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【コラム】オッチャン・ゴリラ・シロクマ FROM HIRAKAWA―高橋源一郎『私生活』を端緒に
2018年8月某日―平川動物公園
ゴリラの檻の前を通りかかった時、母親が子供を叱る鋭い声がした。
「見てはいけません」 ぼくは強化ガラスの向こうのゴリラを見た。寝ころがったそのゴリラは右手を股の間に差しこみ、激しく動かしていた。オナニーをしていたのだ。(中略)ぼくはガラスに近づいた。その瞬間、ゴリラと視線が合った。(中略)ゴリラとはなんと複雑な表情をする生きものなのだろう! 「やれやれ」ゴリラはそういっているように見えた。 「おれたちを閉じこめてるぐらいなんだから、あんたたちはおれたちよりずっとマシな生きものなんだよな?」
・・・・・・動物園に行きたくなった。
8月上旬、ゴリラを観るために動物園に行った。我らが平川動物公園である。
およそ10年近く前に遠足か何か、学校の催しで訪ねたのが最後だったということもあって、懐かしい思いで虹色の門をくぐった。
何時、リニューアルされたのだろう、園内はひどく様変わりしていて、階段を上ったり下りたりと忙しい。ただ漫然と歩いてさえいればすべての動物を観ることが出来たのも昔の話。ぼおとしていたのではゴリラを発見できるはずもなく、うだるような暑さの中、私は懸命に歩き、ゴリラを探した。
平日の昼間に向かった所為だろう。人は少なく、家族連れとお年寄りがぽつぽつと歩いているばかり。時折、辛気臭い表情を浮かべて歩いているのは、営業マン風のサラリーマンと私のように暇な若者ばかり。途中カップルに写真の撮影を頼まれたり、「家族写真を撮ってやろうじゃないか」とカメラマンに立候補して断られたりと色々あったがゴリラは一向に見つからない。
かつてゴリラがいただろうブースを前に、酷暑の中私はただ茫然と突っ立ていた。「俺はオナニーをしているゴリラが観たいだけなのに、なぜこうも疲労しなければいけないのか」我が家から動物園まで原付で1時間近くかかる。半袖半ズボンの私に日差しはつらく、肌は褐色に焼けていた。クロックスで来た所為か、足も痛い。帰ったら仕事だ。
そうやって気落ちしているとき、私はオッチャンに声をかけられた。
「シロクマのブースはどこですか?」と。
オッチャンとシロクマ
オッチャンは私がゴリラを観に来たようにシロクマを観に来ていた。オッチャンは60も後半の老紳士だった。洒落たストライプのワイシャツに紺のスラックスを履いた彼は、仕事中のサラリーマンにも見えたが、出かける際はいつもその恰好だそう。
「ゴリラってオナニーするらしいんですよ。知ってました?」
「そら、誰だってするさ。人間もゴリラも一緒やろ」
「シロクマどうっすかねえ」
「届かんよ」
と、けたけた笑うオッチャンと私は茶を飲みながらシロクマのブースに向かっていた。
シロクマのブースは通路から外れてはいたものの、比較的見つけやすい位置にあった。オッチャンはそれさえ見つけられなかったのだが、それも仕方ない。オッチャンは、60年かけて築いた園内のコースをいつものように歩いていただけなのだから。
「シロクマ、おらんよ」
「あれですよ、あの死角にいますよ。呼んでみましょう」
「クマー!」
シロクマのブースにたどりつくも、シロクマは日陰に隠れて涼んでいるようだった。
オッチャンは、シロクマを呼び続け、私は岩陰に隠れたシロクマを見えるポイントを探した。
「元気ねえなあ、クマー!」
オッチャンがどれだけ叫んでもシロクマは微動だにしない。ていうか、シロクマ、灰色じゃないか?
「シロクマ、白くないですよ」
「まあなあ、10年前もなあ」
オッチャンは、叫んで満足したのか私たちはその場を後にした。そしてオッチャンは言った。
「爬虫類コーナーなくなったの?」
ゴリラは平川動物園にはいない
当然、爬虫類コーナーはある。私は暇だったこともあって、案内しようと思ったがちょうど周回バスが私たちの前に止まった。オッチャンはそのバスに乗って、爬虫類コーナー向かうことにした。私はバスの運転手に聞いた。
「ゴリラはどこですか」
「ゴリラはねえ、もういないよ」
オッチャンと私は互いに握手を交わして別れた。
「またなあ」
とオッチャンは言った。以来、私は動物園に行っていない。その日、体重が2kg減って、黒々と日焼けした。
帰宅ー唐湊(13:00ごろ)
刑務所で手淫は禁じられているが、動物園の檻に囲われた彼らもそうなのだろうか?
雌雄一緒に囲われている生物であればまだしも、単独で檻に入れられた彼らの自慰ほど虚しいものはないのではないだろうか。
とかなんとか、考えながら私は我が身を振り返って、檻から逃れたゴリラと自分を比較してみて、何だか哀しくなってきたので、仕事を終えた後そそくさと床に入って眠りについた。変化=便利さではない。
(了)
左部右人(サトリミギト)
1994年生まれ
鹿児島県鹿児島市在住