【同人誌】『英国メイドの暮らし VOL.2』第1章 家政マニュアルから見る英国の家事 家事はどう変化し、使用人の仕事はどう書かれたか?
【家政マニュアルの世界】
■はじめに
私が家事使用人の研究を始めた時に面白く思ったのは、言及される資料のいくつかが、19世紀に出版された本だったことです。それらの本の存在を知ったのは、当時手にした最高の資料『英国ヴィクトリア朝のキッチン』(ジェニファー・デイヴィーズ、白井義昭・訳、彩流社、1998年)がきっかけでした。
『英国ヴィクトリア朝のキッチン』はキッチンで何を作ったかを解説するために、当時のキッチンを修復し、受け継がれた技術を備えたガーデナーに野菜や果物を供給してもらいながら、かつてコックを経験した女性が実際にキッチンで当時の料理を再現調理するという、BBCの番組の副読本でした。
私の関心を強く引いたのは料理よりも、冒頭3章の解説でした。第1章「キッチンの見取り図」では当時のキッチンの話や、家庭で働いた家事使用人の話があり、第2章「女主人」では当時の中流階級の妻たちが家政を行う上で頼りにした料理レシピ本や家事マニュアル本が紹介されていました。
そして第3章では屋敷を運営した家事使用人の仕事内容が克明に解説されていました。同書で度々言及された資料は、1880年に出版された『使用人の実践ガイド』でした。当時の中流階級の人たちは料理レシピ本や使用人マニュアル本、家政マネジメントする本を読み、生活に必要な情報を入手したのです。
このような資料の中で最も著名な本が『ミセス・ビートンの家政読本』です。1861年に出版されると、すぐに6万部のベストセラーとなりました。そこで確立された「ミセス・ビートン」ブランドは絶大で、著者のミセス・イザベラ・ビートン亡き後もその名を冠した本の出版が長く続き、時代に応じた家政の情報を提供しました。
■19世紀の家政マニュアルの目次
19世紀に刊行された本がどのような情報を掲載していたかを確認するため、本同人誌の第二章で翻訳文を掲載する『ミセス・ビートンの家政読本』と、第三章で掲載する『使用人の実践ガイド:職務とルールのハンドブック』(以下、『使用人の実践ガイド』)の目次を掲載します。
◯『ミセス・ビートンの家政読本』(1866年版)目次
※白い項目はすべてキッチン・料理に関わる。残りの灰色の項目は、女主人の心構えと家政管理(1-2)、家事使用人(41)、子供の養育(42)、家庭の医学(43)、法律事項(44)となる。
◯『使用人の実践ガイド』(1880年版)目次
※1880年版の家事使用人マニュアルの項目。「家事使用人」に特化しており、料理中心の『ミセス・ビートン夫人の家政読本』と構成が異なる。家の規模による雇用数(2)に始まり、雇用と解雇(3)、食事(10)、賃金(18)などがありつつ、前半は玄関での応対(4)や生活の中心となる食事でのテーブル上の配置・給仕方法(5-9)などが中心。(11)から家事使用人の個別の職種についての解説が始まる。
【「家政」「マニュアル」について】
ここまで言及した「家政」と「マニュアル」について、どのような定義で、またどのような構成要素をしているかを整理します。
まず、日本語で『ミセス・ビートンの家政読本』として知られる本の英語名称は『THE BOOK OF HOUSEHOLD MANAGEMENT』となります。この「household」は「家庭」「世帯」を、「management」は「管理」「経営」を指しますので、そこから「家庭を管理する=家政」となります。以下、様々な辞書から用語を解説する「コトバンク」で「家政」の意味を確認します。
今回言及する「マニュアル」には、本を読んで得た知識を使って作業する点を踏まえて「ガイドブック(手引書)」や「料理・製薬のレシピ本」、そして「医学書」「魔術書」、さらには「礼儀作法書・マナー本」なども含めます。
■対象領域の分類
これらを総合すると「家政マニュアル」は、「家庭生活の管理に必要となる知識の提供と、読者が実施するための手引書」を指します。19世紀に出版物として流通したことを踏まえ、対象は出版物となります。
これを踏まえて今回対象とする「家政マニュアル」で扱う領域について、今回は次の軸で分類します。
◯A:広義の家政
旧来の封建的領主制度下や、土地所有者が君臨する時代にあって「家」は共同体で、その主導者たる「家父」が家政全体を統括しました。この時代の「家政」には収益を生み出す農場経営とその知識が含まれ、男性が読者となりました。今回は17世紀の家政マニュアルを主たる資料として用います。
