【小説】左部右人「チャットモンチー症候群」
阿波しらさぎ文学賞に応募した2020年
どうも、こんばんは、左部右人です。
昨年の阿波しらさぎ文学賞に提出した「チャットモンチー症候群」を公開します。ちなみに、阿波しらさぎ文学賞とは以下のような賞です。
「徳島ゆかりの地域や文化」という観点から小説を書け、ということでしたので、私は徳島出身のバンド「チャットモンチー」を題材に書きました。
特に誰かの目ひっかかるわけでもなく、あえなく一次選考で落選した作品ですが、出来れば人目につくところに置いておきたいという思いもあってこちらで公開します。
いくつか指摘を受けましたが、そのまま投稿しています💦
では、お楽しみください~
左部右人「チャットモンチー症候群」
「チーニングしなよ」
飛びっきり豪華な譜面台を、昨夜母親に買ってもらったばかりだった。近所のイオンで一番高い、クラシックの指揮者が使っていそうなシンプルなやつ。ギターとボーカルを兼ねるのであれば、譜面台は必須だろうと思っておねだりをした。
「ごめんなさい」
ボンボン、と結衣がベースのチューニングをしている。どうしてボリュームを絞らないのだろう。お陰で私はギターのチューニングが出来ない。
「すみません、先にこっちのチューニングをしてもいいですか。そのベース、多分大丈夫ですよ」
ドラムの佳奈子がわざとらしくハイハットを叩く。ロクにチューニングもできない私を笑っているのだろう。そのドラムのチューニングが合っているのか、私には分からない。
「あーあー、薄い紙で指を切って」
練習がてら歌っていると、結衣と佳奈子の二人が目配せをしているのが視界の隅に映った。
「いやさ、もうやっぱ美奈絵さんが帰ってくるまでやめとかない? ライブの日には間に合うかもしれないし。自分じゃキーが合わないよ」
四畳半の一室を防音用の部屋に仕立てた手作り感満載のスタジオだった。四人も入るとパンパンだ。私を含めた三人の体臭がごっちゃりと混じって、汗の酸っぱい匂いが部屋をもわっと満たしていた。
「まぁ、元々永田くんはボーカルじゃないんだし。練習したらよくなるでしょ」
二人が私を置いて話を進める。歌いながら楽器を弾ける人間は私だけなのだから仕方がない。
そもそも、結衣がベースを弾きながら、佳奈子がドラムを叩きながら歌うことが出来れば問題はなかったのだ。
それに、「チャットモンチーをやろう!」と言い出した美奈絵がいないのであれば、他のバンドのコピーをしたっていいはずだ。三人ならばサンボマスターをやったっていいしグリーンデイをやったっていい。女性ボーカルにこだわる必要はない。男性である私がボーカルなのだから。チャットモンチーにこだわる必要はない。
「はい、じゃあもう一回。『親知らず』からいこうか」
結衣が手拍子をはじめる。私はギターのリフを弾きはじめる。
「チャットモンチーのコピーをしましょう!」
バンド掲示板で連絡を取り、初めて全員が集まった日に、美奈絵は言った。ギター2人に、ベース、ドラム、ボーカルの5人編成だった。はじめての顔合わせは中央駅のスタバで、私はこの日はじめて珈琲を飲んだ。
バンド掲示板には「邦ロックのコピーバンドのメンバーを募集します! ギターを弾ける人がいたら連絡をください」とだけ書いてあった。
「いやいや、せっかく5人いるのにチャットモンチーかよ。3人じゃん。ソロで歌うなら、ジュディマリとか、今だとあいみょんとかでいいんじゃね?」
ホット珈琲のショートサイズを飲みながら、ギターの剣星が言った。剣星は二十代半ばの男で、髪を茶色く染めていた。顔は終始むすっとしていて、如何にも音楽オタクの陰キャですと言わんばかりの風体だった。
それでも、集まったメンバーの中では一番演奏の上手い奴で、楽譜もまともに読めた。それが故に、早々にバンドを去ってしまったのだけど。
「いやあ、でもうちらはじめて組むバンドだし、最初は好きなバンドをやりたいんよ。お願い、最初はチャットモンチーやらして」
まぁそう言うことならと、剣星は年長者らしく意見を引っ込め、きゃっきゃっとはしゃぐ女子3人としょうもない世間話をしていた。
私は飲みなれない珈琲をちょびちょびと飲みながら舌を腫らしていた。
「こんな下手なボーカルで、誰が一緒にやるんだよ。もっとちゃんと、音を合わせるトレーニングをするとか、せめて腹式呼吸の練習ぐらいしろよ。ドラムもベースも、ぐたぐだじゃねえか。チューニングもあってねえよ。メトローム使って練習しろ」
初日のスタジオで剣星と美奈絵は派手に喧嘩をした。
「うるさい! お前、クビだ、クビ!」
美奈絵は剣星の言うことを一つも聞かなかった。
「お前、俺をクビにしてこんな連中とバンドするのかよ。いやまぁ、お似合いだけどな」
