『邪神捜査 -警視庁信仰問題管理室-』第5話「喰人事件」①
僕こと久遠久の配属されている所轄署の繁華街で、その事件は起きた。
遺体を発見したのは、深夜を過ぎて明け方まであと少しという時間になって帰宅しようとしたサラリーマン。
駅から自分の家への近道をしようとたまたま入り込んだ路地裏で、何か軟らかいものを踏みつけ、下を見たらそれが人間の掌だった。
加えて、彼が近づいたことで走り去って逃げていく人影。
サラリーマンはそれなりに酒を飲んでいたようだが、すぐに酔いから覚めて、急いで警察に通報したことで事件が発覚する。
すぐに近所を警らしていた機捜の刑事たちが駆け付け、現場の保全と第一発見者からの軽い聞き取り、ならびに現場傍の店への聞き込みをしている間に、僕ら刑事課強行犯係が招集されてやってきたという訳である。
事故や自殺でないことはすぐに判明した。
なぜなら―――
「やっぱり、咽喉が切られて、内臓が全部抜かれているみたいです」
「そうだな。今まで通りだと犯人に持ち去られているはずだが、とりあえずこの周辺を探してみろ。すぐに管理官と一課の連中もくるはずだから、それまでに内臓があるかないかぐらいははっきりさせておいた方がいいだろう」
「わかりました。あー、新人くん、みんなに探すように伝えてくれないかな」
すると、新人くんはきょとんとした顔をして、
「何を探すんですか?」
と、察しの悪いことをいう。
僕の二つ上にあたる佐原先輩が異動になってしまい、その補充としてやってきた新人が彼である。
よくこの調子で刑事課まで上がってこられたなと思わなくもないが、聞いた話では伯父さんが警視庁の大物だという新人には優しくしてあげないと係長が困る。
できたら早く一人前になって欲しい。
僕たちが現場に張られた保全テープの前で待っていると、
「よお、お待たせ」
予め臨場要請をだしておいたので、検視官の塩田警視が死体見分のために来てくれた。
今回の手口の特殊性を踏まえて、鑑識でも一般職員では足りずに検視官直々のご出馬を願わなければならないと判断されたのだ。
鑑識一筋の大ベテランの力にすがりつく羽目になっていたのだ。
なぜなら、すでに二件もの類似の事件が起きていて、そちらもまだ解決していないからである。
死体見分をするまでもなくほぼ他殺で決まりの事件ではあるし、手口も同じなのでおそらくは同一犯による連続殺人だろう。
警視庁の検視官の眼力にはそれ以上の期待が寄せられていた。
「どれどれ、あれが例の中身がない死体か……」
通常、遺体発見現場には鑑識係と刑事部の警部以上の人間だけがまず確認作業のために入ることが許されている。
「検視官、これで三人目です。犯人は同じ奴でしょう。だから、うちとしても、これ以上はやらせたくないんです。お願いします。もう少ししたら、一課の管理官も来られますんで」
ベテランの藤山さんからすると、塩田警視は一つ上の世代の先輩にあたる。
現場で何度も顔を見合わせている旧知の仲だ。
かくいう僕もすでに片手の指の数以上は会ったことがある。
今回は連続殺人の三件目になるのではということで、あまり現場には足を運ばないタイプの大熊管理官までやってくるそうだ。
初動でミスをしたという訳でもないのに、いつまでたっても捜査本部が犯人逮捕の決め手を掴めないということで焦っているのかもしれない。
「やるぞ」
塩田さんは路上に無造作に横たわっている遺体にまず一礼をしてから、保全テープを潜り、遺体の傍にしゃがみ込み、咽喉と腹の傷を確認した。
「非の打ち所がない殺人だ。死体見分終了、鑑識活動を始めるぞ」
指示を受けた部下の鑑識員たちが群がる。
僕らも邪魔にならないように足にビニール袋を履いて現場に近づく。
カメラのフラッシュが何度も光った。
最初の挨拶は終わりだ。
遺体は四十代ぐらいの男性。
繁華街らしく、ラフな格好でわりとセンスのいい色柄のシャツとチノパンを履いている。
顔は痛みか恐怖によってか引きつっているが、わりと整った顔つきで水商売相手にはもてるタイプだろう。
喉のところが刃物で綺麗に横に切られ、ぱっくりと割れて、三日月状の傷跡になっていた。
これだけで殺人だと一目瞭然だ。
問題は、シャツの前が完全にはだけ、むき出しになった腹部が見事に破裂したように開いていることだ。
そして、むき出しになった腹の中身がなくなっている。
心臓も、肺も、すい臓も、肝臓も、腸も、一切合切すべてが。
前の二件と同様に被害者の遺体から内臓がすべて盗まれてしまっていたのだ。
そのわりに路上に血がまったく流れておらず、衣服にさえあまり付着していない。
つまり、この遺体は内臓が抜かれた場所から運ばれてきたのだろうと推理できた。
多分、殺害現場は別にある。
「オエエエ!」
少し離れたところで、エチケット袋目掛けて盛大に吐いている刑事がいる。
新人君だった。
さすがに、中身が抜かれた遺体を目の当たりにしたら赴任したばかりの新人ならああなる。
つい先日、捜査陣に加わったばかりでここまで酷い遺体は初めて見るのだろう。
嘔吐に対してはどんな七光りも通じない。
気持ち悪さというのは慣れるまで万人に平等なのだ。