扱う範囲には「所領の運営」と、その財産・労働力というリソースを管理する「家事」とに分かれます。
◯B:子供の教育
共同体としての「家」にとって、財産を引き継ぎ時代に「家」を存続させる後継者は不可欠でした。そこで家政マニュアルで言及される範囲として、「家」を存続させる「親から子への訓戒」というジャンルの本を中心に紹介します。
「礼儀作法・マナー」は家政マニュアルから独立した研究対象となりますが、「家」の存続の期間となる社交や、19世紀のマニュアル本の中心をなす料理と密接なため、こちらも紹介します。ただ、礼儀作法ジャンルもまた大きな領域で、かつ19世紀の社交界に見られた「マナー本」も含めた考察も必要となるため、全体としての解説は次回以降とします。同様に「育児」は広すぎるため、乳母であるナニーなどを含めた解説を別の機会に行う予定です。
◯C:女主人向け(医療知識を含む)
17世紀以降、女主人向けのマニュアル本が数多く出版されました。Aの「広義の家政」のうち、家父が主たる「所領経営」「農場知識」を切り離し、女主人を読者として、彼女たちが統括した「家事」を中心とした情報が軸となっています。その知識には、前巻で解説した「屋敷にあった蒸留室での仕事」となる「医療・製薬・製菓」なども含まれます。
◯D:料理レシピ
本書では、英国のレシピ本の歴史をざっくりと扱います。18-19世紀のフランス料理の影響や、商工業の発展に伴う調理器具や食器の変化、そして植民地や他国との貿易を通じた多様な食材の確保などを含め、ヴィクトリア朝の『ミセス・ビートンの家政読本』の頃には数多くの料理情報が取り込まれました。
とはいえ、こちらの料理レシピ本も「料理・食」に関する非常に広大なジャンルなため、今回は家政マニュアルとの親和性が高い範囲で、本を中心にした言及をします。前掲した『ミセス・ビートンの家政読本』の目次からわかるように、家政の中心を占めたのは料理でした。
そして家事使用人マニュアル『使用人の実践ガイド』も料理と切り離せません。家事使用人の職種の解説とは別に多くの情報を盛り込まれたのは、朝食・昼食・晩餐・お茶の時間などの際、テーブルにどのような食器を並べ、どう給仕するかという料理に繋がる情報でした。
◯E:使用人管理マニュアル
最後に、使用人に行わせる業務・役割・スケジュール・給与・雇用条件などを定めた使用人管理マニュアルを扱います。これらの情報は家政マニュアルに含まれていましたが、19世紀前半には「家事使用人だけに特化した専門マニュアル」が登場するようになりました。今回扱う『使用人の実践ガイド』もそうした本となります。
■補足:言及する範囲・手法について
「家政マネジメント本」「家事使用人マニュアル」という歴史を総合的に扱った資料本・研究本を見つけられなかったため、今回は私が見つけられた範囲においての本を取り上げ、星々を繋いで星座を描くように形を作り、考察しています。このため、最適な資料を見つけた際にはアップデートされます。
調べ方としては、以下のような方式になります。
・Google Booksなどで家政マネジメント・家事使用人に関する本を検索。
・隣接しそうな領域(料理、出版事情など)の本の系譜から情報を得る。
・これらを組み合わせる。
また、同人誌『英国メイドの暮らし VOL.1』の第一章「スティルルーム(蒸留室)から見た屋敷の暮らし〜食・医薬・錬金術・レシピ・社交〜」と非常に親和性が高いため、先にお読みいただくことをオススメします。
【A:広義の家政】
この項目では、家政知識を与えたマニュアルと、「本に記載された通りの行動で、誰が行っても一定の結果を生み出す」要素と、「使用人にさせる仕事・規範・スケジュール」の要素を考察します。
19世紀のヴィクトリア朝の頃の「家政マニュアル」の読者は、代表的な本『ミセス・ビートンの家政読本』の第1章が「女主人」であるように「女性」が家政の担い手となりました。現代でも「女性は家事が得意」という強いジェンダーバイアスが知られています。
しかし、家父=共同体としての「家」で家長が実権を握った時代には、男性が「家政」を統括し、女性(主婦・女主人)と役割分担をしました。
そうした時代を反映する家政マニュアルを見ていきましょう。
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