日本語で出来ないことは外国語でも出来ないし、日本語で出来ることは外国語でもできる
韓国に住んでいる時、韓国語は達者に話すけれど、語学学校での成績はいまいちな「Aさん」と、語学学校での成績は優秀なのに、友達同士の集まりではほとんど話さない「Bさん」がいました。
この二人を見て思ったのは、やっぱり語学はツールであり、使いこなす人の性格がダイレクトに出るということ。
Aさんは、とにかくおしゃべりが大好き。話したいことが湯水のように湧いてきて、間違っても笑われても、どんどん自分が言いたいことを口にしていきます。その結果、韓国語での「しゃべり」がどんどん上達していきました。
(ただ、机に向かっての勉強はあまり好きではなかったようで、「しゃべり」以外の読み書きの部分は苦手のようでした)
一方でBさんは、性格自体が物静か。みんなと一緒におしゃべりするよりも、一人で本を読んだり、文章を書くことが好きでした。そんなBさんは、毎日韓国語の日記を書いては先生に添削をお願いし、「書く」能力がどんどん上がっていきました。また、もともと机に向かっての勉強も好きだったので、「しゃべり」以外の読み書きの能力がどんどん上がっていきました。
この二人を見て思ったのは、やっぱり「好きこそ物の上手なれ」ということ。
「しゃべり」が好きで、その能力をどんどん伸ばしたAさん。
「読み書き」が好きで、その能力をどんどん伸ばしたBさん。
語学を習得したからと言って、急に性格が変わるのではなく(中には変わる人もいるかも知れませんが……)、その言葉を、どんなシーンで、どう操っていくかは、元の性格が非常に関わってくると感じています。
日本語で出来ないことは、外国語でも出来ないし(例えばBさんは、日本語でも口数が少ないのに、ましてや韓国語を使わなければいけない状況で、急に口数が増えるということはありません)、
日本語で出来ることは、外国語でも出来ます(正しくはできるようになります。Aさんは、元々おしゃべり好きな人なので、その気持ちはたとえ韓国語になっても衰えることなく、「しゃべりたい気持ち」が韓国語会話の上達をはやめました)。
語学を勉強する目的と自分の性格を照らし合わせ、得意分野をどんどん伸ばしていけばいいんじゃないかな~と、今は(実際に韓国にいる頃は、この境地まで辿りつけず、結構苦労しました、笑)思ってます^ ^