見出し画像

キャプテン・ネコ

 我々は危機に瀕していた。すでに航路からは大きく外れ、宇宙のどこを彷徨っているのかもわからなくなっている。

「船長、このままではジリ貧です。いかがいたしましょう?」

 私はこの宇宙船ニャーチラス号の船長・ネコに判断を仰いだ。

 ブリッジにいたクルーたち全員の緊迫した視線が、船長席で毛づくろいをしている船長に集まる。しばしの沈黙の後、ネコ船長が口を開く。

「にゃーん」

 かわいい。

 切なげな鳴き声がこれまた、いい。

 だが、ネコ船長のみならず、我々クルーの食料も尽きかけているという危機的状況だ。クルーの誰もが事態の深刻さを理解している。見渡せば皆、おいそれと相好を崩すわけにはいくまいと耐えている。そんな中で副船長の私ひとりが恵比須顔になるなどあってはならない。

 ネコ船長はおもむろに寝転がり、背中を臙脂色のクッションに擦りつけはじめた。

 途端にそこかしこから、怒号に似た叫び声が噴出する。

「もうダメだ!」「こんな仕事やってられるか!」「我慢の限界だ!」

 堰を切ったようにクルーたちはネコ船長へ詰め寄り、周囲を取り囲んだ。そして次々に、写真を撮ったり、撫でたり、意味不明な猫語で話しかけたりしている。どいつもこいつも目尻がだだ下がりだ。

「お・ま・え・た・ちぃ!」

 私は、ちょっとあいつらに注意してやろうという体で、スキップするような足取りで輪に混ざる。

 その時だった。緊急事態を告げる警告音がけたたましく鳴り響いた。

「もう、何事だよ!」

 ネコ船長との触れ合いを邪魔された私が、親に反抗する中学生みたいに叫ぶと、我に返った観測手が自分の持ち場へ駆け戻る。

「こ、高密度の岩石郡が接近! 直撃コースです!」

「避けられるか?」

「間に合いません!」

「クソッ、どうします船長!」

 するとネコ船長は無言のまま船長席を飛び降り、私に背を向けてスタスタと歩きだした。何事かと見守っていると、そのままブリッジの後方に設えられた半透明の箱へと入り、少し内部の臭いを嗅いでから中腰の姿勢を取って固まった。

 その場の誰もがネコ船長の意図を理解した。

 うんちだ。

「総員、清掃に備えよ!」

 私の指示が早いか、クルーはそれぞれの持ち場へと付いた。ある者はスコップを持ち、ある者はうんち袋の口を開く、ある者は消耗分の紙砂を補給するため袋の封を切る。

 宇宙船は完全な密閉空間だ。猫の排泄物を放置するとどういう結果になるか、我々はこの3ヶ月あまりに渡る漂流生活で完全に理解していた。だってすんごいクサイの。そんなことで、このかわいいネコ船長を許せなくなってしまうのは、船員の誰一人望んでいないことなのだ。

 そして無事、我々の手によってネコ船長の排泄物は処理された。

「あーお、あーお」

 排泄を済ませたネコ船長が私の足の周りにまとわりつく。ご飯が欲しいのだろう。私に抱きかかえられてもなお鳴き止まないネコ船長を、クルー全員が哀しげな顔で見つめている。ネコ船長は、この船の食糧事情をご存じないのだ。

 私はネコ船長の前足を持つと、持ち上げ気味にして何かを掻き込むような動きをさせてみた。古の時代、片手を上げた猫は福を招くと言われていたらしい。

「な、なんだこれは?」突如、先程の観測手が深刻そうにつぶやいた。見れば青ざめた顔をしている。

「どうした?」

「先程の岩石郡かと思われた物体ですが、これは……そんな、スピードを上げて、き、来ます! 目の前です!」

 彼の言葉と同時に、船の目の前に突如、巨大な、明らかに人工的な物体が現れた。

 船だった。そして形は、猫だった。

 地球でこんなモノが造られたなんて話は聞いたことがない。おそらく我々は、いわゆる地球外知的生命体と遭遇したのだ。

 前方の船の、いわゆる猫で言えば目の部分が真ん中から開きはじめ、開口部は徐々に丸く拡がっていく。さながら縦に細長かった猫の目がまん丸くなっていくように。どうやら、あそこが小型機の発着場になっているらしい。

 私はツバを飲み込むと、震える手でネコ船長の額を撫でた。

「福、招いてくれたんですよね、ネコ船長?」

 ニャーチラス号をおびただしい数の猫型小型機が取り囲んでいく。

 これから私達がどうなってしまうのか、見当もつかない。だが、ひとつだけ確かなことがある。

 いついかなる状況に直面しようとも、我々の猫好きは変わらないということだ。たとえ今、私にしがみつくネコ船長の爪が食い込んで痛いとしても。


(おわり)



お時間に余裕ありましたら、他のやつも読んでやってくださいませ。