剣星は名前に寄らずあまり外見が良くなかったが、それは美奈絵も同じだった。身体がむくみがちで、二人はよく似ていた。チャットモンチーのボーカル、橋本絵莉子とは似つきもしない。ただ声が高いだけの、可愛くない女だった。
「お前、こんな地味な連中とやってたって絶対ライブ成功しねえからな」
剣星はそう言い残してスタジオを去っていった。バンドで唯一の経験者が去って、残ったのは楽器を持っているだけの素人ばかり。特に、ギターを一人で演奏しなければいけなくなった私の負担は大きかった。
無論、私たちはお世辞にも見てくれの良いバンドではなかったし、バンドとしての可愛さでライブの空気を温めることも出来ないので、練習を重ねるしか道はなかった。
「スリーピースバンドのコピーはやめないか? 例えばほら、aikoとかZARDの曲を皆で演奏したっていいんだ。それにほら、ギターも一人いなくなったし、君もギターを弾いてみたらどうだろう」
私は自分の負担を減らすために少しでも簡単に弾けそうなアーティストの名前を挙げてみた。しかしその努力も虚しく、美奈絵はまったく聞く耳を持たなかった。
「チャットモンチーじゃないと嫌だ」
美奈絵ははっきりと言った。歌の技術もギターの演奏力も、彼女は皆無だった。橋本絵莉子とは、似ても似つかない。美奈絵はチャットモンチーの何に惹かれているのだろう。
「私のお母さんが徳島出身らしいのよね。それもさ、えっちゃんと同じ高校だったらしいのよ。城東高校ってとこ。いや、私は鹿児島から出たことないし、お母さんも面識あったか知らないけど。いやだからどうって訳じゃないけど、はじめてバンドやるならチャットモンチーのコピバンかなって」
結成から3ヶ月が経ったある日、スタジオでの練習中に美奈絵が倒れた。脱水症とか言っていたが本当のところを私は知らない。しばらく入院するらしい。
ハナノユメ
とび魚のバタフライ
風吹けば恋
シャングリラ
東京ハチミツオーケストラ
アンコール、親知らず
セットリストはこの6曲だった。練習も、このリストを元に行っていた。ある年の武道館ライブを真似ているらしい。私は私でギターのパートを一人で弾けるくらいには上達していたし、ドラムとベースもまぁ、コピーバンドであれば及第点と言えるレベルには達していた。ボーカルだけが唯一ダメダメで「もっと練習した方がいいよね」と美奈絵自身が反省の言葉を口にした矢先のことだった。
「美奈絵ちゃん、練習のやり過ぎかな」
そんな馬鹿な、と私は思ったが口には出さない。
「まぁ、美奈絵さんもいないし、しばらくは自主練習で良いんじゃないの?」
「いや、ライブも決まってるから?」
「は、いつ?」
「木曜の昼間、17日の」
「えっ、今週?」
「今週」
「は? あと3日しかないじゃん」
「は? そんなもんじゃないの」
協議の末、私がボーカルを務めることになった。
「キー変えたいんだけど」
「いや、今からそんなこと言われても間に合わないよ。てか、自分も無理でしょ?」
そうこうしているうちに、月曜、火曜と時が経ち、遂に前日の水曜となった。
私たちのバンドはその日朝から晩まで練習をする予定だった。私は火山灰にまみれながら、自転車を漕いで天文館のスタジオへと向かった。
フロントには制服姿の美奈絵がいた。
「あ、永田くん、ごめんね。急にボーカル代わってもらうことになっちゃって」
美奈絵は綿の飛び出たソファーに座って力のない笑みを浮かべている。
「わたし、チャットモンチー症候群になっちゃったみたい。だから歌えないの」
「は?」
「わたしのお母さんも、おばあちゃんも、そのまたおばあちゃんも、チャットモンチー症候群なのよ。だから仕方ないの。ほら、他の二人が感染するのも嫌だから、永田くんしかいないのよ。ボーカル。男は感染しないって言うし」
「は?」
何を言ってるんだ。
「どういうこと」
呆気に取られていた。チャットモンチー症候群なんて聞いたこともなかった。君のひいおばあちゃんの頃にチャットモンチーは存在していないはずだ。結衣と佳奈子は「ああ、やっぱりね」なんて頷いている。
「いや、分からないよ。なにそれ?」
私は一人状況も掴めずに苛立っていた。訳も分からないままライブに参加し、決して安くはない出演ノルマを払わなければならないのだから。
「いや、だから、チャットモンチー症候群よ。チャットモンチーの曲を歌えば歌う程、チャットモンチーに顔も声も体格も記憶まで似て来ちゃうのよ。ほら、みて」
そう言って、美奈絵は肩まで伸びた髪をさわさわと揺らす。
「ちょっとウェーブがかってきてるでしょ、それでいて茶色。髪がチャットモンチーらしくなっちゃったの」
「橋本絵莉子ってこと?」
「いやいや、チャットモンチーってことよ」
「どういうことだよ」
「もう! だから、チャットモンチーってことよ」
「君、ボーカルだろ。橋本絵莉子ってことじゃないか」
「うるさい!」