塩田さんたちが遺体の頭を持ち上げて、後頭部に傷や証拠になりうるものがないか確認し、発見した傷にメジャーを当てて、計測していた。
それを書記の係がつぶさにメモをとる。
「縦に裂傷、3.5センチ」
「裂傷3.5センチ」
「基本的にはこれが死因だろうな。前の2件と手口が同じだ」
慣れた手つきでの作業だった。
従えている鑑識の人たちがいつも以上に気合が入っているのは、塩田検視官自らの臨場のせいだろう。
とにかく圧の強い人なのだ。
警視庁鑑識課の名物といっていい人らしい。
開腹された腹部も丁寧に調べていき、死後硬直の度合いも確かめた。
関節の可動がどの程度かで犯行時刻がわかるものなのだ。
それと直腸の温度。
死後そんなに立っていなければその二点でだいたい絞り込める。
「終了だ。司法解剖を要請しろ。死亡推定時刻は殺されてから4時間から5時間前後ってところか。もっと正確なのは解剖をしないとならんが、内臓を抜いたのは殺されて一時間はたっているな。おそらく喉の傷口からは生体反応がでるだろうか、腹の方はでないはずだ」
「どうして、一時間なんですか?」
「最初にやられたのは背後からの鈍器の一撃。で、咽喉を切ったのは血抜きのためだ。人間の肉体からある程度血を抜くためには一時間ぐらいはかかる。抜き切ってから、腹を裂いたんで、生体反応は出ない」
「……マジっすか」
「4時間から5時間前ってことは、真夜中の12時あたりですかね」
「そうだな。ただ、おまえらもわかっているだろうが、現場はここじゃねえ。どこかっていうと……」
そのとき、周囲を調べていた鑑識の一人が声を上げた。
「血痕のついた足痕跡、発見。この扉の奥からでてきた可能性があります!」
「よし。そいつを足痕跡No.2とする」
「了解です」
塩田さんを先頭に僕たちは血痕のついた足痕跡NO.2のの発見場所に向かった。
ほかにも鑑識の人間が目立つ足痕跡に番号を振っているが、繁華街の路地裏ということもあり、数が多すぎてどれが必要なのかわからなくなっていた。
ちなみに足痕跡NO.1は被害者のものである。
建物の裏口にあるような普通のドアだった。
ただ、曇りガラスに「関係者以外立ち入り禁止の」市販のステッカーがでかでかと何枚も貼ってある。
「ここの持ち主に大至急連絡を取れ。もしかしたら、犯人が隠れているかもしれん。見張りには制服を数人はりつけろ」
指示に従い何人かがとりかかると、藤山さんが塩田さんにきいた。
「殺しってんのは確実ですが、検視官的に何か見立てはありますかね?」
「わざわざ、俺を呼び出したってのは、遺体が新鮮なうちに、少しでもこのヤマの手掛かりが欲しいからだろ? だがなあ、それらしいのは見つからねえなあ。俺としても大熊が来る前に何か見つけてやりてえのはやまやまなんだが……」
塩田さんは首をひねった。
一課の管理官である大熊さんを呼び捨てにできるのは階級が同じだからだろう。
でないと、さすがに問題になる。
ちなみに僕らの署の管轄での事件はたいてい大熊さんの指揮の下で行われる。
「塩田さんでも無理ですか……」
「無理とは何だ、無理とは。いいか、鑑識課にできることってのは、はっきりいって限られているんだよ。まず、他殺か事故か自死か、そこの判断をして、そこに辿り着くまでの証拠の収集ってのがメインだ。この事件の場合は100%殺しだというのは誰だってわかる。そこで、次におまえらが犯人に辿り着くためのヒントを探しだすってのが俺たちの仕事ってやつだ。俺たちはな、現場見ただけで漫画の名探偵みてえな推理はできねえよ」
鑑識の仕事とはそういうものだと僕たちもよく知っている。
ただ、経験豊富な塩田さんの眼から何かのヒントがもらえないかと期待させてもらっているのだ。
その気持ちはわかってくれているようで、
「……とはいえ、俺も現場は長い。臨場すれば色々と見えてくるものもある。こりゃあ―――科捜研のレベルの話になると思うが……ちょっと突拍子もない思いつきだが、あまり真に受けるなよ」
「なんですか?」
「このご遺体、ここの部分見てみろや」
言われてみたのは、右手の部分だった。
首筋にうじゃじゃけた二つの傷でもあったら吸血鬼の仕業だ。
ハマー映画だね。
だが、そういうものはなくうっすらと黒ずんだ疵のようなものがあるだけだ。
「この傷が何か?」
「おそらく、鑑定依頼しなくちゃならねえと思うが……こいつはおそらく噛まれた跡だ」
「噛み傷? 争った跡ですかね」
「とっくみあいにでもなったら普通につくがな。ただ、おかしいのは被害者の服装から抵抗したあとらしいものがみられないのに、そんなものがついていることだ。しかも、こいつはおそらく死んだ後につけられたものだからな」
「え、まさか死んだ後にですか?」
「ああ、そのまさかだ」
そして、少し離れた場所でタバコに火をつけて、塩田さんは言った。
「前の二件はともかく、このご遺体を殺して内臓を抜いたやつ、マジで持ち帰って食うつもりだったかもしれねえなあ。ご丁寧に所有印のような歯形まで残してやがんだからよ」
ベテラン検視官の不気味な発言に、僕らは久しぶりに現場で震え上がりそうになった。
裏の方でまだ新人君が吐いているらしき音がよく聞こえてきた……