦊」を擁護するのは簡単だ。
ぶっちゃけ私自身は「どう思うもクソも知らんがな」で終わった。(むしろ『アイツが🦊に言ったこと信じられないんだケド‼️』になった。どうでもよかった)
その後の記憶はほぼ無い。
とりあえずその子はグループでハブられてしまい、私はどっちつかずのスタイルでいってたが、新しいクラス編成で全てが「無し」になった。
その子は中高時代、ほぼ味方無しではあった。中高一貫校ゆえに情報伝達は早い。
なお、🦊の家庭内のトラブルやらは詳しく覚えてないが、どこに居てもストレスを感じていたことと、成績などの学力でしかある程度の自分の存在意義を感じることが出来ずに病んだ。
13歳でリスカを覚え、自傷行為関連でOD戻り、更に高校生になる前にシャケツも味わった。
それでいいと思った。瀉血したい人間が集まるコミュニティでひとしきり血を抜いて、しんどすぎて電車の端で座りこんで水をひたすら飲んだことも、ラブホテルの一室を借りて知らないひとたちで血を抜きまくったのも、イレギュラーな世界で、楽しかった。
瀉血するために制服のまま歩いてた駅構内で、当時の担任(その担任とは受験までお世話になった)と出会ったのは今でも思い出せる。
👩🏻🏫(担任)「あ?🦊だよね?!どうしたのこんなとこで降りて。制服だし。」
🦊「?!!!!!!!?!!アッアン祖母の家に…アノッ…勉強終わりに寄ろうとかアノッ…」
👩🏻🏫「そうなん⁉️初めて知ったわ〜私はこの後コレ行ってアレやって…」
🦊「ワーーーッスゴイデスネ!!ワタシハコノヘンデ!!デハッ!!!!」
👩🏻🏫「あ、うんまた来週〜」
🦊「(先生が☆口方面のとこで出るなら私は♡口で出ねば‼️(シャケツしに来ましたとか言えるわけないだろ‼️‼️‼️(????)」
その後普通に瀉血して、15,000円のイヤリングを失くした(ADHD)ものの、親にバレないまま普通に家に帰った。
当時はコロナもクソもなかった。行きたい時、行ける時に「シャケツ参加します!」言うたらよかった。
今でもあの時の、えも言われぬ血の流れを見たくてあえて静脈狙ってリスカをする。
狙ってヒットすれば、ニードル(針)要らんなと思う。
止める気は無い。死ななければそれでいい。
コン🦊は、「生きてりゃそれでいい」なのだ。