美奈絵はそれだけ言って、帰っていった。
私はそれとなく結衣と佳奈子に訊ねてみたことがあった。
「ドラムとベースはいいの?」
「ほら、歌が一番楽器聞いたりしなくちゃいけないし、影響受けやすいのよ」
佳奈子がシャングリラのバスドラムを叩きはじめる。結衣がベースをぼんぼんと弾き、私がギターを合わせて音程の取れていない裏声で歌う。
胸を張って歩けよ 前を見て歩けよ
希望の光なんてなくたって
いいじゃないか
チャットモンチー「シャングリラ」
ライブ当日、私たちの出番は十五時からと遅かった。朝の十時にスタジオに集合して、最後の音合わせをした。入院しているのか家で治療しているのか分からないけど、「様子見」にと美奈絵も来ていた。
「ほら、声、もうちょっと高く」
美奈絵が腕を組みながら足をイラつかせていた。私はもう諦めていた。
「これが限界なんだよ。のども痛いし」
美奈絵は着実にチャットモンチーに近づいていた。バンドTにジーンズと言ったラフな格好がいかにもチャットモンチーらしいし、何より肩までかかったウェーブの茶色い髪の毛なんか、若い頃のチャットモンチーそのものだった。
「美奈絵ちゃん、こっそり練習してるでしょ。学校のみんなも言ってたよ。『あいつ絶対チャットモンチー症候群』ってさ。だって、どんどん症状酷くなってるんだもん」
そう言う結衣の風貌も美奈絵と同じだ。バンドTにジーンズだった。
「そうだよ、美奈絵ちゃん、言ってたじゃん。お母さん、チャットモンチー症候群の末期にシャングリラに飛んで行っちゃったって。だから本当は、美奈絵ちゃんもシャングリラに行きたいんでしょ」
私は今何が起きているのかまったく分からなかった。そう言う佳奈子もまた同じ姿をしていたからだ。
「いやいや、二人とも、私にはそう言うけど、陰で歌も練習してるんでしょ。二人とも、チャットモンチー症候群にかかってきてるじゃない」
三人は顔を見合わせて笑っていた。彼女たちが私の方を向く。みんな同じ顔をしていた。
『だから永田くん、ライブ終わったら私たちいないかもしれないけど、よろしくね、バンドのこと。メンバーちゃんと探して、続けてね』
「じゃあ、ハナノユメから」
私は歌った。
「あのバンド、チャットモンチーのコピバンなのにボーカル男の子なの? へんなの」
私たちはバンド名を『チャットモンチー症候群』に決めた。私はバンド名を決める話し合いに参加させてもらえなかったので、由来は知らない。演奏が始まった。
「バラのとげを見ていたら~」
私の苦しい裏声を助けるように、結衣と佳奈子もコーラスを歌ってくれている。というか最早、トリオだった。お前ら楽器弾きながら歌えるんなら最初から歌えよ……と思ったがやっぱり楽器がグダグダだった。フロアからの歓声も薄い。
「あんなレベルでライブに出るなんて頭おかしいよな。それにあのドラムとベース、双子かよ。顔もファッションもそっくりだぜ」
聞こえもしない罵声が飛んでいた。
しかしそんな苦しい状況も曲を続けるうちに変わっていった。
「シャングリラ! シャングリラ! シャングリラ! シャングリラ!」
リズムもメロディも歌詞も無視した合唱。ボーカルよりも声のデカい両脇の二人には圧倒された。フロアも湧いていた。大合唱だった。
「シャングリラ! シャングリラ!」
「シャングリラ! シャングリラ!」
「ありがとう」
曲が終わった頃、客席はチャットモンチーだらけだった。男も女も関係なく、チャットモンチーだった。おいおい、俺も顔変わってるんじゃないか、と思いながら後ろを向くと、結衣と佳奈子が親指を立てて、同じ顔で笑っていた。私も既に手遅れらしい。
「シャングリラ! シャングリラ!」
「シャングリラ! シャングリラ!」
全ての曲が終わり、控室に戻ろうしたところで、美奈絵が舞台へ飛び出してきた。
私からフロントマイクを奪い取り、美奈絵は言った。
「アンコールありがとう! 次、親知らず!」
美奈絵は歌っていた。もう完全に、彼女はチャットモンチーだった。私は必死にギターを弾いた。汗が飛ぶ。酸っぱい匂いはしなかった。チャットモンチーの匂いがした。ドラムも、ベースも良い音を出していた。客席も含め、私たちは完全に一つのチャットモンチーとなっていた。歓声は、やまない。
演奏もラストにさしかかり、全員がチャットモンチーとなってシャングリラの果てに消え入る中で、美奈絵が叫んだ。
「チャットモンチー結成二〇周年、おめでとう!」
美奈絵は消えた。結衣も消え、佳奈子も客席の全ての人も消えた。最後の一言くらい、ギターもボーカルも頑張った私に言わせろよと思いながら、私も消えた。
(了)
終わり
私の一番好きなアルバムは『生命力』です。
ではでは~
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