
【小説】或る妄想、闇に沈み眠れ(8)
この小説は、フィクションである。
おそらく、新宿中央公園での「秘密のまちあわせ」を知っているのはわたしと、K/W先生だけ……のはずなのだが、なにせ得体のしれない何かが相手である。電車に乗っているときの乗客の視線や、改札を抜けるときのICカードの反応、公園へ向かう道すがらすれ違う人たち……みな、すべて敵のような気がしてくる。もう何もかも信じられないのだが、K/W先生からの頼みということだけがわたしを突き動かしていた。たぶん周りから見ればかなり異常に映っただろうが、もう止められない。やれることをやっていく。それだけだ。
新宿中央公園「平和の鐘」に到着した。
あたりには人がいない。「秘密のまちあわせ」にはお誂え向きだ。ただ、K/W先生 らしき人もまだいない。わたしは待ち合わせ時間より5分早くついている。
再度、きょろきょろとあたりを見回してみる。
遠くに、人影が見えた。
こちらに、歩いてくる。
全身黒ずくめ。パーカーのフードを深くかぶり、マスクを着用している。
ちょっと怖い。
心臓がどきどきする。
まだ、顔は見えない。
わたしのところまで残り3メートル。
ちらっと見えた、鋭い眼光。
K/W先生 !!
わたしは思わず叫びそうになったがこらえた。
そして、K/W先生 は歩く速度を徐々に落として、わたしの横をゆっくりと通り過ぎる。そして、わたしにだけ聴こえるボリュームの声で言った。
「ぼくを観ずに、後ろにあるベンチに自然に腰掛けてください」
わたしはそれに従って、できるだけ K/W先生 を意識せずにベンチに座る。その後、K/W先生もわたしのほうは向かず、わたしに背を向けるような格好でベンチに座った。
「関係のないきみに、こんなお願いをしてしまって、申し訳ありません」
K/W先生 はマスクをしたまま、極力小さな声でつぶやいた。
「いえ…先生のご指示であれば苦ではありませんので、大丈夫です」
「なんとなく察していると思いますが、ぼくの存在がいま消されそうになっている。ずっと監視されています」
わたしは、静かに、できるだけ反応しないように K/W先生 の言葉に耳を傾ける。
「こういうとき信じられるのはアナログのチカラしかないと思って…これを」
K/W先生 は、そっと1通の封筒を懐から出した。
K/W先生 の会社名が印字された封筒だ。
「ここをはなれたら、一人でこの中に書いてあることを読んで」
「わかりました」
封筒を受け取るときに、ちょっとだけ K/W先生 の指先に触れた。
驚くほど冷たかった。
そして、K/W先生 はぽそりとつぶやいた。
「ごめんね」
「なぜ謝るんですか」
「本当はきみを巻き込むべきじゃないと、思っていたんだ。でも、きみのポスト……ぼくの作品を応援してくれるポストを思い出した。今の事態に協力してくれそうなファンはきみだと思った。ゆるしてほしい」
「先生、昔、チャットで、わたしのこと励ましてくださいましたよね」
「ああ、そんなこともあったね」
「今度はわたしがチカラになる番ですから、気にしないでください。」
「ありがとう。じゃあ…」
K/W先生 は立ち上がった。その時わたしの方をチラッと見た。とても寂しそうな眼をしていた。
ずっとお会いしたかった K/W先生 。でもこんな形で会うのは不本意だった。切なかった。堪えきれず、言葉が口をついた。
「また、会いましょうね」
わたしの言葉に、立ち去ろうとしていた K/W先生 は立ち止まり、こちらを向き、素早くいつもの『右手のポーズ』をしてくれた。
テレビや配信でよく見る、『ゲームのうまくなるおまじない』のポーズだ。
そして、再びくるっとわたしに背を向けて、K/W先生 は早歩きで去っていった。わたしはその背中をじっと見つめていた。見えなくなるまで。
(つづく)
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