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この街は1日間隔で昼と夜を繰り返す。元々、ネオンや電子看板で昼の明るさもなかったが、人口の光のおかげで、夜の来ない場所だった。今では1日おきにしか電気は通らない。1日中何も見えない夜の日と1日中偽物の光で眠ることの無い昼の日がある。

不自由なはずなのに誰もが此処から離れない。道を挟むビルは空を覆って、最後に夜空というものの明るさを確認できたのは200年は前の話らしい。常に増築を重ねたこの空の天辺を見た人間はこの街に住んでいない。私を覆うビルはまだ成長し続けているらしい。

どこにも行けないわけでなく、行こうとしない。しかし、ごく稀に街から離れる人間がいる。
私が覚えているのは、9年前に目を輝かせながら「視界いっぱいに空の見える、世界の果てに行くのさ」と言った青年だった。大昔に作られた内燃機関の車両に跨って、行ってしまった。見渡す限り背の高い建物しかないこの世界に空を見渡せる場所など、無いというのに。

地の底から3つ目の階に私は住んでいる。2階分の部屋の上に建っている部屋だが、上には数え切れない階層がある。この部屋の大きなバルコニーには、玄関の他に地上と上階を繋ぐ道がある。よく上から下へ行く人をそこから見た。お気に入りのロッキングチェアと酷く古びた室外機、下から上へと続く階段しかない、この場所は訳の分からない安心感がある。

私にとって空気が悪いこの街では、煙草がなければ呼吸も苦しい。電気の通る日にはネオンに照らされて煌々と揺らめく煙を、灯りのない日には身体の輪郭を沿うように流れる煙を広いバルコニーで感じている。ラジオは大体、光の速さで伝わるはずなのに、流れてくる曲は数十年前に流行ったらしいものだけだ。

夕焼けなんて見たことの無い自分にとって夕暮れの綺麗さとか、星の見える空の綺麗さなんてものは、この流れてくる、時代遅れの曲からしか知ることが出来ない。
酒に酔って「こんな街を抜け出して、本物の空を見に行く」なんて大見栄を切ったこともあった。

この街は飽きもせず24時間間隔で昼と夜を往復している。空は、相も変わらず人工物で覆われているし、昼と夜の狭間はない。明るいか暗いかのどちらかを繰り返している。曖昧さなんてなくて、そこにある寛容さも余白さえも許してくれない。

今日も息を吸うためにライターから火をつける。苦しさから目を背けるようとして、バルコニーから見ている。上の階から地底に往く人を、少しでも呼吸が楽になるように。

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