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#49桶川飛行学校平和祈念館【桶川市】

今日は気温は30度以下といえど湿度は高いので熱中症の不安も若干ありましたが、体調と気分がまずまずなので思い切って出かけてみました。
選んだ場所は、前から気になっていた桶川飛行学校平和祈念館。

毎年、終戦の月である8月は、映画や企画展など、何かしら第二次世界大戦に関係するものを見に行くようにしていたのですが、今回は猛暑やコロナ第7波もあり、まだどこにも行けてませんでした。

自転車で最寄り駅まで10分、JRに乗って桶川駅下車。川越駅行きのバスに乗り換えて1時間以内で行ける場所。
うん、近い!暑くても行けそう!
スポーツドリンク、晴雨兼用傘、タオル3枚!熱中症対策オッケー✌️

大宮からさほど遠くない駅だけどこんな駅名標?
渋すぎる〜‼️出だしからテンション上がる〜⤴️😆
目指すは桶川駅西口からバスで15分位の場所。
この案内図でいうと左上の太郎右衛門橋の近く(荒川のほう)が目的地。
待っているバスに乗り込む。
前にもこのバスを使ったことがあるなと思ったら
川島町の遠山記念館に行く時に乗ったんだ❗️
柏原のバス停で下車。
もう1人女性が同じ目的地に向かったようです(私は写真撮影でウロウロ)
通りを渡ったところに大きな案内板あり。
さすがの私も迷わず行けるし、バス停から近いのがありがたい😊
徒歩5分ぐらい歩くと雑木林の間から建物が見えてきます


【桶川飛行学校平和祈念館】

熊谷陸軍飛行学校桶川分教場は、昭和10年に現在の熊谷市に開校した熊谷陸軍飛行学校の分校として昭和12年に設置された。各地から集まった生徒はここで寝食を共にしながら、陸軍航空兵になるための操縦教育を受け、その後戦地へ向かった。
戦後、桶川分教場の建物は、引揚者のための市営住宅「若宮寮」として使用された。平成28年には、守衛棟、車庫棟、兵舎棟、便所棟、弾薬庫の5棟が市の文化財に指定され、平成30年から令和2年にかけて、これらの建物について復元整備工事を実施。令和2年に桶川飛行学校平和祈念館が開館した。

(リーフレットより抜粋)
弾薬庫。(平成28年有形文化財指定)
室内の床を地面より高くすることで、湿気が上がらないように配慮されている。
屋根を木造、壁をコンクリート造とすることで、爆発したときには
屋根のみが吹き飛ぶ構造とされている。

2年前に復元工事されたのでどれも清潔感があり綺麗ではありますが、できれば復元前の本物も見たかったなぁ〜。
守衛棟、車庫棟を見たあと、兵舎棟へ。

無料で見学できます❗️
日曜日ということもあり見学者もポツポツと来てました
何も下調べせずに思いつきできたら、たまたまこの日までの企画展が。
ラッキーでした😄
左側が主に寝室となっています
最初の部屋の展示風景
復元整備された寄宿室。
こんなに狭い間隔で18台ものベッドが敷き詰められて大丈夫なの?
と思いましたが、頭の位置を互い違いにするように配置されているそうです。
それでも距離が近いのはストレスですよね😥頭、蹴られないのかな?
当時の展示物

【第七九振武隊】

12名の隊員で編成された特攻隊(特別攻撃隊)。隊員たちは昭和20年4月まで桶川飛行場で特攻の練習を続け、同月5日の正午に鹿児島県の知覧飛行場へ向けて出発した。
途中、岐阜県の各務原飛行場、山口県の小月飛行場に一泊し、4月7日には知覧飛行場に到着。
同隊は9日後の4月16日に知覧飛行場から出撃し、うち2機は機体の故障などで戻ったが、1機は22日に再出撃して、沖縄の海に消えていった。

(トップ画像の説明)
第ニ三振武隊、伍井大尉。埼玉県加須市出身。
若い頃から飛行機に憧れ、中学校卒業後は、航空士官学校を経て
熊谷陸軍飛行学校桶川分教場にて教官を務めていた。
温厚で誠実な性格から、多くの出身者の記憶に残っている。

この説明を読んで、なんとなく最近見た映画「トップガン マーヴェリック」のトム・クルーズを思い出しました。でも実際は映画のようなかっこいいものではありません。これは現実にあったことだから。
そして特攻隊、知覧の名前を聞くと、そういう映画を何本も見て知識だけはあるので、胸が苦しくなる思いがします。

伍井大尉の家族にあてた遺書の複製。
「お父さんは大東亜戦争の勝利のため、特攻隊隊長として日本男子の
最大の誉を得て立派な戦果の下に散ります」

この冒頭の1文を読んだだけで、ぐっとこみ上げるものがありました。
「いや違うんだよ〜、騙されてるんだよ日本政府に〜!!」
と、今だから言えることだけど、当時の人たちの思いはお国のために命を捧げていたのですよね…つらいです、、、

