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日刊Gスポーツファン

こんばんは。
上板橋の学習塾、久賀塾の久保田です。

久保田が育ったのは石川県ですが、産まれは実は東京です。
母が東京出身なので、いわゆる「おばあちゃん家」が都会にあって、家が田舎にあるというちょっとレアなケースでした。

私の母方のおじいちゃんは、もうずいぶん前に亡くなってしまいました。
眉毛がとっても濃い人で、私たちは「じじちゃん」と呼んでいました。
横から見ると3Dに見えるくらいフサフサでした。

じじちゃんがどんな人だったかはほとんど記憶にないのですが、唯一、巨人軍が好きだったことだけは覚えています。
当時は「野球が好きで、中でも巨人を応援しているんだな」としか思っていませんでしたが、母に詳しく話を聞いてみたところ、どうやら彼の愛はそんなものではなかったようです。

まず、野球の試合があって、巨人が出ていたとします。
もちろん試合は見ますし、その後のニュースも見ます。
1つだけでなく、全部のチャンネルをまわして見るそうです。
そして、負けるとめちゃくちゃに悔しがるそうです。
そんなに悔しいなら負けたニュースは何度も見なけりゃいいのに、と言うと、「全部の局を見たら、どこか1つくらい間違って巨人軍が勝ったと言うかもしれないだろ」との返事。

じじちゃんは、大田区の区議会議員だったようです。
仕事柄か、私のことも「樹くん」と呼んでいました。
議員さんの家には、お悩みを相談しに来る人がたまにいたそうです。
自宅のリビングにあげて話を聞くのですが、巨人の試合があるともう気もそぞろ。
つけっぱなしのテレビにあまりに何度も目をやるので、祖母は「陳情をしに来ている人に失礼だ」とテレビを消してしまいました。
するとじじちゃんは、「ちょっと失敬」と言って席を立った後、何食わぬ顔をして戻ってきます。
しかし、なんだか相槌のタイミングがおかしい。

良く見ると、彼はタートルネックのセーターにイヤホンを通して、片耳で野球中継を聞いていたそうです。

ダメだろそんなことしたら!笑
ここまでで、相当好きだったんだなというのが伝わってきますが…。

極め付きがタイトルの「日刊Gスポーツファン」です。
どこかで見たようで知らない新聞の名前ですね。
これ、じじちゃんが勝手に作っていた新聞だそうです。
色んな新聞から「日刊」「Gスポーツ」「ファン」をそれぞれ切り抜いてきてコラージュし、活版印刷で自分だけの新聞に仕立て上げていたとか。

内容はもちろん、巨人軍のことだけです。
コラムも書いてあったりして、タイトルは「私と巨人軍」。
大好きだった長嶋のどこに惚れ込んだのか、いつから好きなのか、なんてことがつらつらと書かれていたそうです。

なにがすごいって、これ、増版して近所のポストに投函してたんですって!
勝手に新聞を作って人の家に配り歩くって、相当なファンですね。

投函で言うと、じじちゃんは手紙もたまに書いていました。
巨人が負けた日にだけ書く手紙です。
「もっとこういう采配をすべきだ」「ここはこうしろ」「悔しくて夜も眠れなかった」と書き連ね、切手を貼ってポストに入れに行くそうです。
どこに送っていたんでしょうね…当時の巨人軍の事務所かな、と母は言っていますが…。

長嶋が引退した日、じじちゃんは西日が強く当たる部屋で、少し斜めになってうなだれてじっとしていたそうです。

「ちょっと巨人が好きな人」だと思っていた私の祖父は、聞いたこともないくらいしっかりした巨人のオタクだったようです。
私がオタクなのは、じじちゃんの遺伝かもしれません。
こんなエピソードを母から聞いたせいか、今じじちゃんのことを思うと、オレンジの夕日に照らされる3Dの眉毛が浮かび上がってくるようになりました。

ちなみに、「日刊Gスポーツファン」は不定期配信で、別に日刊ではなかったそうです。笑

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