【雑記】自己紹介で派手に躓く人間なのです。

「鵠矢一臣です。ヒト嫌いです。」

 高校2年の時、クラス替え後の自己紹介で言い放って、しまったと思った。

 クラスで浮くのが心配とかそんな話じゃない。「ヒト嫌い」ではなく、「人間嫌い」と言うつもりだったのだ。当時は「間」の部分をもって、未完成なのだと考えていた。未完成だからこそ、誰かを傷つけたり法を犯したりするのだと。

 まだまだ思春期たけなわな高2男子だ。言おうとしてた文言を間違えてしまって、そこから落ち着いて訂正したり二の句を継いでどういう意味なのか丁寧に説明するなどできるはずもなく、結局そのまま耳を赤くしながら自分の席に戻ってしまった。

 もちろん、クラスでは浮いた。当たり前だ。

 そりゃそうなんだけど、高校時分の僕は何もクラスメイトから嫌われようと思ってそう発言したわけじゃない。

 人間なんてクソだ。でもそのままじゃカッコ悪いから、少しでもクソじゃない存在を目指そうじゃないか。そう言いたかったんだよね、本当は。言い間違ってあっさり轟沈したけど。

 普通はそんな場でそんな事は言わない。仮に常日頃から考えてたって言わない。だってハイリスク・ノーリターンだ。でもだからこそ、僕はそんな風に言い放つ奴が世界にいなきゃ世の中なんて良くなっていかないと考えていたのだ。

 こんなパッとしない男子学生だって旗は振れるんだぜと示すのに、僕にはその自己紹介の場しかなかったというのもある。

 同時にもうひとつ狙いがあって、多少センセーショナルとはいえこの程度の宣言で距離を取るような「人間」と無理して仲良くはできないとも割と真剣に思っていた。(どの立ち位置でものを考えてたんだ、当時の自分。)

 実際ヒト嫌い発言の効果はテキメン。こじらせ男子は見事に日陰グループのメンバーとなり、日々教室の隅でクックックッと一番弱い悪の四天王みたいな笑い方をして青春を過ごすことに。

 不思議だけれど、それでも青春は青春で、思い返せば底抜けに楽しいことばかりだった。まあ、恋愛を青春の必要条件だとすれば成り立ってはいなかったけれど。

 そういえば当時よく、道端や駅のベンチ下に放置された空き缶を見つけてはゴミ箱まで持っていって捨てていた。神とか徳とか目に見えない何かじゃなく、現実の誰かが見ていて「よし自分も」と変わってくれるのではないかと本気で信じてたのだ。

 結果はもちろん、高校卒業まで続けても何も変わらなかった。風が吹けば空き缶がそこいらを転がっていく。僕が絶望して命でも捨ててれば桶屋が儲かっただろうに。残念だったな桶屋。

 あの頃からはだいぶ時間が経ってしまったけれど、幸いなことに世の中は個人でもいくらか影響力を持てるように変わってきている。noteはその中の一つでしか無いかもしれないが、それでも独り無様に空き缶を拾うよりはずっとマシだろう。

 じゃあだからといって、グレタさんみたいにHow dare you? する気もないのだけれどね。ただ、こじれた人間としてこじれ具合を見せ続けていれば、「ああ自分もこじれてていいんだな」って思ってもらえる機会があるかもしれない。

 それが良い事かどうかはわからんですが。少しだけでも心が軽くなれば、自殺率も減って桶屋が儲けそこねるわけですから。残念だったな桶屋。

 というわけで、やっぱりここはハッキリ宣言しておいたほうが良いと思うのです。

「鵠矢一臣です。人間嫌いです」と。



 コテンッ(躓いた音)


#自己紹介

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