【伍井大尉の最期】

昭和20年3月27日、鹿児島県の知覧飛行場へ向かうため、他の隊員11名とともに、壬生飛行場を出発。その途中桶川上空を通った時に、2度旋回し、翼を左右に振って、桶川にいた家族に別れを告げた。
当時、桶川には妻と幼い3人の子供が暮らしていた。
昭和20年4月1日、満32歳で特攻隊隊長として、知覧飛行場より出撃し、慶良間列島付近で敵艦隊に突撃、二度と帰らぬ人となった。

たまたまタイミングよく、13時30分からのアニメ「最後の空襲 くまがや」が上映されるとのことで、見てきました。
終戦の一日前に、埼玉県熊谷市に空襲があったとは知りませんでした。
ハッピーエンドではない悲しい物語で、またまた気持ちがどーんと重くなりましたが、(このアニメが事実かどうかは分かりませんが)こういった現実があったことは受け止めなければいけません。

(ネットから拾った画像)

このアニメは埼玉県平和資料館でも上映しているようです。

飛行学校祈念館を出て、帰りのバスまでなんと90分も時間があります。テレ東の「路線バスの旅」をリアルでやってる感じ💦
せっかくここまで来たのだから、ホンダエアポートへ行ってみたいと思いましたが…徒歩だとかなり時間がかかります。それでも一応トライだけしてみることに・・・

Google マップでチェックしたこの焼きそば屋さんで腹ごしらえしたいなぁ。
だけど時間的に難しそうなので断念(結構口コミ評価高いんだけど)😔
この場所からホンダエアポートまでは荒川を渡って徒歩約40分。
この橋の到着地点が見えないんですけど😅
橋の下には荒川が流れています。
途中まで歩いたところで、暑いし坐骨神経痛あるしやっぱり無理😅
と思って焼きそばに続きこちらもあっさり撤退💦見切りが早い私

今回、残念ながら行くことができなかったホンダエアポート!
いつか絶対行ってやる〜‼️(その時は車で・・・笑)

帰りのバスまでの90分間をどう過ごすか考えたとき、ここから徒歩20分位の場所にある桶川市の歴史民俗資料館まで行くことにしました。
そうすれば冷房の効いた中で休憩もできるし、帰りのバス停までも10分位で行けるし、一石二鳥!

ナビに従ってこんな道を歩く…ほんとに合ってるの〜😥?
途中で鶏頭とコスモスの花を発見❗️
いつの間にかコスモス…もう秋の兆しがそこまで来てる😆
見上げれば空の雲も高くて、秋らしくなってきた〜😄
ほどなくして歴史民俗資料館らしきものが目の前に…
やったー‼️ここでトイレに寄ったり、涼んで汗を乾かそう😄
と思って正面玄関に来てみたら…なななんと!!
改修工事のため休館中😣マジか〜?!
どうする?どうする?
ということで仕方ないので近くにある公園へ移動
ムシムシしてて暑いかなぁ〜?
ちなみにこの辺、コンビニも飲食店もほぼなし
城山公園
藤棚の下の木陰のベンチが思いのほか涼しくて心地良かったので
お尻に根っこが生えたように30分ぐらいぼーっと座ってました

さて、そろそろ帰りのバスの時間も近くなってきたので出発することに。バス停までの町の風景も見てきました。

旧 川田谷郵便局
現在人が住んでいるかどうか分かりません
通りの向こう側にあるスリランカ料理のレストラン。
こちらも口コミ評価が高かったので、時間が間に合えば行ってみたかった
バス停の前にあるタバコ屋さん
既に廃業しているようですが、店先に並んでいるものはなんだろう?😅

定刻より少し遅れてきたバスに乗って、桶川駅に到着。
桶川に“溶けないアイス”が売られているとの情報を入手したので、駅前の店で購入してみました。
葛キャンディという名称ですが、アイスというより、凍った和菓子ですね。味は、昔食べた朝鮮飴に似てるなぁ〜。あるいはゼリー状の飴?
ちなみに甘酒の味を購入しました。

駅前の西口と東口にそれぞれ店舗があります

“溶けないアイス“は和菓子屋「をかの」で購入

【今回のまとめ】

こんな場所を歩きました

2022年8月21日撮影
歩行距離5.3キロメートル
歩行歩数9261歩

家に帰ってから、汗で張り付いている服を速攻脱いで、洗濯❗️
着替えて、若干柔らかくなった葛キャンディを食べて、その後、坐骨神経痛の治療に整骨院へ…😅
結局1カ所しか行けなくてグダグダな1日になってしまったが、偶然にも企画展示最後の日に行くことができたのはよかった😊
歴史民俗資料館…事前に情報を見ておかなかったことが悔やまれる。


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